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  • 2017/08/11
  • MotorFan編集部

【コラム】華麗なる自動車泥棒 (安部譲二)Vol.17

作家・安部譲二の華麗な自動車遍歴コラム。名車と聞けば馳せ参じる安部譲二、波乱万丈のクルマ人生!

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(イラスト 鐘尾 隆)
作家・安部譲二の華麗な自動車遍歴コラム!クルマが人生を輝かせていた時代への愛を込め、波乱万丈のクルマ人生を笑い飛ばす!月刊GENROQ‘97年4月から56回にわたり連載された『クルマという名の恋人たち』を、鐘尾隆のイラストとともに再掲載。青年期からギャング稼業時代、そして作家人生の歩みまで、それぞれの時代の想いを込めた名車、珍車(!?)が登場します。稀代のストーリーテラー安部譲二のクルマ語りにご期待下さい!(毎週連載)
(文:安部譲二 イラスト:鐘尾 隆)

第17回 アストンマーチンDB‐2 ‘55

若い頃の僕は、才能もなかったのに好きだというだけで博奕打ちになってしまったのですから、たまにあぶく銭を掴んだことはあっても、おおむね貧乏でした。

だから乗っていたクルマにしても、金持ちのドラ息子のように、あれがいいとか、これがいいなんて贅沢を言ってはいられません。

タイヤに目がなくてツルツルだろうが、スロー回転にするとエンジンが止まってしまっても、歩くよりはマシだなんて呟いて、僕はどんなクルマにでも乗りました。

小金が出来た時に、「100㎞保証」の山掛けタイヤを、4本たしか8000円で買って来てツルツルのタイヤと替えました。もう今の豊かな日本では、どこにも売っていない山掛けタイヤですが、高速道路のなかった頃の日本ではこれで十分だったのです。

ツルツルになったタイヤの表面に、黒いゴムを接着材で貼りつけて、溝を作ったのが山掛けタイヤですが、これにも上等とか並がありました。時速100㎞でも剝がれないという、「100㎞保証」が一番上等だったのです。

こんなことは、昭和40年以前に免許証を取った者でなければ知りません。アイドリングを20秒も続けると、黒い排気ガスを断末魔のように噴き出して止まってしまうクルマに乗った僕は、絶えずアクセレーターの上に足を載せて、回転を上げておかなければならなかったのです。
 
事故車でセンターの出ていないクルマにも、何度も乗りました。こんなクルマはハンドルを回さなくても、どんどん勝手な方向に外れて行ってしまうので、モーターボートやヨットに乗った時の「あて舵(かじ)」というのを、こまめにやらなければなりません。

若くて金がなかった僕は、ライトバンなら上等で、安くてマシであれば小型トラックだってかまわずに、日常の足にしたのです。

昭和30年代の東京オリンピック迄の東京では、僕たちのような若衆はどんなクルマでも、文句を言わずに乗りましたが、昭和35年に格安な値段で手に入れた1500㏄のプリンスには驚きました。

年式も新しく走行距離も少なかったので、何かワケありのクルマだとは思っていたのですが、ある日、フロントのフロアマットを外して掃除でもしようと思ったら、床とマットの間に半乾きになった血糊がビッシリと固っていたのです。

ボンネットを開けて、エンジンルームを調べたのですが、何も異常がないので事故車ではありません。他に考えられることは、キャビンのそれもフロントシートで、誰か撃たれるか刺されるかして、大出血をしたということでした。今でも濃い茶褐色をした、プヨプヨした血糊の気味の悪かったことを、僕は覚えています。

そんなふうに、金がなくってクルマの好みなんか言っていられなかった僕にも、憧れていた車種はありました。

ブリストル、AC、オースチン・ヒーレー、ジャガー、アストンマーチン、それにトライアンフやロータス、MGといったイギリスのスポーツカーです。

いずれも目の飛び出るような値段でしたから、僕は指を銜えて憧れ続けるだけでした。石原裕次郎さんや力道山の乗っていたメルセデスのガルウイングは見ていて涙が出るほど美しかったのです。

リヤに丸い窓の開いているサンダーバードには、現在のヤクルトの前身で金田正一がエ―スだった国鉄で、初めて3割を打ったハンサムな箱田淳が乗っていました。
 
イギリス車が好きな僕にも、この54年頃のサンダーバードは、何とも素敵に見えたのです。憧れのイギリス車に乗っていたのは、慶応高校で同期だった大映の川口浩で、素敵なオ―スチン・ヒーレーの3ℓに乗っていて、大女優、月丘夢路の弟で喫茶店チェーンをやっていたヒノツメさんは、凄いクラシック・ジャガーに乗っていました。

目黒に住んでいた歌手の藤山一郎さんも、粋なジャガーに乗っていて、チンピラだった僕はいつか必ずあんなクルマに乗ってみせると、自分に誓ったのです。

そんな我慢の時代もどうにか過ぎてくれて、昭和40年代に入ると僕はMG‐Bを皮切りに、古いブリストルやAC、それにメルセデスの190SLと、憧れのクルマを次々と手に入れました。
 
買った時は高くても、売るときはタダ同然に買い叩かれるのが不満で、「それなら俺が
乗ったクルマを売る自動車屋を創るべい」と、いうことになって、当時500万円の資金で設立したのが、今では大きくなった環8のセントラルオートです。
 
会社の謄本を取ると、初代の社長に安部直也と僕の本名が書いてあります。セントラルオートを設立する少し前に、ロンドンの友人ハリー・バザンタの妻君から、東京の僕に沈んだ声で電話がありました。

ハリーは苗字でも分かるようにスペイン系でしたが、妻君は生粋のウエルッシュです。半年前に亭主が突然、姿を消してしまって困っていると妻君は言って、「ガレージの邪魔だし、多分、女と一緒に逃げた亭主のクルマは見るだけでイマイマしいから、まだ欲しいのならDB‐2を貴方に安く売ってあげるわ」と、言いました。

大袈裟でもなんでもなく、61年(昭和36年)に初めてハリーが見せて、コ・ドライバーズシートに何百マイルも乗せてくれた、アストンマーチンのDB‐2に、10年もの間、僕は痺れっ放しになっていたのです。武骨で重そうなアストンマーチンですが、こんなに力感のある素敵なクルマを僕は他に知りません。

ハリーのDB‐2は確か55年式でしたから、57年までに199台造られたマークⅡのサルーンで、淡いダークグレーの塗装でした。スペイン系のハリーは意識して、濃い緑色のブリティッシュ・レーシング・グリーンを、避けたのに違いありません。

「いいのかい。ハリーが帰って来たら怒ってショック死してしまうぜ」と、僕が言ったら、
妻君は、もしそんなことがあっても何も言わせるものか……なんて、冷たい声で言い放ったのです。
 
妻君の提示した金額は相場なんて知りませんが、とても安いという印象がありました。それに貨物船の運賃なんて、リバプールから横浜まででも意外なほど安いのです。僕が断ったら、妻君は、他の好きな男に売ってしまうのに違いありません。ロンドンに飛んで行った僕は、ハリーが現われて、返して欲しいと言ったら、返してあげる気でした。

キーを渡す時、妻君は、決してイギリスで他人に売ったりしないで、日本に持って帰って乗ってくれと妙な念を押したのです。「貴方がこのDB‐2を好きだったのを知っていたから、この値段で売ったのよ」なんてことも言いました。ハリーが現れないままに数ヵ月すると、DB‐2は東京港に着いたのです。

いろいろ面倒な手続きを済ませて、日本のナンバーが付いたDB‐2は僕の大自慢で、皆に見せびらかしたのでした。

そしてある日、僕はトランクの奥の床に、あのプリンスで見た覚えのある血糊を、発見してしまったのです。僅かでしたが間違いなく、ほぼ乾いた堅い血糊の固りでした。ハリーの流したものに違いありません。
 
僕は丁重に庭に埋めて、線香をあげ続けたのです。前刑を服役した昭和50年に、僕はこのDB‐2を処分しました。まだどこかで、走っているのに違いないと思うのです。

(月刊GENROQ 1997年5月号掲載『クルマという名の恋人たち』再録)


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