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  • 2017/08/25
  • MotorFan編集部

【コラム】華麗なる自動車泥棒 (安部譲二)Vol.19

作家・安部譲二の華麗な自動車遍歴コラム。名車と聞けば馳せ参じる安部譲二、波乱万丈のクルマ人生!

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(イラスト 鐘尾 隆)
作家・安部譲二の華麗な自動車遍歴コラム!クルマが人生を輝かせていた時代への愛を込め、波乱万丈のクルマ人生を笑い飛ばす!月刊GENROQ‘97年4月から56回にわたり連載された『クルマという名の恋人たち』を、鐘尾隆のイラストとともに再掲載。青年期からギャング稼業時代、そして作家人生の歩みまで、それぞれの時代の想いを込めた名車、珍車(!?)が登場します。稀代のストーリーテラー安部譲二のクルマ語りにご期待下さい!(毎週連載)
(文:安部譲二 イラスト:鐘尾 隆)

第19回  モーリス・オックス・フォード’ 57

圭子のモーリス・オックス・フォードは、黒塗りの4ドアセダンで、中は朱色の表皮でした。
 
昭和40年当時の僕は、それまで丸4年間も潜り込んで、いい給料をもらっていた航空会社を追い出されたばかりですから、クルマもほんの足代りの古くて安い国産車に乗っていたのです。くたびれたビニールレザーの自分のクルマから、圭子の本革貼りのイギリス車に乗り移ると、しみじみ「矢張り、こういうクルマがいいな……」と思いました。

これがウーズレーかハンバー、そうでもなければバンデンプラス・プリンセスだったら、内装が本革貼りの他に、ダッシュボードも胡桃(くるみ)かマホガニーの板が貼ってあるのですが、圭子のモーリス・オックス・フォードは、そこまではしていなかったのです。
 
圭子の家は金持ちでしたが、成金ではありませんでした。素封家というか、とにかく田園調布なんて郊外の住宅地ではなくて、五反田の池田山にあった戦前の大きな屋敷に住んでいたのです。

「このモーリスは、お兄様がジャガーに替えたので、3年前にわたしがいただいたのよ」なんて、優雅なことを圭子は言いました。僕はまだ匂い立つような28歳で、圭子は忘れもしません。みっつ違いの25歳だったのですから、今から30年以上も前の話です。

それまで圭子は、映画で見たり小説で読んだことはあっても、実物のヤクザは見たこともなかったに違いありません。初めて自分の目で見て、触ってみたくなったのだと思います。
 
僕だって動物園に行くと、草食動物の河馬だけでなく、虎やライオンも出来ることなら触ってみたいと思うのですから、こんなことは、男も女もきっと変わりはないと思うのです。好奇心を抱いて近付いて来た圭子を、シメタとばかりに若い僕は、押し倒してしまったのでした。

168㎝と、当時の日本の娘にしては背の高かった圭子は、珍しく脚も綺麗で顔も小さくてキリリとしていました。長くしていた髪を、僕が「思い切って短く切ってごらん」と、言ったら、圭子は、「セシール・カット……?」なんて言ったのも、とても懐かしく思い出します。
 
髪の毛をほどんど南洋の島にいる小鳥のように、短く切った圭子は、そこらには居ないような素敵な娘になりました。

「父が驚いて、『なんだお前は、長女かと思っていたら、三男だったのか……』なんておっしゃったのよ」
圭子は嬉しそうに叫んだのです。

圭子のモーリス・オックス・フォードは57年式で、新車から乘り込んだというお兄様が、走り屋だったらしくて、積算距離計はひと回りしていました。それでもどこからも嫌な音は、聞えて来ません。

手入れもよかったのでしょうが、第3京浜でアクセレーターを床まで踏んづけても、当時で丸8年も経っていたこのイギリス車は、ガタともピシとも言いませんでした。

モーリス・オックス・フォードは、中型セダンとして大衆車と高級車の中間に位置しています。会社であれば支店長、軍人だと少佐から中佐が乗るクルマでした。

アメリカのⅤ8エンジンを載せたクルマが、大好きだった当時の僕ですが、それでも1・5ℓのエンジンで、重いボディを走らせるこのイギリス車を、なんとも言えず愛したのです。

持主の圭子が気に入っていたからではありません。タコメーターも付いてはいない、この典型的なイギリス・ファミリーセダンを、ローやセカンドのギヤでは引っ張らずに、優雅にシフトアップして走らせるのは、とても大人っぽいフィーリングでした。

「こんなクルマに乗っていると、顔が穏やかになるよ」と、僕が言ったら、圭子は「3代続いてそうしなければ、人間の品位は生まれないって……だれかイギリスの王室の方が書いた文章にあったわ」
 
一代で大金を儲けた男やその息子では、とっても品位なんかは生まれなくて、孫の代でやっとそんなものが漂いだすのだと、そんなことを言っていたのです。圭子は自分の家がそうだったので、こんな聞く人によっては鼻持ちならないようなことを、ためらいもせずに言い放ちました。もしかすると、こんなことも育ちの良さと品位のうちかもしれません。

何代も続いた金持ちの娘ですから、圭子は他人には何も気を遣わなくてもよかったのです。もし相手が感情を害したら……とか、そんな普通の娘が考えるようなことは、全く頭の中にはありませんでした。本当に羨ましいことだと、つくづく僕は思ったのです。

しかし頭のとてもいい圭子は、つき合う内に分ったのですが、バランスが取れていませんでした。身体のバランスではありません。微妙な心と頭のバランスが、どうも下々(しもじも)の僕には違和感があったのです。

仕事もロクにしないで、父親と一緒に外国に行ったり、夏は軽井沢の別荘で過ごすという金持ちの娘なのに、変なところで金に妙に渋くてセコイところが、圭子にはありました。普通にしていたのでは、池田山の500坪もある屋敷に住んで、軽井沢に別荘を持てるような金持ちになんか、なれるわけがありません。

どこかの代で先祖がウンと酷いことをしたのが、遺伝子レベルで圭子に出たのだと若い僕は思いました。しかし、それはまだ30歳前の考えで、それからさらに同じだけ生きた今では、豊かな金持ちの息子や娘に、時々ですが圭子のようなのがいることを、僕は知っています。

つい先年も熊本の殿様の末裔が、なんと自分の立場を利用して、国会議席を3000万円と噂される端した金で、怪しげな爺様に売って国民を呆れさせました。

圭子は乗る度に僕がウットリしているのを見て、飽きたからこのモーリス・オックス・フォードを、150万円で売ってあげると言ったのです。その頃は僕もやっとピンチから脱して、懐がふくらみかけていました。

それにしても、メーターがひとまわりして9年近く経ったのにしては、とてもが付くほどいい値段だったのです。それでも月に3回や5回は寝ていた女なので、僕は相場よりずっと高い値段でも、値切りもせずに買って現金で払いました。

それから一週間後に圭子は電話して来て、急にイギリスで経済学の勉強をすることになったので、サヨウナラと言ったのです。ヤクザを相手の情事は、これが汐時だと思ったのに違いありません。

圭子が去った後も、僕は朱色の表皮貼りの弱馬力のイギリス・セダンを、愛しんで大事に乗りました。動力性能はともかくとして、モーリス・オックス・フォードには、イギリスの歴史とクルマに対する主張が染み込んでいたのです。

先日、帝国ホテルの駐車場で、ベントレーに乗った圭子とすれ違いました。57歳の圭子は、皺だらけの魔法使いのお婆さんみたいに見えたのです。

(月刊GENROQ 1997年7月号掲載『クルマという名の恋人たち』再録)


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