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Lツインの基盤を作った、2台のベベルドゥカティ|1970~1980年代のイタリアンクラシックが集う、ラウンドミーティング②

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2020年に開催されたラウンドミーティングには、イタリアの名車が数多く参加。今回はその中から2台のベベルドゥカティ、1971~1973年に販売された750GTと、1973年に衝撃的なデビューを飾った750SSを紹介しよう。

REPORT●中村友彦(NAKAMURA Tomohiko)
PHOTO●富樫秀明(TOGASHI Hideaki)

1971~1973 ドゥカティ750GT

4種のパラレルツインとV4を試作

1970年代のビッグバイクのフレームは、ノートンのフェザーベッドを規範とするダブルクレードルが王道だったが、750GTを筆頭とするドゥカティLツインは、エンジンを強度部材として使用するオープンクレードルを選択。

昨今ではV4のイメージが強くなっているけれど、1970年代以降のドゥカティの主力エンジンは、90度Vツインである。車載時の2つのシリンダーの角度が、アルファベットのLを思わせることから、“Lツイン”と呼ばれるこのエンジンには、単気筒並みのスリムさが実現できる、理論上の1次振動がゼロにできる、という美点が備わっているのだが、そもそもの話をするなら、1970年代初頭のドゥカティが理想を追求し、積極的にLツインを選択したかと言うと……、必ずしもそうではなかったようだ。

同時代に販売されたライバル勢と比較すると、ダントツに軽い185kgの乾燥重量を実現する一方で、軸間距離はライバル勢より長めの1530mmだった750GT。ちなみにホンダCB750フォアK0は、218kg、1455mm。

レーサー用として125~350ccのパラレルツインを手がけたことはあるものの、第二次世界大戦後に2輪事業に参入したドゥカティは、当初は250cc以下の単気筒車を主軸としていた。そんな同社が1960年代前半に大排気量車に目を向けるようになった理由は、BSAやトライアンフを筆頭とする英車勢のように世界最大の2輪マ-ケット、北米市場で成功したい……と考えたからである。

ドゥカティLツインのフロントフォークオフセットは、当時の基準で考えるとかなり少な目。撮影車のスピード/タコメーターは、ベリアのマグネット式からスミスのクロノメトリック式に変更されている。

そして既存の単気筒車では、北米での成功は難しいと判断したドゥカティは、同時代の英車を規範としたかのような500ccパラレルツイン車と、ハーレーへの対抗意識を感じる1257ccのV型4気筒車、アポロをほぼ同時期に開発。とはいえ、前者は性能不足、後者は車格とパワーに見合ったタイヤとチェーンが存在しないという理由で、計画は破棄されることとなった。そして以後の同社は、1967~1968年にも3種のパラレルツイン車を開発したのだが、これらの市販化も諸般の事情で頓挫している。

既存の単気筒車で培った技術を転用

80×74.4mm、748ccのLツインは、60ps/7800rpmを発揮。OHC2バルブの動弁系、ベベルギア+バーチカルシャフトによるカムシャフトの駆動は、既存の単気筒で培った技術の転用だった。

当時の他メーカーの動向を振り返ると、1967年にはモトグッツィV7(1969年型で排気量を703→757ccに拡大)、1968年にはトライアンフ・トライデント/BSAロケットⅢ(750cc並列3気筒の兄弟車)、1969年にはBMW R75/5、ラベルダ750GT、ホンダCB750フォアなど、新時代のビッグバイクが続々と登場していた。言ってみれば、1960年代に数多くのトライ&エラーを繰り返したドゥカティは、この潮流に乗り遅れそうだったのだが……。

1971~1972年型のキャブレターがイギリスのアマル製だったのに対して、1973年型はデロルトPHFを採用。本来の口径は30mmだが、撮影車は32mmに変更。

そんな状況下で窮余の策として生まれたのが、既存の単気筒車の技術を転用したLツインだったのである。いや、窮余の策はちょっと失礼な表現で、前述した美点に加えて、ライバルとは異なる個性を強調する、従来の生産設備が適度に流用できるという意味で、Lツインは最善の策だったのだろう。とはいえ、設計を担当したファビオ・タリオーニはマルチシリンダー信奉者で、ボローニャ大学在籍時は250ccV4の図面を描き、1954年のドゥカティ入社後は、既存の単気筒車のブラッシュアップを図る一方で、125/175/250cc並列4気筒レーサーの開発にも従事していたのだ。もちろん、前述したV4のアポロも彼の作品である。そのあたりを考えると、当時のタリオーニには、当面はLツインでしのいで、いつかはマルチシリンダー……という意識があったのではないだろうか。

この時代のイタリアは、昔ながらの右チェンジ&左ブレーキを採用する車両が少なくなかった。GTというキャラクターを考慮して、以後に登場する750S/SSと比較すると、ステップはかなり前方に設置されている。

もっともドゥカティLツインの第一号車として、1971年に登場した750GTは、同社の知名度をイッキに高めるモデルとなった。60psというパワーは、当時の基準で考えても驚くほどではなかったけれど、軽快な操縦性と抜群の安定性を絶妙の塩梅で両立した750GTは、グランツーリスモという車名とは裏腹に、バランスに優れるスポーツバイクだったのである。ただし、1972年から発売が始まった北米市場で750GTが大ヒットしたのかと言うと、その判断は人によって異なりそうだが(総生産台数は約5000台。ちなみに、同時代のCB750フォアの年間販売台数は6~7万台前後)、新時代を迎えたビッグバイクの世界で、750GTで確固たる地位を確立したからこそ、以後のドゥカティは堅実な成長を遂げることができたのだ。

リーディングアクスル式フォークはマルゾッキ。フロントディスク径は280mmで、キャリパーは、スカラブ、ロッキード、ブレンボの3種が存在。ホイールはF:19/R:18インチで、H型のアルミリムはボラーニ。

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