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輝かしい繁栄の1989年は超豪華、すごいぞニッポン! | 1989年 第28回東京モーターショー前編【東京モーターショーに見るカーデザインの軌跡】

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歴史を振り返れば、その時代の経済状況とクルマの関係は完全にリンクしている。前回もお話しした第二次大戦後のマイクロカーは窮乏の中から生まれ、そして戦勝国のアメリカは豊かさを目いっぱい発散させたテールフィンの巨大で豪華なクルマであふれかえった。
今回取り上げる1989年は世界経済が膨張し続け、日本も平成バブルと称する前代未聞の好景気を迎えていた。そんな時期の第28回東京モーターショーはかつてのオイルショックをすっかり忘れたような大馬力モデルが話題となり、また一方では社会的ニーズに応えたEVやライフスタイルの進化にあわせた様々なジャンルの量産車が出展され、稀に見る芳醇なモーターショーであった。

圧巻の力技を感じさせたトヨタ4500GT

トヨタ4500GT。2000GTの再来ともいわれた、次世代ハイエンドGT。気筒あたり5バルブのV8エンジンを搭載、空気抵抗係数は0.29を誇った。

というわけで、このイントロの流れからだと最初に取り上げるべきはトヨタのコンセプトカー4500GTであろう。
実際にテストコースでジャーナリストを乗せて走行し周回路での性能は凄かったらしいが、ワインディング路ではどうであったのか興味深く知りたいところである。
デザインがとにかく変わっていた。新しいとかレトロとかではなく、あえてこれまで誰も見たことのないオリジナルにこだわったのではないだろうか。1987年にイタリアの実業家がブガッティを復活させる計画を発表し話題になったが、まるで一足早くトヨタが作ってしまったようで第一印象は「10年早くやってきた世紀末カー」であった。

やはり自動車は120年の歴史の重みの上に存在し、人々のイメージには“クルマらしさ”というものが定着し始めている。そこにはカッコよいクルマが優位にあるという節理があるのだ。したがって変わっていることの前に“カッコいい”が無ければクルマのデザインに対して好感が持てない。あくまで私の個人的な感想なのだが、ヌメっとした沼の生き物のようで気持ちが落ち込んでしまった。いかにもバブルでなければ生まれない大きな野望を持ったデザイナーが担当したのであろう。当時日本以外のアメリカにもデザインスタジオがあり優秀な外国人デザイナーがいて、その中でのナンバーワンデザインなわけだから私のセンスが悪いのかもしれない。

鮮烈登場を果たしたユーノス・コスモ

3ローター式を初採用した、2+2GTモデル。流麗なボディはあたかもコンセプトカーのようだが、まぎれもない量産モデルだった。

次はマツダの新しく誕生したプレミアムブランド、ユーノスから発売された新型コスモである。やはりバブルを象徴するモデルとして2番目に取り上げたい。
3ローターエンジンは330psの高出力を誇ったが、当時の運輸省の280ps規制に合わせて翌年4月に発売したのである。時期的に判断すると試作車が展示されていたと思われ、その完成度は素晴らしかった。
コスモの今までに見たことのない特徴的なデザインは極めて印象的で、微妙なニュアンスのあるスタイリングと、当時世界一と思われるクレイ造形が見事に活かされた美しいデザインであった。特に量産車とは思えないFRPモデルのような面造形は光と影のバランス、躍動感の表現が秀逸であった。

しかし、威厳に満ちたフロント回りのデザインと全体の押し出し感は、サイズの大きさも相まって何ともいえない重苦しい印象が感じられ、怖い方が似合いそうなクルマだと思えた。実は私がマツダに移籍したときコスモは完成間近、最後の仕上げに向けてピリピリした緊張感にあふれたスタジオに私は圧倒された。そしてこの緊張感にあふれた仕事をするコスモのデザイナーを、完成後すぐに私が担当していたユーノス500の主担当デザイナーにスカウトしたのだ。

彼のセンスは抜群で綺麗な面造りには定評があり、そこに精神的なニュアンスを造り込むことが出来る数少ない天才であった。また彼の厳しい要求に応えられるモデラ―の存在が何よりマツダの凄いところだった。そして数年後のユーノス500では、スーパーデザイナーの彼は正反対の優しいイメージの存在感を表現するのにおおいに貢献してくれた。
1989年はマツダにとってデザイン部が飛躍的にレベルアップした時期であり、現在の「デザインのマツダ」の出発点であった。

フルアルミボディで登場したNSX

量産モデルとして登場したホンダNSX。コンセプトモデルに比べ、リヤオーバーハングを伸ばし十分な荷室を確保。

次はホンダNSXである。
翌年の秋に発売された日本初800万円越えのスーパーカーだ。
世界初の総アルミボディ、ミッドシップエンジン・リアドライブ、フェラーリを超えるハンドリングを目指しアイルトン・セナが開発に参加するという鳴り物入りで、世界が注目した。

今でこそジャガーやアストンマーティンが高温を必要としない接着工法での精密アルミボディ製造を得意としているが、当時は経年劣化しない接着剤は開発されておらず高熱を発するシームレス電気溶接、またはアルゴン溶接という高温を必要とする工法もしくはリベットやボルト固定しか方法がなかった。また高温溶接はアルミパネルが熱変形してしまい、一台一台手作業で歪みを力で修正しなければならないという前例がない困難にチャレンジしたのであった。さらにアルミ電気溶接は膨大な電力を必要とするため工場近くに発電所を設けるなど莫大な設備投資を行なった。やはりバブル期でなければあり得ないプロジェクトだったのである。

NSXのプレスブリーフィングは今まで見たことのないような数の海外メディアが殺到、ハッセルブラッド2台とニコンF3をぶら下げた巨漢ジャーナリストやフランスのTVクルーの大掛かりな機材に驚き、ニッポンの自動車は世界一を極めたのだという実感が込み上げ、その感動は今も忘れない。

スッキリしたデザインは機能最優先で“野暮なカッコはつけない”という昔のホンダデザインを思わせ、少しだけリヤオーバーハングが長いのも荷室や空力を考えたうえでのスタイリングであったため、全体のスリムさがより強調されて嫌味の無い真面目なデザインが光っていた。
しかし折角のスーパーカーにしてはあまりにも謙虚なスタイリングで、もう少し色気があればワックスをかけるとき周りの景色の映り込みを鑑賞し、NSXを所有した喜びが一層深まるのにと、勝手な妄想をしたことを覚えている。当時購読していた自動車誌にも同じようなことが書かれていて多くの人がデザインにたいしてはモッタイナイと感じたようだ。

しかし今回記事を書くにあたり改めて詳細に見てみると、エクステリアデザインはアルミ成型の制約が多いにもかかわらず素晴らしい迫力がある。逆にこのスッキリさが時代に流されずに現代では歴史的な価値が増しているのではないだろうか。
ちなみに累計で18,700台を販売し、今でもホンダはリフレッシュプランというサービスを行なっており生産工場に戻して新車に近い状態にレストアしてくれるそうだ。高い買い物をしてくれたお客様をこうした形でおもてなしするのはホンダの自信とプライドの表れであり、自動車のプレミアムブランドにふさわしい。
現在GMとのアライアンスが話題だが、これからやって来る自動車メーカーの再編合戦に巻き込まれることなく、どんな立ち位置であってもホンダはぜひとも一匹狼のスピリッツを保っていてほしい。

これが本当の実燃費だ!ステージごとにみっちり計測してみました。

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