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初代トヨタ・セルシオ、マツダAZ-550スポーツも登場するリッチさ! 第28回・東京モーターショー 後編 【東京モーターショーに見るカーデザインの軌跡】

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第28回東京モーターショーは、これまで2回にわたりクルマ文化を進化させたデザイナーや技術者たちのご紹介もまじえ、今では考えられないような明るい希望に満ち溢れたクルマ達を取り上げてきた。
いよいよ後編、まだまだエポックメーキングな出展車が控えている。順を追って解説したい。

ジウジアーロデザインのスペシャルティが今度はスバルから

キャノピー状のルーフを持つSVXのプロトタイプ。小さなウインドウがその印象を強める。リヤデッキがボディ同色化された上、スポイラーを装備する。ここが量産での悩みどころであったことがわかる。

最初はスバルSVXだ。グラスキャノピー(ボディから上がすべてガラスで覆われている)で未来感を表現した2ドアクーペのスペシャルティカーだ。北米市場で人気のスバルは年頭のデトロイトショーに出品、2月から発売予定だったレガシィのイメージリーダーカーとして広告塔の役割をもって採算性の良い高級路線に打って出たのだ。そして秋の東京モーターショーにレガシィの上級車というイメージで出品したのである。
そして2年後の1991年にアルシオーネSVXとして発売されたが、価格はなんと400万円越えというスバル渾身の自信作であった。

デザインはレガシィも含めてジウジアーロ率いるイタルデザインが手掛けている。このころのジウジアーロはいすゞピアッツァのシンプルさの次のテーマとしてアグレッシブな造形にチャレンジし始めたらしく、このSVXはレガシィと同じようにルノー・サンクターボのようにフェンダーを膨らませ、4WDの走りを強調したのではないかと思われる。また最大の特徴である未来感満点のガラスキャノピーは、同時期に発表しているアズテックという自主製作コンセプトカーのテーマである“未来感”を取り入れたかったのであろう。

ジウジアーロ独特のノーズからテールエンドまでの、一貫したまとまりにはやや欠ける印象。

ステージ上のSVXを見たとき、私は正直がっかりした。いろいろな要素が多すぎ、ミックスランチに思え、お約束の全体の完璧なバランスの良さが感じられなかったのである。ジウジアーロのデザインはフロントからリヤまで一貫した統一感が最大の魅力で、いわば単品料理のような安心感があった。
だがいつもと違ってドア断面のカーブが単調に見えてしまい、おそらく前後のフェンダーの膨らみが全長を生かした伸びやかさを阻害し、ジウジアーロ独特の凝縮感が感じられないのだ。おまけにそうした力強い下半身と弱そうなグラスキャノピーが全くそぐわないと思えた。

センタークラスターをドライバー側と縦に分割したインパネ。ダッシュボードまわりからドアにかけてスウェード調のエクセーヌによるインテリアトリムが施される。

後年街なかで見かけると穏やかにウエッジしたシルエットはエレガントで、いかにもリッチな中年に似合いそうである。一見すると居住性の良さそうでまっとうなクーペだが、サイドウインドウがルーフに回り込んでいてあらためて、「あ、アルシオーネSVXだ!」と気が付くのである。ちょっと見ただけではレガシィに見えてしまう普遍的な乗用車デザインのため、スペシャルティカーにしては穏やかすぎて目立たないのではないだろうか。

だが一度知ってしまうと妙に気になる高級感のある不思議な魅力を持ったクルマであった。値段が高かったこともありバブル崩壊に苦戦し1997年に姿を消した。国内では約6000台しか売れなかったので、今中古車市場では異例の高値がついている。
今もお乗りのオーナーの方は、ぜひ大切にしていただきたい。

レクサスのトヨタブランドの高級車が“セルシオ”として登場

ショー会場にはルーフのないカットモデルも展示され、室内の広さを豊かさをアピール。

つぎはトヨタ・セルシオである。
北米市場でトヨタ車の高級路線レクサスが認められるきっかけとなったのがこのクルマである。1989年アメリカでレクサスLS、国内ではセルシオの名で発売になった。
当時のアメリカでは高級車といえばキャディラックやリンカーン、メルセデス・ベンツであったが、トヨタはあえて控えめなデザインを選び品質で勝負に出たのであった。

驚異的とも評された静粛性と優れた動力性能、さらに低燃費、ベンツよりアメリカ人好みなゴージャスな内装が評価され、発売初年度だけで11,600台を売り上げた。
特に品質はトヨタ伝統の生産方式に新たなアイテムとして“クオリティ・コントロール”が加えられ、内外装の組付け制度が驚異的に向上し、一つの例だがドアの隙間1.2mmを達成したのである。
世界の大手自動車メーカーに衝撃を与え、業界では一斉にクオリティ・コントロールが一大ブームになるきっかけにもなった記念すべきモデルで、“品質のトヨタ”の原点でもあるのだ。

グリルをこれ見よがしに誇示しない、控えめなフラッグシップがセルシオ。当時はクラウンが先行してセルシオに搭載予定のV8を搭載して追加発表されるなど、クラウンとどっちが上? との議論もあった。
走行騒音の静かさも圧倒的で、次期メルセデス・ベンツSクラスの再度ウインドウを二重窓化させたのが、このセルシオ(レクサスLS)だったとも言われた。

正直、私は歴代トヨタセダンの中で最も優れた美しいデザインだと思っている。
他車に全く似ていないこと、高級車として欠かせないフロントを高くしたサイドシルエットのバランスが完璧であること、フロントウィンドウの傾斜とそれに伴う各ピラーの傾斜が格調高く絶妙に心地よい事、そして奇をてらわないまっとうなスタイル、この4つが高級車としての資質を十分に満たしている。
謙虚なたたずまいの中に、きちんとスーツを着こなした紳士のような何とも言えない品格が感じられるところが好ましいクルマであった。

マツダAZ550スポーツの本気度に圧倒

AZ550はタイプA(上)、タイプB(左下)、タイプC(右下)の3タイプで登場。
外板をFRPパネルとしたことで、着せ替え可能をアピール。ドアの開き方も三車三様。

最後に取り上げるのはマツダ・オートザムAZ—1のベースモデルとなったマツダAZ550スポーツだ。
前回登場のロードスターと同じく、技術者魂が込められたアイデア実験モデルを採算度返しで大メーカーが本気で作ってしまった……といった内容のスポーツカーであった。
発売は1992年で、このショーでの発表から時間を要したのには訳アリの、世界でもまれにみる高度な技術がてんこ盛りのクルマであった。
デザインは軽自動車スポーツカーにありがちな、とんがったデザインで突っ張りすぎると「なに粋がってんの?」とカッコ悪くなるし、その逆のカワイイ路線のほうが回りからも愛される。そうした極めて難しい判断を迫られるのが軽スポーツなのであるが、マツダはミッドシップエンジン・スポーツカーにふさわしいフェラーリF40 のような無駄を排した硬派なスタイルを選んだ。最適なウエッジを効かせた美しいサイドシルエット、シンプルなフラットな面造形でスパルタンさを演出したのだ。
フィアットX1—9より丸みがあるデザインは現代的であったが、前後のバンパーや細部のデザイン処理が軽トラックみたいにそっけないところがあり残念であった。だがデザインが少々物足りなくても中身が凄すぎることを付け加えたい。高い強度の特殊なスケルトンモノコックフレームを採用し、FRPを多用したボディに負担がかからないように工夫され、スバルSVXと同じグラスキャノピーにデロリアンと同じガルウィングドアを採用したのである。こんな贅沢な手の込んだ軽自動車をマツダは作ってしまったのである。

量産モデルはタイプAをベースに開発。リトラクタブルのヘッドライトは固定式となった。

発売が遅れた訳は、乗り越えなければならない壁が数多くあったからだ。たとえばグラスキャノピーの太陽光と座席後ろのエンジン熱で室内は高温になるのを、当時最先端の高濃度UVカットガラスとエンジンルームの遮温強化で何とか乗り切り、衝突実験でフロントにあるスペアタイヤが危険であることがわかり急遽リヤに搭載、デザイン変更した。

さらには横転し逆さまになったときに、FFのトヨタ・セラと違ってエンジンが後ろのため完全水平になってしまいドアが開かなくなることを当時の運輸省審査官から指摘を受け、改めてドアガラスを割って脱出する膨大な実験データを作成、高価な専用ハンマーを装備することで何とか認証を受けることが出来たのである。当然ながらコストはどんどん膨らみ、売れば売るほど赤字がかさむと関係者がつぶやいていたのが思い出される。
当時マツダに在籍していた私は、横浜デザインのモックアップ室で試作車を前に、苦悩するエンジニアの声を聴いた。「ここまでやってきたんじゃ、やりとげるしかなかろう」。

まさにスポーツカーのインテリア。当時はホンダ・ビート、スズキ・カプチーノと軽2シータースポーツが揃うことになった。

かつてロータリーエンジン開発では、高額で技術取得したヴァンケル式エンジンには決定的な欠陥があった。しかし必死でなんとか実用化した。このAZ—1も同じである。マツダにはそうした不可能を可能にするヒロシマ魂があるのだ。モックアップ室の広島弁でのやり取りを聞いたとき、自分のプロジェクトではなかったこともあり、私は人命にかかわる問題は絶対に運輸省の認証は通らないだろうと醒めた目で見ていた。

だが今回この記事を書きながら当時のことが思い出された。そしてあの時、さっさとあきらめてしまった自分に対し、彼ら不屈のエンジニア達に申し訳なく今さらながら恥じ入るばかりなのである。




おまけのまめ知識

今回は3回にわたって1989年の第28回を書きましたがほかにも興味深いクルマがあり、機会があればぜひご紹介したいと考えています。例えばスバルとイタリアのレーシングエンジンチューナー、モトーリモデルニが手を組んだ3リッター水平対向12気筒エンジンを搭載したスバル‐ジオット・キャスピタというスーパーカーが発表されたり、いすゞからも4200Rというミッドシップエンジン搭載の近未来スペシャルティカーが展示されたりと、とにかく明るいニッポンが肌で感じられた年でした。

世の中も10年に一度、いや100年に一度の激動の年となり皆さんもご記憶かと思いますが一応復習しますと、1月の昭和天皇のご崩御、6月にイランの最高指導者ホメイニ氏が亡くなり有力な指導者を失ったイランは中東混乱の中心になってしまい、その後の大混乱はいまだにくすぶり続けています。同じ6月には中国で天安門事件が起こり11月ベルリンの壁が崩壊、12月20日には年頭にアメリカ大統領に就任していたジョージW・ブッシュ氏(パパブッシュ)が麻薬問題を口実にパナマの国内紛争に介入、いわゆるパナマ侵攻が行なわれ平和を取り戻すことに成功しましたがパナマ国民を3000千人以上殺害し、また国際法に違反した行為は国際社会から非難を浴びたのでした。

国内では暗いニュースばかりではなく、任天堂のゲームボーイやソニーの8ミリビデオカメラ、パスポートサイズ・ハンディカムが発売され、VHS—C優勢だったシェアを逆転させたことも記念すべき出来事でした。ソニーはβ(ベータ)がVHSに負けたリベンジを見事に果たしました。そして前編でもふれた東京株式市場年末の大納会で記録した38,900円台はいまだに破られていないのです。

当時を振り返ると、中古住宅の高値に「このままでほんとにいいの?」といった中古物件転売で儲けた知人の言葉が忘れられません。その言葉は見事に2年後に的中、そして今があるのですね。まあ、とにかく現在35歳から45歳の方は少年少女のころ経験しているわけで、当時の独特の高揚感の雰囲気はご理解いただけるのではないでしょうか。

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