「中免」「ミツバチ族」「単車」! 昭和のライダーしか(たぶん)知らないバイク用語5選

バイクの一大ブームが巻き起こった1970年代〜1980年代には、数々の名車が生まれると共に、バイクに関するいろんな用語なども生まれた。それらの多くが今では使われなくなった死語といえるものだが、一体どんな意味があったのだろうか。いくつかピックアップして紹介する。

REPORT●平塚直樹
PHOTO●写真AC
*写真はすべてイメージです

中免

「中免(ちゅうめん)」とは、400ccまでのバイクが運転できる免許のことで、当時の「中型限定自動二輪免許」。今でいう「普通自動二輪免許」と同じ意味だ。

当時の免許制度は、以下のようになっていた。

・自動二輪免許:全ての排気量のバイクを運転できる免許(今の大型二輪免許)
・中型限定自動二輪免許:400ccまでのバイクを運転できる免許(今の普通二輪免許)
・小型限定自動二輪免許:125ccまでのバイクを運転できる免許(今の小型限定普通二輪免許)
・原付免許:50ccまでのバイクを運転できる免許(今も同じ)

特に、当時は、全ての排気量のバイクを運転できる自動二輪免許は、今の大型二輪免許と同様に自動車教習所では取得できなかった。まずは、教習所などで比較的取得の簡単な小型限定や中型限定の自動二輪免許を取得。その後に、運転免許試験場でいわゆる一発試験を受けて合格し「限定解除」をしないと、401cc以上のバイクには乗れなかったのだ。

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今の大型二輪免許が自動車教習所で取得できるようになったのは1995年から

そうした制度から、400ccまでの中型バイクを運転できる中型限定自動二輪免許や、その取得者のことを、大型バイクに乗れる限定解除の自動二輪免許やその取得者と区別して「中免」と呼んでいたのだ。

当時は、限定解除の自動二輪免許は、かなり上級なスキルを持つライダーでないと取得が困難だったのも事実。そのため、そうした大型ライダーと中型バイクまでしか乗れないライダーとの間にヒエラルキーも発生。中免ライダーは、ちょっと下に見られるような感じだったことも事実だった。

ミツバチ族

「ミツバチ族(みつばちぞく)」とは、1980年代のバイクブーム時に急増した、夏の北海道ツーリングを楽しむライダーたちを指す用語だ。

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ミツバチ族は、夏の北海道ツーリングを楽しむライダーたちを指す用語。1980年代のバイクブーム時に急増したことでそう呼ばれた

夏の北海道は、今でも多くのライダーが憧れる夏の定番といえるツーリング先。その北海道が、いわゆる「ライダーの聖地」としての地位を確立したのが1980年代。当時は大学生などの若者はもちろん、会社を辞めて地元で働きながら北海道中をバイクで旅する猛者もいるなど、様々な北海道好きライダーが急増した。

そして、そんなバイクライダーたちのことを指し、地元の人やマスコミなどが呼んでいたのがミツバチ族。由来は「ブーン、ブーン」といったバイクのエンジン音が、まるでミツバチのようだったことから。しかも、当時はかなり多くのライダーが、大群で北海道へ押し寄せたことで、ミツバチ族という名称で呼ばれるようになったようだ。

カタナ狩り

戦国時代などに農民や僧侶など、武士以外の身分から刀をはじめとする武具(武器)を取り立てた政策を「刀狩り」というのはご存じの通り。でも、バイク用語の「カタナ狩り(かたながり)」は、1982年に登場した「GSX750Sカタナ」の違法改造取締りを意味した造語だった。

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スズキ・GSX750Sカタナ(1982年式)

1980年代に生まれたスズキの名車といえば、やはり「カタナ」が代表格。元祖は1981年にデビューした輸出仕様車の「GSX1100Sカタナ」で、「日本刀をイメージ」したというシャープで個性的なフォルムは、ハンス・ムートが所属するターゲット・デザインがデザインを担当。最高出力111PSを発揮する高性能な1074cc・空冷4気筒エンジンなどとのマッチングにより、世界的に大注目を浴びた。

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スズキ・GSX1100Sカタナ(写真は2000年式)

その国内仕様1号車が、当時のメーカー自主規制により国内最大排気量だった750ccエンジンを搭載したGSX750Sカタナ。ところが、このモデル、最高出力を69PSに抑えたほか、当時の国内法規制に対応するため、ハンドルをかなりのアップタイプに変更。元祖カタナのGSX1100Sカタナが採用した低いセパレートハンドルとはあまりにもかけ離れたかっこ悪さのため、「耕耘機ハンドル」と揶揄(やゆ)されたりもした。

また、フロントスクリーンも、GSX1100Sカタナには装備されていたが、こちらも当時の法規対応でGSX750Sカタナには未装着。ところが、GSX1100Sカタナに憧れるファンには、GSX750Sカタナのスタイルなどに納得しなかった人も多数だった。そのため、750cc版ユーザーのなかには、ハンドルとスクリーンを1100cc用に交換して乗っていた人も多かったようだ。

それに対し、当時の警察当局は、これらカスタムを違法改造とみなし、取締りを実施。捕まったユーザー間で「カタナ狩り」と呼ばれたことで、当時の隠れた流行語にまで発展したのだ。

当時のカタナ人気のヒートぶりはもちろん、今では当たり前でも、昔は御法度だった装備も多かったことが分かるエピソードのひとつが「カタナ狩り」だといえる。

HY戦争

「H」はホンダ(HONDA)、「Y」はヤマハ(YAMAHA)のことで、1970年代後半〜1980年代前半頃に巻き起こった両社の熾烈な販売競争を「HY戦争(えいちわいせんそう)」と呼んた。

当時、国内の2輪車販売台数は、1970年代頃からうなぎ登りに上昇し、1982年にピークとなる約327万台を記録(日本自動車工業会調べ)。シェアは1位がホンダ、2位をヤマハが占めていたが、1979年にヤマハがトップシェア奪取を宣言。庶民の足として大きな人気を博した50ccスクーターを中心に販売攻勢をかけ、ホンダから1位の座を奪う目標を掲げたのだ。

そうした状況下で、ヤマハは「パッソル」「パッソーラ」「ベルーガ」など50ccの新型スクーターを市場投入。それに対し、ホンダは「タクト」や「リード」など様々なスクーターモデルで対抗し、いわゆるファミリーバイクの販売合戦が繰り広げられた。しかも、当時、これらスクーターは価格もリーズナブルで、新車価格が10万円台前半もざら。中には6万円台で購入できるものもあったほど。物価の違いもあるものの、それにしても50ccスクーターが今では考えられないほど安かった時代だといえる。

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ヤマハ・パッソル(1977年式)
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ホンダ・タクト(1980年式)

その後、HY戦争は、250ccや400ccといった中型限定自動二輪免許で乗れるギア付きスポーツモデルの争いにまで発展。「VT250F対RZ250」「CBX400F対XJ400」といったライバル車による販売競争も勃発した。

なお、HY戦争は、1980年や1981年をピークに、その後は徐々に沈静化していったといわれている。だが、その影響は後々まで続き、1980年代〜1990年前半に巻き起こったレプリカバイク・ブームでも、「NSR250R対TZR250」など、ホンダ車とヤマハ車の人気モデル対決はしばらく続くことになった。

単車

昭和のバイク乗りには、バイクのことを「単車(たんしゃ)」と呼ぶ人もいる。筆者もその昔使っていたが、若い人などの中には「タイヤが2つなのに何で単車なの?」と不思議に思う人もいるだろう。

バイクを単車と呼ぶ理由については諸説ある。

まず、側車付きバイク、いわゆるサイドカーに対し、側車のないバイクを「単車」と呼んだという説だ。これは、終戦直後の日本で、バイクというとサイドカーが一般的だったことが背景にあるという。当時、サイドカーは荷物の運搬用として重宝されたためだ。ところが、時代が進むにつれて、4輪車が普及したことで、サイドカーの需要は激減。バイクは側車なしの単体で走る乗り物となっていった。そこで、「サイドカーを外したバイクだけの車体」を意味し、バイクを単車と呼ぶようになったという。

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終戦直後の日本では、バイクというと荷物運搬用のサイドカーが一般的だった時代もあった(写真はイメージ)

また、単車の「単」は単気筒エンジンの「単」であるという説もある。昔のバイクは、単気筒エンジンを搭載していたモデルがほとんどだったため、「単車」と呼ばれるようになったという説だ。

さらに、エンジン音が「タンタンタン・・・」と聞こえるバイクが多かったためという説もある。これも、おそらく、単気筒エンジンの音を意味していたのではないだろうか。排気量やエンジンの気筒数などのバリエーションが豊富となった現代では、エンジン音も多様なので、「タンタン=単車」といった発想にはなりにくいだろうが。

いずれにしろ、単車は昭和の時代に生まれた用語なので、今の時代に使っている人のなかには、「旧車」や「絶版車」的な意味合いも持たせているかもしれない。おそらく、電子制御システムなどがないため機構はシンプルだけど、味わい深い昭和のバイクを意味しているのだと考えられる。

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単車の「単」は単気筒エンジンの「単」であるという説もある

このように、今では使われなくなったバイク用語もたくさん生まれた昭和のバイクブーム期。それだけ多くのライダーがバイクにぞっこんだったことが分かるといえよう。

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著者プロフィール

平塚直樹 近影

平塚直樹

1965年、福岡県生まれ。福岡大学法学部卒業。自動車系出版社3社を渡り歩き、バイク、自動車、バス釣りなど…