目次
ベルトーネの名が復活
イタリアのカロッツェリアのなかでも、ベルトーネは1912年創業という老舗。戦後は2代目当主ヌッチオ・ベルトーネの指揮の下、フランコ・スカリオーネやジョルジェット・ジウジアーロ、マルチェロ・ガンディーニといった若い才能をチーフデザイナーに起用し、世界のカーデザインに大きな影響を与えた。
しかし経営を支えていたのは、デザイン活動よりクーペやカブリオレなど少量生産車の受託生産だ。それをOEMメーカー自身が行うようになると経営が悪化し、97年にはヌッチオ社長が死去。経営権を巡って親族が争うゴタゴタもあり、02年に工場を売却して運転資金を得たものの、14年に倒産してしまった。
そんなベルトーネの商標権を2016年、AKKAテクノロジーズが買い取った。マウロとジャンフランクのリッチ兄弟が経営するエンジニアリング会社だ。AKKAは21年に同業のModis社と経営統合するのだが、そのときリッチ兄弟はベルトーネの商標権を手元に残し、22年、ミラノにカロッツェリア・ベルトーネを設立した。
この新生ベルトーネの第2作として登場したのがランナバウトである。その名の通り、ガンディーニがデザインして1969年のトリノショーでデビューしたアウトビアンキA112ランナバウトをオマージュしたスポーツカーだ。オリジナルと同じ10月29日に発表された。


A112ランナバウトの心臓はわずか55psだったが、新しいランナバウトは500psのV6を搭載。オリジナルと同様に完全オープンボディの”バルケッタ”に加え、より実用的な着脱式ルーフの”タルガ”も用意する。
デザインしたのは、第1作のGB110に続いてアンドレア・モチェリン。ハイパーカーのGB110は一見して「ベルトーネだ!」とは必ずしも言えないデザインだったが、ランナバウトはガンディーニの名作を見事にモダナイズしている。興味を募らせて調べるうちに連絡先がわかり、インタビューを申し込んだという次第だ。
ベルトーネと”異才”モチェリンの出会
まず、ベルトーネ・ブランドを再興したリッチ兄弟との出会いを聞くと、「ベルトーネでデザインマネージャーを務めているジョバンニ・サピオが紹介してくれた。ジョバンニとはイタリアのあるデザインコンペで初めて会って以来の知人だ」とモチェリン。「彼がAKKAテクノロジーズからベルトーネに移るときに連絡があり、GB110のデザインに協力してほしいと頼まれた」

ベルトーネという偉大な名前を復活させるプロジェクトに携わることについては、「トリノのカーデザイン文化に刺激されて育った一人として、非常に意義深いことだ。私がデザイナーになりたいと考えたのも、ベルトーネの存在が大きかったからね」
モチェリンはミラノとロンドンでデザインを学び、トリノのピニンファリーナやマセラティ、アルファロメオで経験を積んだ後、2014年にトリノのグランステュディオというカーデザイン会社に加わって中国メーカーなどのプロジェクトを歴任。2018〜19年は中国スタートアップのNIOのミュンヘン・スタジオで働いた。

「GB110のプロジェクトを託されて、責任感と興奮で一杯だった」と、モチェリンは振り返る。ランナバウトと違って、GB110は過去のベルトーネ作品を題材にしたデザインではないが、参考にしたクルマはあるという。
「ベルトーネ作品はどれもタイムレスなクオリティを持ち、無限のインスピレーションを与えてくれる。なかでもGB110をデザインするときにしばしば参照したのは、ストラトス・ゼロやカラボといったアイコニックなデザインだ」
ガンディーニは68年のカラボでウエッジシェイプの探求を始め、A112ランナバウトやストラトス・ゼロなどのスタディを経て、フィアットX1/9やストラトス、カウンタックといった量産車にその経験を活かした。
「ただしGB110では、ベルトーネの歴史を尊重するけれど、複製はしないと決めていた。ストラトス・ゼロのダイナミックなプロポーション、カラボの面処理やグラフィックスといった要素を取り込みながら、GB110独自のアイデンティティを表現することに努めた」
車椅子から航空機まで
モチェリンは2019年にNIO を辞め、ミュンヘンを本拠とするリリウムに移籍した。2015年創業のeVTOL機(いわゆる“空飛ぶクルマ”)のスタートアップだ。同社が開発したリリウムジェットは、前後の翼の上にダクテッドファンを合計30基並べ、その角度を変えることで垂直離着陸と水平飛行を可能にする。モチェリンはリードデザイナーとして内外装をまとめた。


「この画期的なプロジェクトで、ほぼ白紙の状態からデザイン開発を率いたのは特別なこと。デザイナーとしてスキルの幅を広げる重要な経験だった」と彼は振り返る。
2023年2月までリリウムに在籍したが、ベルトーネがGB110をオンライン発表したのはそれより早い22年12月だ。「リリウムの柔軟な対応のおかげで、副業としてGB110のプロジェクトを引き受けることができた」とモチェリン。そしてこう続けた。「ベルトーネの再出発を記すハイパーカーをデザインするというのは、私のキャリアの節目になる。逃すわけにはいかないチャンスだった。リリウムを辞めてモビリティデザイナーとして独立するにあたって、GB110はパーフェクトな出発点になった」


GB110をデザインする一方で、モチェリンは機内持ち込みサイズに折り畳める世界初の車椅子を考案。生産/販売に向けて、リリウム退職直後の23年3月、ベルギーにリボルブモビリティという会社を設立した。また、エアフランスのためにデザインした旅客機用のシートが、24年6月に発表されている。
モチェリンは車椅子から航空機まで、ビリティを幅広く手掛ける異才。しかしリッチ兄弟と共有するベルトーネ再興への情熱に揺るぎはない。いよいよ第2作のランナバウトに話題を進めよう。
55年の歳月を超えて
「私はA112ランナバウトのデザインに、いつも魅了されてきた。そのシンプルさ、タイムレスなプロポーションは、今日でも際立っている。だからリッチ兄弟からそれを復活させたいと提案されたとき、とても興奮した」とモチェリンは語る。


しかしA112ランナバウトは55年もの歳月の隔たりがあるし、ショーカーだったA112ランナバウトとは違って新型ランナバウトはロードカーだ。難しくはなかったのだろうか?
「ランナバウトのエッセンスを保ちながら、それをどう現代のエンジニアリングと法規に適合させるかが鍵だった。このバランスを追求するのは、もちろん簡単ではない。なにしろオリジナルのデザインは、たった2本のラインで定義されていたからね。しかしこのシンプルさが非常にやりがいのある経験をもたらし、革新的でありながら伝統に忠実なものを創造することができた」
2本のラインとは、ロールバーからL字を描いてノーズに至るウエッジラインと、その下でボディサイド中央をほぼ水平に貫く赤いライン。これをモチェリンは新型ランナバウトに忠実に再現した。

ひとつ55年前のオリジナルとの違いを挙げれば、ロールバーの根元に折れ線を設けてボディサイドに豊かな張りを持たせたことだ。ガンディーニのA112ランナバウトはロールバーとボディサイドが折れ目なくつながっていたが・・。
「オリジナルのキャラクターを保ちながらも、モダンにしたい。今日的な美意識に沿ったスタンスと力強さを強調するために、その折れ線を入れた。そうすることで、サイドビューの歯切れがよくてイタリア車らしいエレガンスと、リヤの特徴的なコーダトロンカを両立させることもできた」コーダトロンカとはリヤエンドをスパッと裁ち落とした処理。ドイツの空力エンジニア、カム博士が考案したものなのでカムテールとも呼ばれるが、それをザガートが60年代初期にいち早く取り入れて以来、イタリアではコーダトロンカの名で広まった。

A112ランナバウトはエンジンを黒いカバーで覆い、その後ろに少し空間を設けたコーダトロンカにすることでリヤの軽快感を強調したのが特徴。モチェリンはそのイメージを新型ランナバウトに巧みに再現している。
蘇る黄金時代
ベルトーネは今回のランナバウトを「ベルトーネ・クラシック・ライン」を立ち上げるものと位置付けている。ベルトーネの過去の作品から最も伝説的な傑作を選んで、シリーズ化しようというのだ。
モチェリンは「これは本当にユニークな取り組みだ」とした上で、こう続ける。「60年代後半から70年代初期のデザインが、その美しさと自動車の歴史を彩った個性を保ちながら公道を走れるクルマに再現されるというのは、とても刺激的なことだと思う」
ガンディーニやジウジアーロが才能を競い合い、トリノがカーデザインの聖地として花開いたのがまさに60年代後半から70年代初期。それは世界のカーデザインにとっても黄金期だった。あの時代の傑作をモダンに蘇らせる「ベルトーネ・クラシック・ライン」は、たんなる懐古趣味を超える意義を持つはず。現代のカーデザインが忘れてしまったものを考える、その第一歩として新型ランナバウトを見つめたいものだ。