伝説のリナ=モンレリー・サーキット100年祭【Part.2】

ソーセージも温める“元祖スーパーカー”とは? 伝説のリナ=モンレリー・サーキット100年祭【Part.2】

パーキングのスペースで目立っていたモデルといえば、数々のアルピーヌ。愛好家向けモデルとして、早くも成功の香りが漂う。これはWRC優勝50年を記念して発売された特別仕様車。後方のバンクでは、1974年フォード・エスコートRS1600Mk1が行く。
パーキングのスペースで目立っていたモデルといえば、数々のアルピーヌ。愛好家向けモデルとして、早くも成功の香りが漂う。これはWRC優勝50年を記念して発売された特別仕様車。後方のバンクでは、1974年フォード・エスコートRS1600Mk1が行く。
フランス自動車史に輝かしい歴史を残すパリ郊外「リナ=モンレリー・サーキット」。2024年10月12〜13日に開催された開設100周年の記念祭では、一般参加の走行会に「スーパーカー」のカテゴリーが設けられた。合わせて、数々の戦歴を誇る名車たちも数々みられた。

L’autodrome de Linas-Montlhéry

フランスのスーパーカー事情

スーパーカーの部の走行セッション。リナ=モンレリー名物である52°のバンクを抜けたエントラントが、続く直線にアプローチする。
スーパーカーの部の走行セッション。リナ=モンレリー名物である52°のバンクを抜けたエントラントが、続く直線にアプローチする。

冒頭から世知辛い話で恐縮だが、フランスで最新のスーパースポーツカーを所有するのは楽ではない。二酸化炭素排出量を基準した「マルス」という税制が近年導入されたためだ。2024年を例にとると「フェラーリ ローマ」を購入した場合、実に6万ユーロ(約980万円)を追加で支払わなければならない。「プジョー 2008」が車種によって170ユーロ(約2万7000円)で済むことを考えると、いかに厳しいものかがおわかりいただけるだろう。

ゆえに今回のリナ=モンレリーの会場も含めフランスで見かけるスーパーカーは、隣国、とくにタックスヘイブン国のナンバーが少なくない。これには明白なデータがある。カーインダストリー・アナリシスによる2022年調査によると、人口1000人あたりのフェラーリ新規登録台数は、1位がモナコ、2位がアンドラ、3位がルクセンブルクだ。とくにモナコは2.86台で、同じくフランスに接したアンドラの0.233台を大きく引き離している。

もちろんフランスでも良いことがある。ヒストリックカーに設けられたさまざまな優遇措置だ。登録から30年、かつフランス古典車協会(FFVE)の審査に合格すると、車検が簡略化され、かつインターバルが長くなる。初回登録時の、いわゆるオリジナルのナンバープレートも維持できる。過去にフランスで登録されたことがない型式のクルマでも容易に登録できる。強制保険も専用の安価なものが用意されている。日々のカーライフに関していえば、FFVEの古典車認定を受けた車両なら、欧州排出ガス基準「ユーロ」のグレードによって古いクルマの進入が規制されている都市部でも走行できるのである。古いユーズドカーの売買欄に、「FFVE認定済」と誇らしく記されているクルマがあるのはそのためだ。

先輩もご先祖も

さて今回のリナ=モンレリー・サーキットの100周年イベントで設けられた8カテゴリー中、スーパーカーの部には30台の一般参加車がエントリーした。最多はポルシェの13台で、次いでフェラーリとロータスが各3台だった。最も年長は2004年「ポルシェ 911 タイプ993」、最も若いものには「アルピーヌ A110R ル・マン」と「ロータス エミーラ」であった。

広義のスーパーカーという観点で臨むと、1970年代のカテゴリーにも興味深いモデルが“先輩”として存在感を放っていた。たとえば「シボレー コルベット(C3)」は、実はフランス人の間で長年、アメリカン・マッスルの愛好家が少なくないことを象徴している。

1972年「デ・トマソ パンテーラ グループ4」もいた。ロードゴーイング版であるGTと合わせて合計14台が製造されたうちの1台である。ヒストリーを見ると、1972年にモデナのファクトリーをラインオフ、翌3月にはマイク・パークスの手でテストが行われている。その後スイスのプライベート・レーシングドライバー、ヘルベルト・ミューラーの手に渡り1972年ル・マンなどを駆けた。

現在この車両をfor saleにしているパリ・セーヌ左岸15区のヒストリックスーパーカー・スペシャリスト「フレンチ・スピード・コネクション」は、「ル・マン・クラシックからデイトナ・クラシックといったヒストリック・レースや主要コンクールに参加申請可能」と胸を張る。今回のイベントは、プロにとってもポテンシャル・カスタマーと出会うチャンスとなった違いない。

芳醇な香りの発生源は?

会場はコース入場への準備を促すアナウンスがときおり流れるだけだ。車両の年代に不釣り合いなBGMなど一切ない。ゆえに来場者たちはバンクから響くエンジンサウンドやエグゾースト・ノートを存分に堪能できる。大人の社交場である。

昼どき、芳醇な香りが漂ってきた。メインスポンサーであるヤッコ・オイルのスタンドだった。屋外には航空機産業を発祥とする往年のフランス製高性能車「アヴィオン ヴォワザン LSR」がいる。クールなアルミボディの輝きを放つそれは、まさにここモンレリーで1927年に28時間を平均時速113マイル(約181.8km/h)で走破し、世界記録を樹立した。

フロントフードを開け放っているので何をしているのかと覗けば、なんと12気筒4.9リッター 140HPエンジンの放熱を巧みに利用したグリルでソーセージを焼いていた。香りの元は、これだったのである。こちらも、これ見よがしのアナウンスなどなく、さりげなくやっていたところが粋だ。

終始アイドリング状態だったものの、焼き終わりに差し掛かると、オイル漏れを起こしてしまった。さすがに寄る年波は隠せなかったようだ。しかしパフォーマンスの最中、多くのビジターたちによって終始スマートフォンのカメラが向けられていた。かくもスーパーカーのご先祖は人気者だった。

Report & Photo/大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)

リナ=モンレリー・サーキットの100周年記念祭で。ピットレーンでスタートを待つ一般参加車たち。2024年10月12日撮影。

伝説のリナ=モンレリー・サーキット100年祭【Part.1】あの“ダバダバダ”の舞台で

パリ郊外「リナ=モンレリー・サーキット」は、フランス自動車史の1ページを飾る施設である。2024年の開設100周年を迎え、その記念祭が10月12〜13日に開催された。その週末、越境組を含む多くの愛好家が自慢の愛車で集結し、かのフランス映画の名シーンにも登場する伝説のバンク付きコースを堪能した。

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著者プロフィール

大矢アキオ ロレンツォ (Akio Lorenzo OYA) 近影

大矢アキオ ロレンツォ (Akio Lorenzo OYA)

在イタリア・ジャーナリスト。国立音大ヴァイオリン専攻卒業。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)大学院 …