【自動車ブランドエンブレム秘話01:ポルシェ】金の盾の意味とは?

ポルシェの “金の盾” に秘められた物語 【自動車ブランドエンブレム秘話01:ポルシェ】

ひと目で「ポルシェ」と分かるエンブレムだが、そのデザインには歴史に基づいた深い想いが込められている。
ひと目で「ポルシェ」と分かるエンブレムだが、そのデザインには歴史に基づいた深い想いが込められている。
ポルシェのエンブレムに隠された意味とは?シュツットガルトの紋章をモチーフにしたデザインや、各要素が持つ深い意味を解説。ポルシェの歴史と地域とのつながりを紐解く。クルマの一番目立つ場所を常に占有する「エンブレム」。フェラーリの "跳ね馬" やメルセデス・ベンツの "スリーポインテッド・スター" など、自動車ファンでなくてもすぐに分かるモノは多い。この連載では、そうした "ブランドシンボル" に焦点を当てる。第1回は、他社と比べて複雑な構成のポルシェを取り上げる。

1930年に始まった「フェルディナンド・ポルシェ工学博士の会社」

フェルディナンド・ポルシェ博士は、ホイールハブにモーターを装着した電気自動車「Lohner-Porsche」を1898年に製作。その後、ダイムラー勤務などを経て1930年に独立し、翌年には会社としてのポルシェが誕生した。

会社としてのポルシェの歴史は1930年に始まる。この年の12月、当時55歳だったフェルディナンド・ポルシェ博士が起業。翌年4月に “Dr. Ing. h. c. F. Porsche GmbH” をシュツットガルトに設立した。12名のスタッフでエンジンおよび車両の設計を行い、同年にはトーションバー サスペンションの特許を取得した。

なお、“Ing. h.c.” は“ingenieur honoris causa” を意味(ドイツ語とラテン語由来)し、英語にすると “honorary degree in Engineering” となる。直訳すると「工学名誉学位」となるが、日本語ではDr (= 博士号)と合わせて工学博士とするのが適切だろう。また、GmbHは “Gesellschaft mit beschränkter Haftung” の略で、直訳すると「有限責任会社」となり、株式会社や日本に以前あった有限会社に近い。

現在まで続くポルシェの正式社名である“Dr. Ing. h. c. F. Porsche GmbH”を日本語に直訳すると、「フェルディナンド・ポルシェ工学博士の会社」となる。

「ポルシェ」ブランドのクルマは1948年に誕生

グミュントにあるファクトリーで制作中の "No. 1"。左から2人目がフェリー・ポルシェ。
グミュントにあるファクトリーで制作中の「ポルシェ 356 “No. 1” ロードスター」。左から2人目がフェリー・ポルシェ。

クルマとしての「ポルシェ」は1948年に誕生した。ポルシェ博士の息子フェルディナンド・アントン・アーンスト・ポルシェ(Ferdinand Anton Ernst Porsche)、通称フェリー・ポルシェ氏は開発のきっかけをこう語っている。

「私は自らが理想とする車を探したが、どこにも見つからなかった。だから自分で造ることにした。」

オーストリアでつくられた “ゼロ号機”

「ポルシェ 356 "No.1" ロードスター」はVW製をチューンナップしたフラット4エンジンを(1.1リッター)リアアクスル前方に搭載したプロトタイプ。
「ポルシェ 356 “No.1” ロードスター」はVW製をチューンナップした1.1リッターフラット4エンジンをリアアクスル前方に搭載したプロトタイプ。

こうして誕生したのがプロトタイプの「Porsche 356 “No.1” Roadster」であり、ポルシェの名を冠した初めてのクルマだ。356の量産はシュトゥットガルトで行われたが、No.1は第二次世界大戦中に会社が“疎開”したオーストリア北西部にある小さな町グミュントでつくられた。

エンブレム誕生のきっかけはアメリカ

基本的なデザインは当初から変わっていないポルシェ「クレスト」。
基本的なデザインは当初から変わっていないポルシェ「クレスト」。

ポルシェの紋章(Crest)が誕生するのは、さらに4年後の1952年。アメリカの実業家マックス・ホフマンが、視覚に訴えるシンボルマークの制作を提案した。この時フェリーは、「ポルシェとシュツットガルトの紋章またはそれに類するものをあしらったステアリングホイール・リム」とメモに書き記している。(“Steering wheel rim decorated with ‘Porsche’ and the Stuttgart crest or similar.”)

初期デザインは、当時ポルシェのデザイナーだったフランツ・クサヴァー・ライムシュピース氏が行った。そのエンブレムは、「356」のステアリングハブに刻まれてから2年後の1954年からボンネットにも取り付けられるようになった。1973年から2023年まで合計5回のリファインが行われているが、基本的なデザインに変更は加えられていない。

シュトゥットガルトの紋章

シュツットガルト市の紋章。
シュツットガルト市の紋章。

ポルシェのエンブレムを構成するのは馬、鹿の角、赤と黒のストライプ、そしてPORSCHEの文字という4つの要素だ。金色の盾の中央に “STUTTUGART” の文字と共に描かれている力強い馬の絵は、シュツットガルト市の紋章からとったもの。この街の起源は10世紀頃に設けられた馬の繁殖場(stuotgarte)に遡り、馬がこの地域の象徴として古くから用いられているという。

ヴュルテンベルク王国の歴史と伝統

ヴュルテンベルク王国の紋章。
ヴュルテンベルク王国の紋章。

左上と右下に描かれているのは鹿の角。シュツットガルト市はバーデン=ヴュルテンベルク州の州都だが、旧ヴュルテンベルク王国の首都でもあった。王国の紋章(国章)に描かれていた3本の角がモチーフとして採用されている。

鹿の角の左右に並んでいる赤と黒のストライプも国章が由来とされる。この地域は複数の小さな領地が統合されて王国を形成していたため、国としての統一性と多様性の調和を象徴していたという。さらに、狩猟文化を表した鹿の角と組み合わせることで、領地の豊かさと力を誇示したともいわれる。

また、中世ヨーロッパでは赤という色が勇気や力を表しており、領主や騎士の気高さや勇敢さを表現するのに用いられたとされる。黒は威厳や知恵、忠誠を象徴する高貴な色と見なされていた。当時は、統治者の権威や強い意志を表すために使われることが多かったようだ。

地域の伝統に根付いたポルシェのダイナミズム

故郷の歴史と伝統に基づいたポルシェのアイデンティは、現代にも受け継がれている。写真は昨年50周年を迎えた911 ターボの限定モデル。
故郷の歴史と伝統に基づいたポルシェのアイデンティティは、現代にも受け継がれている。写真は昨年50周年を迎えた911 ターボの限定モデルから。

そしてエンブレムのトップには「PORSCHE」の文字が大きく刻まれている。ポルシェが、地域の歴史と伝統に基づいた気高さと職人魂(クラフツマンシップ)と共にあることを表現しているのがこのエンブレムと言えるだろう。シュツットガルト市の紋章をモチーフにしたデザインや、各要素が持つ深い意味は、ポルシェが世界的なブランドへと成長する過程で培われた、地域への誇りとダイナミズムを物語っている。

PHOTO/Porsche AG

熱狂的なファンに支えられ今でも高い価値を誇る「911 カレラ RS 2.7」。いわゆるナナサンカレラだ。

ポルシェはなぜ今でもRRを信奉するのか?【歴史に見るブランドの本質 Vol.4】

自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

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石川 徹 近影

石川 徹

PRエージェンシーやエンジニアリング会社、自動車メーカー広報部を経てフリーランスに。”文系目線”でモビ…