【自動車ブランドエンブレム秘話03:マセラティ】 “トライデント” を戴くイタリアの至宝

イタリアの至宝マセラティ、 “トライデント” が語るレースへの情熱とラグジュアリーの融合 【自動車ブランドエンブレム秘話03:マセラティ】

ローマ神話が由来のマセラティのエンブレム「トライデント」。
ローマ神話が由来のマセラティのエンブレム「トライデント」。
イタリアが生んだ至宝、マセラティ。その歴史は、1914年にボローニャで創業された小さな工房から始まった。マセラティ兄弟の情熱と、故郷への誇りが生み出したエンブレム "トライデント" は、レースとラグジュアリーを融合させたマセラティのブランドアイデンティティを象徴している。

ボローニャの街で生まれたマセラティ

創業の地であるボローニャの街。マッジョーレ広場に近いぺポリ通りにある旧本社前に集まったマセラティ兄弟。
創業の地であるボローニャの街。マッジョーレ広場に近いぺポリ通りにある旧本社前に集まったマセラティ兄弟。

1914年、イタリアのボローニャでマセラティ兄弟が工房 “Società Anonima Officine Alfieri Maserati” を立ち上げた。日本語に訳すと、「アルフィエーリ・マセラティ工房株式会社」。中心人物であるアルフィエーリ・マセラティは、レースへの情熱と技術に関する先見の明をもった人物だった。

当初はスポーツカーのチューニング会社としてスタートしたが、アルフィエーリの力によってマセラティは自動車メーカーへと進化していく。

故郷への誇りの象徴“トライデント”

マッジョーレ広場にある噴水には、「トライデント」を持ったネプチューンが力強く立っている。
マッジョーレ広場にある噴水には、「トライデント」を持ったネプチューンが力強く立っている。

「トライデント」と呼ばれるエンブレムをデザインしたのが、アルフィエーリの弟で画家だったマリオだ。トライデントは、先が3本に分かれた矛を指す。ローマ神話に登場する水の神ネプチューンが持つ三叉の槍もこう呼ばれる。

マセラティが誕生したボローニャのランドマークとなっているマッジョーレ広場には、地元住民に親しまれている噴水がある。そこではトライデントを持ったネプチューン像が神々しい姿を見せており、今でもボローニャのシンボルとなっている。

この像のトライデントにインスピレーションを受けたマリオがデザインしたのが、今日まで続くマセラティのエンブレムだ。ネプチューンの勇気と力を象徴するとともに、誕生の地であるボローニャへの敬意を表している。

グランツーリスモの誕生、GTカーの先駆け

タルガ・フローリオに参戦した「マセラティ ティーポ26」。
タルガ・フローリオに参戦した「マセラティ ティーポ 26」。

1926年、マセラティは「ティーポ26」でタルガ・フローリオに参戦し、レースの世界にデビュー。その後も、タツィオ・ヌヴォラーリがドライブした「8CM」など、数々のレーシングカーで勝利を重ねてその名を世界に轟かせた。レースで培われた技術は市販車にもフィードバックされ、マセラティのスポーツカーとしてのポジションを確立していった。

クルマづくりにおいては順風満帆に見えたマセラティだったが、経営面は困難な状況だったようだ。1937年には実業家のアドルフォ・オルシが買収し、拠点をモデナに移転した。

トライデントの変遷

ティーポ26から始まるオリジナルのエンブレムは、縦長の長方形にトライデントとMASERATIの文字を縦に並べたものだった。会社の所有がオルシに変わって以降、現在まで受け継がれる縦長オーバル(楕円形)に変更されていく。下1/3がブルーでMASERATIの文字を背景色で抜き、上2/3にトライデントをあしらうというレイアウトは基本的に変わらず、時代の変化に応じたリファインを繰り返している。

今日に至る歴史の中では、赤一色のバージョンやMASERATIの文字が大型化して楕円から飛び出したデザインなども使用されたとする説もある。また、車種によってはエンブレムに加えてフロントグリルなどに大型のトライデント型バッジを装着するケースもある。現在のモデルでは、グリルに加えてリヤクオーターピラーにもトライデント型バッジを付けるのが一般的なようだ。

成長を続けるマセラティ

“ホワイトレディ”と呼ばれた「マセラティ 3500GT」。

オルシの手腕で経営は安定し、マセラティはその地位を固めていく。1947年には「1500グランツーリスモ」の量産を開始。このクルマから、今日「GT(グランツアラー)」と呼ばれるカテゴリーが誕生した。

小型のGTや2シーターモデルの開発にも着手する。「3500GT」は“ホワイトレディ”と呼ばれ、最も美しいマセラティとされる。1966年のトリノモーターショーでは、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインにV8エンジンを載せた「ギブリ」を発表。同時にレーシングエンジンを積んだ高級セダンの開発も進めていた。これが「クアトロポルテ」だ。

シトロエンからプジョーへ

「マセラティ カムシン」はマルチェロ・ガンディーニがデザイン。
「マセラティ カムシン」はマルチェロ・ガンディーニがデザイン。

その後、自動車業界は変革の時を迎える。オーダーメイドによる手作りから大量生産への道を歩み始めると、1968年にオルシはマセラティの株式60%をシトロエンに売却する。シトロエン時代のマセラティは「ボーラ」や「メラク」、「カムシン」などの名車を投入。やがて、マセラティはプジョーおよびイタリアの公的団体「GEPI(産業管理投資会社)」に経営が移る。

フェラーリと共に

「マセラティ ビトゥルボ」は37000台を販売するヒット作となった。
「マセラティ ビトゥルボ」は37000台を販売するヒット作となった。

1980年代、マセラティは「ラグジュアリーで美しいボディにパワフルな6気筒エンジンを積んだリーズナブルな価格帯」のクルマづくりを目指した。そのビジョンのもと、「ビトゥルボ」などが世に出る。

1993年にはフィアット傘下に入り、4年後にはフェラーリの子会社となった。ジウジアーロがデザインしたボディにフェラーリ製V8エンジンを搭載した「3200GT」が1998年のパリモーターショーでデビュー。2004年には「エンツォ・フェラーリ」をベースにしたスーパーカー「MC12」が登場した。

トライデントは永遠の象徴

コスモポリタンな企業ぐループの一員となった今も、マセラティのアイデンティティはボローニャのネプチューンとともにある。
コスモポリタンな企業グループの一員となった今も、マセラティのアイデンティティはボローニャのネプチューンとともにある。

2005年にはフェラーリから離れアルファロメオと合流。さらに2021年にフィアット・クライスラー・オートモビルズとグループPSAが合併したことで、現在のマセラティはステランティスの一員として活動を続けている。シトロエン、プジョー、フィアット、フェラーリの傘下を経て、イタリア・フランス・アメリカで構成されるコスモポリタンなグループに属することになった。

このように、マセラティの歴史は波乱に満ちたものであると同時に情熱、革新、そして挑戦の連続だった。オーナーは変わっても、トライデントのエンブレムが創業者の精神を受け継ぎ、マセラティのブランドアイデンティティを今もなお象徴しているといえるだろう。

PHOTO/MASERATI

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著者プロフィール

石川 徹 近影

石川 徹

PRエージェンシーやエンジニアリング会社、自動車メーカー広報部を経てフリーランスに。”文系目線”でモビ…