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プジョーの始まりは鉄工所だった

プジョーの起源は、フランス東部のスイス国境近くにあった家族経営の鉄工所に遡る。ジャン=ピエールとジャン=フレデリックのプジョー兄弟が「プジョー兄弟社(Peugeot Frères)」を1810年に設立したのが会社としての始まりだ。当時はバネやコーヒーミル、ミシンなど、鉄を材料とした製品を造っていた。
自動車メーカーとしては1889年に第一歩を踏み出す。自転車の製造を行っていたジャン=フレデリックの孫アルマンが、三輪の蒸気自動車をパリ万国博覧会で披露した。その後、ダイムラー製ガソリンエンジンを搭載した初の四輪車「タイプ2 クアッドリサイクル(Quadricycle)」を開発。1896年にはプジョー自動車株式会社(Societe Anonyme Des Automobiles Peugeot)が誕生した。
なぜライオン?エンブレムに秘められた意味


プジョーといえばライオンがトレードマークだが、これは鉄工所時代からの伝統だ。発祥の地であるエリモンクールの街がある “フランシュ・コンテ地域圏” では、勇敢さの象徴として紋章にライオンが描かれていた。プジョー兄弟社は、ライオンをエンブレムに使うことで自社製品の強さや品質の高さにこだわる姿勢を表現したと言われている。
1905年にはプジョー車に飾られる最初のエンブレムが考案された。矢の上を歩くライオンのデザインは、クルマ以外にバイクや工具類などにも使用された。また、1923年には 彫刻家ルネ・ボーディションがライオンのマスコットをデザインし、ボンネット先端に取り付けられた。10年後、このマスコットはライオンの頭部を強調した、より洗練されたデザインに進化している。
プジョー エンブレムの変遷



1948年には第二次世界大戦後初のモデルとなる「プジョー203」が登場。それに合わせ、フランシュ・コンテ地域の紋章にある雌ライオンを再現した新しいエンブレムが導入された。なお、安全面への配慮が進み、1958年からはボンネットに装着していたライオン頭部のマスコットが廃止され始めたという。
その後は、フレームが盾型に変更されたり、たてがみを風になびかせたライオンの横顔に変わったり、フレームを取り去ったりとエンブレムには変更が施された。1975年には、輪郭のみの「ライオン・アウトライン」へと進化。この時に、後ろ脚で立ち上がり前足を前方に伸ばしたエネルギッシュな態勢のライオンが登場した。
1998年には、線を強調したイオン・アウトラインから重厚感のあるクローム調に変更。2010年からは艶消しと艶出し2種類のメタリック加工でコントラストをつけた、よりダイナミックなライオンに変わった。その歴史の中で比較的頻繁にデザイン変更が行われてきたプジョー車のエンブレムだが、立ち上がったライオンは50年近くの長きにわたってフロントグリルを飾った。
現代に蘇る「盾とライオン」

2021年に新型「308」が欧州市場に投入されたタイミングでエンブレムもフルモデルチェンジした。プジョーの新デザイン言語を推し進めたスタイリングに、最先端の技術を融合したモデルだと紹介された308は、“新しいプジョーを体現する”モデルである。象徴となるエンブレムが刷新されたことで、“タイムレスかつ普遍的で多様な文化に対応するアイデンティティを表現”しているという。
ライオンの横顔に戻ったデザインについては、「1960年代のエンブレムに着想を得て、力強い現代性を表現するために再解釈した」と説明している。盾形のフレームに、ライオンの頭部とPEUGEOTの文字を配するのは1960年の「404」登場以来のこととなる。フランスで最も古い自動車メーカーとしての歴史と、現代の価値観を融合させたデザインと言えるだろう。それぞれの時代に求められる力強さと高品質を象徴しているのがプジョーのエンブレムだ。
PHOTO/STELLANTIS