ポルシェ初の女性役員は調達部門のトップに

ポルシェ初の女性役員、半導体危機脱出の鍵を握ったバーバラ・フレンケルに聞く「調達」のスキル

ポルシェAGの取締役会の役員
ポルシェAGのボードメンバーの面々。写真左から3番目が、2021年6月1日付けで同社初の女性役員となったバーバラ・フレンケル氏。
2021年6月、ポルシェ初の女性取締役として、バーバラ・フレンケルが登用された。ポルシェ製スポーツカーを愛するフレンケル氏は、同社から熱烈なラブコールを受けてサプライヤーからポルシェへ転職したという過去をもつ。現在は、調達担当役員として半導体不足問題にも最前線で対応している。

購買関連の取り扱い高は年間で邦貨約1兆円超

ポルシェ初の女性役員、バーバラ・フレンケル氏
ポルシェ初の女性役員、バーバラ・フレンケル氏。同社の調達担当役員として、半導体不足問題にも対応している。

ポルシェAGは、2021年6月1日付けで同社初の女性役員としてバーバラ・フレンケルを任命。7名で構成する取締役会に加わったフレンケル氏は、ヨーロッパのセールス部門長を経て、6月以降は調達担当役員としてミッションに取り組んできた。

同社にとって調達部門は非常に重要なセクション。プロダクトの80%は外部のパートナーからの部品で占められており、購買関連の年間取り扱い高は90億ユーロ(約1兆1700億円)超にのぼるという。

企業財政を左右する鍵を握るセクションでありながら、調達部門にスポットライトが当てられることはあまりない。しかし、世界中が半導体不足問題に悩まされる今、その危機を何としても乗り越えるねばならないという過酷な使命が課せられている。

1台につき平均5000種の半導体が必要

「現代の車両は、1台につき平均5000種類もの半導体を搭載しています」とフレンケル氏は説明する。「実は、我々はこれまでのところ、すでに半導体危機を切り抜けることに成功しているのです」

それでも車両の生産台数は縮小し、一時的に勤務時間を短縮せざるを得ない従業員たちも存在した。生産ラインをスムーズに動かすためには、時に緊急的対応も必要になるという。例えば、顧客と相談の上で、まずは機械式のステアリングホイールを装着した新車を納車。電制部品の準備が出来た段階で、改めてディーラーにて交換作業を実施するという方策である。また、社内の業務用車両の場合はスペアキーをつけずに受け渡すこともあった。「ひとつとして価値のない半導体はありません」とフレンケル氏は語る。

フレンケル氏のオフィスはツッフェンハウゼンの本社ではなく、開発の拠点であるヴァイザッハに置かれている。「新しいプロジェクトが走り出した時は、調達部門と開発陣は密に連携します。近くにいれば、十分なコミュニケーションが可能です」

仏Valeoの子会社から米TRWへ

フレンケル氏はドイツのフランケン地方にあるホーフという街で生まれた。中等教育後は、バイエルン州バイロイトで化学を、さらにニーダーザクセン州ハノーファーでゴム技術を学んできた。最初に勤務したのは、洋服用の肩パッドやライナー材を製造する中堅企業のHelsa-Werke。27歳の時、フレンケル氏は同社の子会社で管理職の地位を獲得している。チームをまとめる立場に登用されたのは初めての経験だった。「私はそれまでリーダーシップを学ぶセミナーや、従業員の教育プログラムといったものを受けたことがありませんでした。チャンスを掴んだと同時に、とても困難な状況に身を投じたと実感しました」

Helsa-Werkeに10年勤めた彼女は自動車部品メーカー、仏・Valeoの子会社へ転職。その数年後、同じく自動車部品サプライヤーである米・TRWに仕事場を移している。ヨーロッパでのサプライヤーネットワークを拡張中であったTRWでは、現在と同じく調達業務を担当していた。

人生を変えた一本の電話

ポルシェ 911(993型)のリヤビュー
バーバラ・フレンケル氏はかつて兄弟の空冷911(タイプ993)に乗り、いつかは自分でこんなクルマを所有したいと考えたという。

ある日、一本の電話がかかってきた。スピーカーから流れてきたのはヘッドハンターは「南ドイツのメジャーな会社が品質管理マネージャーを探しているのですが」そう言って、関心があるかどうかを彼女に尋ねた。その問いかけに対し、フレンケル氏は「関心がある会社はただひとつ、ポルシェです。もしもポルシェでないのなら話し合うことはありません」と答えた。するとヘッドハンターは「でしたら、必ず会うべきです」と続けたという。

そもそも彼女には、大きな自動車メーカーで働く意志がなかった。「私はサプライヤーでの精力的な仕事を楽しんでいました。サプライヤーでは絶えず挑戦し、克服し、進化し続けていかなければなりません」そう語るフレンケル氏にとって、大きな自動車メーカーはいささか動きが鈍そうに映ったのである。

当時のポルシェは今ほど規模が大きくなかった。「私はサプライヤー勤務時代同様、精力的に仕事へ取り組みたかったのです。ポルシェは決して成功に満足をせず、自分自身を更新し続けるメーカーです。だからこう思いました。『あそこならきっととても私に合うはず』って」。ポルシェには個人的な思い出もあった。「一度、兄弟のポルシェに乗ったことがあるんです。シルバーの空冷993型カレラ2でした。そのドライビングダイナミクスは飛び抜けて素晴らしいものでした」。911を降りたとき、彼女はこう思ったそうである。「人生のどこかできっと、こんなクルマが欲しい」。 今、彼女は社用車として赤い911 ターボに乗っている。

「諦めるという選択肢はない」

2001年、フレンケル氏はポルシェの門戸を叩く。しかし、品質マネージャーの仕事は決して楽なものではなかった。初期段階で発生する品質問題を防ぐために、問題を排除したうえで迅速にチームを再び動かさなければならない。それには丁寧な説得が必要だった。

「チームの面々に対して、強要するようなことがあってはいけません。新しいアイデアの方が正しいのだと確信を持ってもらうことができれば、彼らは協力してくれるでしょう」

「困った時もありました。でも、“諦めるという選択肢はない”というのが私のモットー。これもチャンス。そう捉えて、もしもすぐに上手くいかない場合は新しい計画を練り上げました」

2021年版の米国自動車耐久品質調査「2021 Vehicle Dependability Study」で、ポルシェはブランド別ランキングでLexusに次ぐ2位を獲得している。彼女の苦労は報われた。そういうことになるだろう。

2021年8月27日~31日には、北海道を舞台に5日間の体験合宿「LEARN with Porsche」が開催された。

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著者プロフィール

三代やよい 近影

三代やよい

東京生まれ。青山学院女子短期大学英米文学科卒業後、自動車メーカー広報部勤務。編集プロダクション…