ランボルギーニが半世紀前に生んだ画期的なグランツアラー、エスパーダ

「まるでコンセプトカーのよう」今見ても新しいランボルギーニ エスパーダ ポール・マッカートニーも所有した4シータークーペを振り返る

ランボルギーニ エスパーダのフロントビュー
ランボルギーニ初の4シーターモデルとして1968年に登場したエスパーダ。1978年までの10年で、計1226台が生産された。
ランボルギーニ初の4シーターモデル、エスパーダは1968年に登場した。マルチェロ・ガンディーニの描いた美しいプロポーションに大人4人が快適に過ごせるルーミーな空間を備えたクーペは、当時のランボルギーニの最量販車種となった。21世紀の今振り返っても斬新に見えるエスパーダは、一体どんなクルマだったのだろうか。

Lamborghini Espada

まるでショーカーのようなデザイン

1968年3月のジュネーブショーで、ランボルギーニはエスパーダを発表した。大人4人がゆったりと座れる独立シートと、十分な荷物用スペース、そして自慢のV12エンジンを包み込んでいたのは、ベルトーネの鬼才マルチェロ・ガンディーニがデザインした、いかにも先鋭的なスタイリングだった。

V12エンジンを飲み込む伸びやかなロングノーズに、後席乗員にも余裕のあるヘッドルームを与える水平なルーフライン、カーブを描くサイドウインドウ、室内へ明るい光を取り込むガラスハッチ。そのデザインはまるでショーカーのように大胆で斬新に映った。

マルツァルの斬新なスタイルがモチーフ

それもそのはず、エスパーダのデザインは、ショーカーの中でも屈指の独創性で知られるマルツァルの流れを汲んだものだった。マルツァルは、1967年のジュネーヴショーで披露された伝説的なコンセプトカーである。

全面ガラス張りのガルウイングドアにガラスパネル製のルーフを組み合わせた4シータークーペコンセプトは、もちろんマルチェロ・ガンディーニ作。エスパーダは、時代を2歩も3歩も先取りしていたマルツァルと、やはりガンディーニが手掛けたもうひとつのコンセプトカー、ジャガー ピラーナのモチーフを色濃く受け継いでいたのだ。

ミウラに迫るパフォーマンスを発揮

エスパーダのボディは全長4.67m、全幅1.82m、全高1.19mと、低く幅広い。フロントには325hp/7200rpmを発生する4.0リッターの60度V型12気筒エンジンを搭載。なお、1970年に登場したシリーズ2では最高出力が350hp/7500rpmまで引き上げられている。

シリンダーヘッド、クランクケース、ピストンにもアルミニウムを多用することで、V12ユニットの重量はわずか232kgに抑えられていた。そこにサイドドラフト型のウェバー製キャブレター(40 DOCE)を6基装着し、フロント部へマウント。室内に十分なスペースを確保するべく、搭載位置は350 GT/400 GTよりもわずかに前方へ移動している。アルミニウム製のボンネットは前ヒンジ式で大きく開き、エンジンルームにもアクセスしやすくなっていた。

これはいかにもランボルギーニらしい主張だが、エスパーダは初披露時点で「世界で最も速い4シーターカー」を謳っていた。その最高速度は245〜260km/hに達し、グランドツアラーでありながら、ミウラに迫るパフォーマンスを標榜していたのである。

ハイドロ仕様のエスパーダも

400 GTのシャシーをベースとして開発されたエスパーダだが、ルーミーなキャビンを確保するべくホイールベースは2650mmまで延長されている。トレッドも149cmと、400 GT比で11cm幅広い。

前後にダブルウィッシュボーン+コイルスプリング式の独立懸架サスペンションを採用するエスパーダだが、1968年11月のトリノショーではハイドロニューマチックサスペンションを装備した仕様を発表。同システムは要望に応じて装備することが可能だったが、実際にオーダーした顧客はごくわずかだったという。

ウルトラレアなVIPバージョンはミニバーやTVを装備

広い室内に加え、エアコンやパワーステアリングもオプションメニューにリストアップするなど、使いやすさをぐっと向上したエスパーダはランボルギーニのユーザー層を拡大。1968〜69年の「400 GT」は176台、1970〜1972年の「400 GTE(シリーズ2)」は578台、1972〜1978年の「400 GTS(シリーズ3)」は472台と、10年にわたり累計1226台を生産するベストセラーとなった。

1971年には、ショーファーカー並みに豪勢な装備を盛り込んだエスパーダ VIPを追加した。ボディは専用のオレンジにペイントされ、内装にはオレンジとブラックのツートーンレザーを採用するという華やかさ。さらに、ミニバーと冷蔵庫、そしてリヤのセンタートンネル上にはイタリアの家電メーカーBrionvega社製のテレビ「Algol 11」を設置していた。シリーズ2をベースにしたこの“VIP仕様”はわずか12台だけしか作られておらず、現在ではエスパーダのコレクター間で非常に人気の高いモデルのひとつとして知られている。

ビートルズのポール・マッカートニーも所有

ランボルギーニ エスパーダのリヤビュー
実用性を美しい姿態へ見事に包み込んだランボルギーニ エスパーダ。年間100台超の販売を記録するヒット作となった。

エスパーダを愛したセレブリティは数多い。ランボルギーニの愛好家であったポール・マッカートニーもそのひとりである。彼が購入したのは1972年製のシリーズ3で、右ハンドル/マニュアルトランスミッション/赤いボディカラーに赤いレザーのインテリアという組み合わせだった。

ポール・マッカートニーの妻リンダも、この華やかなエスパーダをしばしば運転した。ある日彼女はニュートラルにしたままハンドブレーキをかけ忘れ、近くの池に車両を水没させてしまった。3日後に水から引き上げられたエスパーダは、のちに別のオーナーへと売却。新しいご主人のもとで何年か過ごした後は、イギリスのパブの“装飾”として使用されていたという。しかし2005年にはとある愛好家へと売られ、現在はオーストリアにあると考えられている。

1986年にはアメリカの人気司会者ジェイ・レノが1969年に作られた最初のシリーズ2を購入。自動車雑誌『EVO』を創刊したハリー・メトカーフも長年にわたりエスパーダを所有してきた。また、エスパーダの美しいビジュアルは数々の映画シーンも飾っており、“出演回数”はおよそ50にのぼる。ちなみに、名車の数々が登場することで知られるTVアニメ『ルパン三世』の初期シリーズでもエスパーダの姿を見つけることができる。

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著者プロフィール

三代やよい 近影

三代やよい

東京生まれ。青山学院女子短期大学英米文学科卒業後、自動車メーカー広報部勤務。編集プロダクション…