歴史から紐解くブランドの本質【アウディ編】

アウディの源流はどこにある?【歴史に見るブランドの本質 Vol.3】

1985年モンテカルロラリーでのアウディ スポーツ クワトロ。これがアウディブランドを不動のものにした。
1985年モンテカルロラリーでのアウディ スポーツ クワトロ。これがアウディブランドを不動のものにした。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドを売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカー歴史から、そのブランドを考察する。

Audi

フォーリングスの由来

アウトウニオン シルバーアロー。1934年ベルリンのアヴス(サーキット)にて。

アウディの歴史はいささか複雑だ。アウディという会社自体はアウグスト・ホルヒによって1910年に設立された。ホルヒは自らの名を冠した会社を1901年に設立していたが、経営上の対立から追放されてしまい、別会社を設立したというわけだ。自らの名は使えないので、ホルヒ(「聞く」という意味)のラテン語であるアウディを社名にしたのである。

しかし1932年にホルヒとアウディはDKW、ヴァンダラーとともに4社合併となりアウトウニオン社となる。4社が合併したことから4つの輪がつらなるロゴマークが採用されたのである。4つ輪のマークはすべての製品につけられたが、4つのブランドはそれぞれ存続する形だった。

現代アウディの源流

アウトウニオンは旧東ドイツ側に位置していたため、第二次大戦後はまた複雑な経緯をたどることになる。東側の工場はその後トラバントなどを生産するようになるが、西側でも独自にアウトウニオンを復活させる動きとなった。設立された場所は現在のアウディにつながるインゴルシュタットである。当初作られたのはDKWブランドの車とモーターサイクルだった。

しかし1958年にアウトウニオンはダイムラー・ベンツに買収されてしまう。ダイムラー・ベンツ時代に生産された車はDKWないしアウトウニオンブランドだった。乗用車の主力アウトウニオン1000はDKWの技術をベースに作られた。DKWは戦前から2ストロークエンジンを縦置きにした前輪駆動を採用しており、このモデルもそのレイアウトを踏襲している。その後ブランド名としてDKWに統一される。

さらに1964年にまた大きな変化が起きる。アウトウニオンがフォルクスワーゲン傘下に移行するのだ。フォルクスワーゲンは当初アウトウニオン工場をビートルの生産拠点として活用した。一方、DKWの2ストロークエンジンは時代にそぐわなくなり、4ストローク化が求められた。DKWといえば2ストロークというイメージだったので、イメージを一新するためアウトウニオンの1ブランドだったアウディブランドを使うことになった。DKW由来の縦置き前輪駆動に4ストロークエンジンを搭載するという現在のアウディに通じる基本レイアウトはこの時に生まれたわけだ。

クワトロこそブランドの根幹

1980年ジュネーブ・ショーで発表されたアウディ クワトロ。

しかし当初のアウディは非常に地味な実用車だった。この、今ひとつさえないイメージのブランドを、一気にプレミアムブランドに育て上げたのがポルシェ博士の孫であるフェルディナンド・ピエヒである。ピエヒはポルシェでレーシングカーを開発するなど、高性能指向の技術者だったので、1980年代以降のアウディは一気に高性能化・先進化が進むことになる。

その象徴的存在が1980年に生まれたクワトロである。クワトロは5気筒ターボエンジンを搭載したフルタイム4WDという非常に画期的な車で、ラリーでも大活躍したことから、アウディに「高性能」「先進技術」「スポーティ」というイメージが一気に形成された。現在のアウディのブランドイメージは100%、このクワトロ以降に形成されたものといって良いだろう。

1919年6月、最高高度を記録したプロペラ機。6気筒エンジンを搭載する。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…