名車を作るために一番必要な要素とは

クルマづくりに近道なし。日本のデジタル開発依存への憂い 【渡辺慎太郎の独り言】

連載コラム「渡辺慎太郎の独り言」第16回。トビライメージ
連載コラム「渡辺慎太郎の独り言」第16回。トビライメージ。
現在、各自動者メーカーは新型車開発にデジタルツールを積極的に導入している。高度なシミュレーターの活用は、試作車にかかるコストや開発期間を削るのに大いに役立っている。しかし、デジタル開発依存度が高まり過ぎることには一抹の不安を覚える。画面の中、バーチャルの世界だけでは作り込めない性能というのものが、きっとあるはずだ。

“シモヤマ”という新たな聖地

連載コラム「渡辺慎太郎の独り言」第16回。トヨタ下山テストコースイメージ
トヨタ自動車は愛知県豊田市下山地区へ「トヨタテクニカルセンター下山」を新設。2019年春より、ニュル北コースを模した第3周回路から運用をスタートしている。

レクサスの新型ISのプレスリリースに「Toyota Technical Center Shimoyamaで鍛え上げられた優れた操縦性や乗り心地」と書かれていた。この“Toyota Technical Center Shimoyama”とは、トヨタ自動車が愛知県豊田市下山地区に新設した開発拠点で、そのほとんどはまだ建設中であるものの、カントリー路の運用が2019年4月に他に先駆けてスタートしている。

カントリー路は全長約5.3kmのテストコースで高低差約75mのアップダウンやさまざまなRのコーナーなど変化に富んだレイアウトになっていて、ニュルブルクリンクのノルトシュライフェを模したそうだ。レクサス ISは開発の終盤でここを走り込み、最終的なセッティングを導き出した。2023年には施設のすべてが完成し本格稼働する予定で、トヨタやレクサスの開発部隊はここに集結すると言われている。「オフィスの目の前がテストコース」という恵まれた環境下で、エンジニアは腕を振るうことになるのだろう。

トヨタは現在、豊田市の本社テクニカルセンターをはじめ、静岡県裾野市の東富士研究所、北海道士別市の士別試験場と3ヵ所のテストコースを有している。士別では雪上テスト以外にもオーバルのコースを使った高速域でのテストが可能で、東富士では乗り心地や操縦性のテストができるが、下山が完成すると高速周回路も併設されるので、雪上テスト以外はほとんどすべてを下山で済ませることができるようになるそうだ。

デジタルツールは開発現場への福音か

レクサスに限らず自動車メーカー各社が現在進めているのがデジタル開発である。これまでのデータや知見や経験をベースに、PCのモニターに映るグラフィックを見ながらシミュレーションを重ねてクルマを作るというやり方である。こうすることで開発期間の短縮や試作車の削減が図られて、時間とコストの大幅な節約が見込まれる。

特に試作車は多くの部品を一品モノとして製作するため、1台あたりの金額は数億円とも言われている。例えばいままでは開発中に50台作っていた試作車を半数以下に抑えることができれば、もの凄い金額の開発コスト削減につながるというわけだ。

ベテランエンジニアの嘆き

連載コラム「渡辺慎太郎の独り言」第16回。トヨタ下山テストコースイメージ
下山の新テストコースに作られた全長5.3km、高低差約75mのカントリー路は、長さも高低差もほぼニュルの4分の1。車両に不具合が生じた際にすぐピットインできるよう、道の脇に車両整備場を併設したのもニュルで得た知見から。

ところで先日、某自動車メーカーの古参のエンジニアと久しぶりに話す機会があった。いつもより少し元気がなかった彼が嘆いていたのは「言葉が通じない」だった。これまでの自動車作りは、経験を積んだエンジニアの感性に頼るところが多く、でもそれがそれなりのクルマを仕上げるには必要不可欠だった。

しかし、特定の人間の感性や経験やテクニックやスキルでは、その人間がいなくなった時点で開発が止まってしまう。そういう事態を避けることもデジタル開発推進の理由のひとつでもある。例えば、ベテランエンジニアがいいといった乗り心地をきちんとデータ化しておけば、今後はそのデータに収まるようにクルマを作ればいい。感性のデジタル化である。

「ところがそんな簡単な話じゃないんだよ、クルマ作りは」と彼は言う。彼が試乗して納得いかない部分があっても「いやでもそれは規定の数値内に収まっていますから、そんなことはありません」とそれ以上話が進まないそうだ。

「人間がクルマを動かす以上、人間の感性が必ず働くわけで、その部分を100%データ化するのは不可能。データ化が悪いとは言わないが、それに依存し過ぎると絶対にいいクルマなんかできない。こっちは感性で話し、向こうはデータで話す。だから最近の現場では言葉が通じない」と憂う。

それでもニュルに行くべき理由

こういう声は、他の自動車メーカーでも最近よく耳にする。しかしその自動車メーカーとは日本のメーカーであり、同じようにデジタル開発が進んでいる海外の自動車メーカーからは聞いたことがない。

日本の自動車メーカーの、「効率の向上」のためだけのデジタル開発の台頭がいま、個人的には気がかりでならないのである。不必要に試作車をつくったり無闇に走ったりしなくてもいいけれど、必要最低限のテスト走行や試作車の活用までも削減されてしまうのはいかがものかと思うわけである。

例えばトヨタ/レクサスの下山のテストコースはニュルブルクリンクを参考に設計されているが、だからといって果たしてニュルブルクリンクでの実走行が本当にまったく必要ないのだろうか。これまでニュルブルクリンクでのテストが3回だったものが1度で済むようになったというのは適切な運用だと思うけれど、下山がある=ニュルブルクリンクでのテストは必要ない、という方程式にはならないのではないか。

テストコースの外にあるもの

連載コラム「渡辺慎太郎の独り言」第16回。トヨタ下山テストコースイメージ
デジタルツールや新たな開発拠点はこれからの新型車開発にとって不可欠な要素。しかし、それを活かすも殺すも、カギを握っているのはあくまで人間である。

レクサス ISは下山で鍛えられたそうだが、当然のことながらクルマには筋肉や神経は存在しないので、周回を重ねるほどに自動的に体幹が鍛えられるはずもない。鍛えられたのはエンジニアである人間のほうであり、人間がISを鍛えたのだ。

下山の運用はまだ始まったばかりなので、エンジニアにとっても新鮮であり、しばらくの間は運転スキルや解析力の向上が見込めるだろう。でも、それもいずれ慣れてくる。明確なデータがないので、あくまでも個人的な推測だけれど、フェラーリを本社にあるフィオラーノサーキットで走らせると他のどこで走らせるよりもすこぶるいいし、トヨタ車を東富士研究所で走らせるととてもよく出来ているように感じる。

自前のテストコースへの依存度が高いと、こうした現象が起こると思っている。でも、一般のユーザーはフィオラーノも東富士研究所も走れないし走らない。彼らが走るのは世界のリアルワールドである。特に今年はコロナ禍により、日本の自動車メーカーは開発中のモデルの海外でのテスト走行を自粛している。しかし、先日デビューしたメルセデスのSクラスは擬装を施して、8月くらいから都内を中心にテスト走行を繰り返していた。

汝、もっとクルマと接すべし

結局のところ、データを収集するのもそれをデジタル開発に活用するのも人間だし、エンジン・マネージメントやシフトプログラムやESPやトルクベクタリングや後輪操舵やeデフやアクティブ・スタビライザーや4輪駆動システムなどの電子デバイスの制御を決めるのも人間である。電子デバイスをどのようなタイミングでどれくらいの深度でフェードインさせてフェードアウトさせると違和感なくクルマの動きを上手にコントロールできるのか。それを判断するのは、プログラムする人間が実際にクルマを運転した経験値と感性である。

海外の自動車メーカーと日本の自動車メーカーの違いについて聞かれることがあるけれど、そういう時はいつも「クルマと接する時間があまりにも違う」と答えている。彼方の彼らのほうがずっとクルマにたくさん乗っている。それは日常だけでなく仕事でも、である。性別や年齢や役職や部署など関係なく、とにかくクルマに乗る。「自動車メーカーに勤めているのだから当たり前でしょ」と当然の素振りだ。

数年前のこと、スイッチを設計する日本の某メーカーのエンジニアと話をした。彼はその有用性や使い勝手を、モックアップを使って懇切丁寧に説明してくれた。「このスイッチを運転しながら実際に使ったことはありますか?」と聞いたら「それは実験部の仕事なので」と彼は答えた。仕事の細分化とそれを越境しないというルール厳守の徹底ぶりもさることながら、「せっかく自分で作ったスイッチを、運転しながらいじってみたくならないのだろうか?」と自分なんかは思ってしまった。リアルワールドでは、雨の夜のアウトバーンを200km/hで走りながらそのスイッチを使うユーザーがいるのである。

デジタル開発が進行したり、素晴らしいテストコースがあっても、いま以上に作り手側にもっとクルマをよくしたいという強い気持ちと、それを行動に移してクルマを乗り倒す気概がないと、いつまでたっても日本からは欧米のメーカーを震撼させるような名車は生まれないだろう。クルマを作るのはデータでもテストコースでもない。クルマは人が作る。そんなことはクルマがこの世に誕生した100年以上前から変わっていないのである。

REPORT/渡辺慎太郎(Shintaro WATANABE)

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著者プロフィール

渡辺慎太郎 近影

渡辺慎太郎

1966年東京生まれ。米国の大学を卒業後、1989年に『ルボラン』の編集者として自動車メディアの世界へ。199…