唯一無二の楕円ピストンを採用する孤高のスーパーバイク「ホンダNR」

誰も成し得なかった技術にこそプレミアムは宿る「ホンダNR」が搭載した「楕円ピストン・エンジン」とは?

ホンダNR。唯一無二のエンジンを目の字断面のツインスパーフレームに搭載し、倒立フォークや片持ち式のスイングアーム(プロアーム)、マグネシウムホイールと足まわりも最上のものを装着する。
ホンダNR。唯一無二のエンジンを目の字断面のツインスパーフレームに搭載し、倒立フォークや片持ち式のスイングアーム(プロアーム)、マグネシウムホイールと足まわりも最上のものを装着する。
プレミアムとは単純に高価な素材やパーツを使うだけではなく、誰も辿り着けない境地の技術にも備わるものだ。今回紹介する伝説のバイク「ホンダNR」はまさに、そういう意味でのプレミアムスーパーバイクである。

HONDA NR

エンジンこそメーカーの個性

フォルクスワーゲン・パサートW8に搭載されたW型8気筒エンジンは、シリンダーバンク角15度の狭角V型4気筒をさらに72度のバンク角で組み合わせている。シリンダーが互い違いに配置されているため、シリンダーヘッドはひとつしか持たず、カムシャフトも共用だ。そのため8気筒ながらV型6気筒に近いコンパクトなエンジンである。
フォルクスワーゲン・パサートW8に搭載されたW型8気筒エンジンは、シリンダーバンク角15度の狭角V型4気筒をさらに72度のバンク角で組み合わせている。シリンダーが互い違いに配置されているため、シリンダーヘッドはひとつしか持たず、カムシャフトも共用だ。そのため8気筒ながらV型6気筒に近いコンパクトなエンジンである。

各メーカーには代名詞のようなエンジンがある。たとえば、フェラーリのV型12気筒エンジン、ポルシェの水平対向6気筒エンジン(フラット6)、マツダのロータリーエンジンだ。バイクだとBMWの水平対向2気筒エンジン(ボクサーツイン)やハーレーダビッドソンのV型2気筒(Vツイン)といった具合だ。

ただそれらは決して無二のものではなく、他のメーカーも同形式のエンジンを搭載した車両を市販している。V12エンジンはランボルギーニやジャガー、トヨタだって作っているし、ボクサーツインやVツインも同様だ。それらに比べると、フォルクスワーゲングループの狭角V型エンジンをさらにV型に組み合わせる4バンク形式のW型エンジンはオンリーワンである。主要な要素となる狭角V型エンジンこそ、ランチアの創業者であるヴィンチェンツォ・ランチアによって1920年代に開発されたものではあるが、それを発展させてW型とした技術は素晴らしく、ユニークだ。

フォルクスワーゲンはこのW型エンジンを8気筒としたW8はパサート、W12はフェートンや同じグループのベントレー各モデルに、W16はも同じくグループ内のブガッティ・ヴェイロンやシロン……といった具合に、様々な市販車に搭載している。

このW型エンジンと同じくオンリーワンで、はるかに希少性が高いと断言できるのが、ホンダが1970年代後半にバイクのレース用エンジンとして開発し、1992年にたったひとつの市販モデルへ搭載した、楕円ピストン・エンジンである。なぜ「希少性が高い」のか? それはレシプロエンジンの長い歴史の中で、唯一ホンダのみが市販レベルにまで実用化した「真円(正円)でないピストン」のエンジンだからだ。

一旦は撤退した二輪レースへ

1969年に登場したCB750フォア。量産市販車として世界初の直列4気筒エンジンを搭載し、前輪ディスクブレーキやドライサンプの潤滑方式など当時の最上級の装備をおごられたバイク。4キャブレターの4本出しマフラーは威風堂々としたスタイルは世界中のバイク乗りに衝撃を与え、空前のヒット作となる。
1969年に登場したCB750フォア。量産市販車として世界初の直列4気筒エンジンを搭載し、前輪ディスクブレーキやドライサンプの潤滑方式など当時の最上級の装備をおごられたバイク。4キャブレターの4本出しマフラーは威風堂々としたスタイルは世界中のバイク乗りに衝撃を与え、空前のヒット作となる。

始まりは1977年──。1966年にWGP(ロードレース世界選手権)で最高峰の500ccクラスから350cc、250cc、125cc、50ccまでの全クラスでコンストラクターズチャンピオンを獲得したホンダは、1967年をもって「当初の目的を達成した」とWGPから撤退した。

そして当時クリアするのが不可能とまで言われたアメリカの排ガス規制、マスキー法に対応すべく、4輪部門の開発に力を注いだ。その努力が報われ、1972年には世界で初めてマスキー法をクリアしたCVCCエンジンを発表し、1973年にシビックに搭載、世界的な大ヒット車となる。

その間の2輪はというと、1969年にこちらも世界的大ヒットとなるCB750フォアを生んだものの、多くの主要な技術者が4輪に配置転換されたこともあって新技術の開発は進まなかった。レースから離れたことで最先端の技術を見聞することも少なくなっていた。「目的を達成したはずのホンダのバイクが、時代遅れになってしまう」とホンダは危機感を募らせていく。1977年には、1979年からのWGP500ccクラス復帰を発表。「革新技術を生み、将来の人材を育て、3年以内にチャンピオンになる」というテーマのもと、「New Racing」、略してNRプロジェクトが始動。マシンの名前も「NR500」と決定した。

オンリーワンの楕円ピストン・エンジン

750ccの耐久レース用エンジンの開発により、楕円ピストンエンジンの技術が向上。国内仕様は77PS/11500rpm、5.4kgm/9000rpm、レッドゾーンは15000rpmからで輸出仕様の最高出力は130PS/14500rpm、7.2kgm/9000rpmであった。
750ccの耐久レース用エンジンの開発により、楕円ピストンエンジンの技術が向上。国内仕様は77PS/11500rpm、5.4kgm/9000rpm、レッドゾーンは15000rpmからで輸出仕様の最高出力は130PS/14500rpm、7.2kgm/9000rpmであった。

この当時WGP500ccクラスでは4ストロークでも2ストロークでも、エンジンの排気量は500cc、4気筒までというレギュレーション。1966年に5クラスを制覇したホンダのバイクは全て4ストロークであったが、本来の特性としてはクランクシャフト2回転あたり爆発が1回の4ストロークに対し、1回転あたりの爆発が2回の2ストロークの方が、同じ排気量であればパワーを出しやすい。ホンダがWGPから撤退している間に、ライバル達の2ストロークは進化を遂げ、レースを席巻していた。

そういう状況にも関わらずホンダは、「ライバルに倣っていては、革新技術は生まれない」と、あえて不利な4ストロークをNR500のエンジンに選択。ライバルの2スト勢は500ccで120PSと想定し、NR500エンジンの目標値を130PS、20000rpmに設定した。この目標を達成するために、シリンダーのボア×ストロークと様々なバルブ形式が検討され、最終的にショートストロークで1気筒あたり8バルブが必要との結果を得る。

問題はその8バルブを真円のシリンダー内で駆動させるとなると、非常に複雑な機構が必要になってしまうことだった。打開策が見つからずにいたある日、プロジェクトリーダーの入交昭一郎が当時の長円の信号機を見て、楕円シリンダー&ピストンにすれば全てがきれいに収まるとひらめいた。このひらめきから1年以上。1979年の開幕戦には間に合わず、8月の第11戦イギリスGPでなんとかデビューにこぎつけ、片山敬済とミック・グラントの2人にマシンを託す。2台ともリタイヤという結果に終わったが、20000rpmの咆哮は圧倒的な存在感を示していた。

プレミアムな市販バイクとして

1979年、NR500(NR1)がついにGPデビューを飾る。片山敬済とともにハンドルを託されたミック・グラント(写真)は、NR500にとって初戦となるイギリスGPで、こちらも4ストロークにとっては不利な押しがけスタートで出遅れた後、第1コーナーで転倒し炎上。片山車も3周目にイグニッショントラブルでリタイア。続く第12戦では500ccクラスのレースは無かったが、この年の最終戦となる第13戦フランスGPでは屈辱の予選落ちを喫した。
1979年、NR500(NR1)がついにGPデビューを飾る。片山敬済とともにハンドルを託されたミック・グラント(写真)は、NR500にとって初戦となるイギリスGPで、こちらも4ストロークにとっては不利な押しがけスタートで出遅れた後、第1コーナーで転倒し炎上。片山車も3周目にイグニッショントラブルでリタイア。続く第12戦では500ccクラスのレースは無かったが、この年の最終戦となる第13戦フランスGPでは屈辱の予選落ちを喫した。

それから年を重ねるごとに性能を上げたNR500だったが、「3年以内にチャンピオン」どころか、WGPでは1ポイントも獲得できなかった。レースに勝つため、1981年1月にプロジェクトは2ストロークのNS500を投入することを決定。これを主軸としながら、並行してNR500の開発も続けられ、1982年のNR4型ではついに当初の目標値である130PSを達成した。

レースを走り切る信頼性も獲得していたのだが、時すでに遅し。デビューしたばかりのNS500がフレディ・スペンサーの手によってホンダに約15年ぶりとなるWGP優勝をもたらした一方で、ようやく勝てる性能を得たNR4は決勝レースを走ることすらなかった。こうしてNR500はWGP500を戦った最後の4ストロークマシンとして、ホンダの気概と技術力を示しながらもWGPから去ったのだ。

WGPから去ったとはいえ、ターボ装着や耐久レーサーの開発など、楕円ピストンの研究は継続されていた。そして1991年。東京モーターショーのホンダブースでひときわ多い人だかりを作る1台のマシンがあった。先進的なエアロダイナミックデザインのカーボンカウルを身にまとったそのマシンには「NR」の車名が誇らしげに輝く。ホンダのフラッグシップたるプレミアムな市販車として華々しく蘇ったのだ。

わずか300台の生産

市販車のNRのピストンとコンロッド。一般的な楕円ではなく、加工面とシーリング性で有利な正規楕円包絡線形状を採用する。
市販車のNRのピストンとコンロッド。一般的な楕円ではなく、加工面とシーリング性で有利な正規楕円包絡線形状を採用する。

楕円ピストン・エンジンは、747ccの水冷4ストロークV型4気筒DOHC32バルブエンジンへと結実。信頼性の高いカムギアトレーンをセンターに配置する方式を採用し、1気筒ずつ2本のチタンコンロッドと点火プラグを装備。多連式8ボアスロットルとコンピュータ制御のPGM-FIで燃料を供給。国内仕様は自主規制のため77PSだったが、輸出仕様は130PSを誇った。520万円という価格は当時の国産バイクとしては飛び抜けて高額であり、実際に300台で生産を終えたそうだ。とはいえ唯一無二の高性能エンジンを味わうための対価としてはバーゲンプライスである。

ホンダのチャレンジングスピリットと、独創、技術へのあくなき探究心を象徴するNRプロジェクトと、それを具現化した市販車であるNRは、いずれもバイクの歴史に大きく名前を刻み、未来永劫、孤高の存在として輝き続ける。

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