400GT、ミウラ、そしてカウンタックのランボルギーニの歴代12気筒搭載モデルに試乗

初期のV12ランボルギーニ3台に乗って考えた「ミウラやカウンタックが名作と呼ばれる本当の理由」

ランボルギーニ60周年に合わせて開催されたイベントで400GT、ミウラ、そしてカウンタックのランボルギーニの歴代12気筒搭載モデルに試乗した。
ランボルギーニ60周年に合わせて開催されたイベントで400GT、ミウラ、そしてカウンタックのランボルギーニの歴代12気筒搭載モデルに試乗した。
ランボルギーニの歴代12気筒搭載モデルは何台かあるが、今回は400GT、ミウラ、そしてカウンタックの3台をピックアップ。FR、横置きMR、縦置きMRという進化を経て同社の地位を確立したヒストリックモデルを、60周年の節目に改めて評価してみよう。(GENROQ 2023年6月号より転載・再構成)

Lamborghini 60th Anniversary

新興メーカーのために集まった奇跡の人材

1960年代らしいクラシックな雰囲気を纏う400GTは実にエレガントで美しいクーペだ。12気筒をフロントに搭載するためノーズは長い。

今日のランボルギーニのDNAを作ったのは350GTだ。一介のトラクターメーカーの社長だったフェルッチョ・ランボルギーニが、自分が納得できるスポーツカーを造ろうと決意するにいたる例のエピソードはここでは繰り返さないが、フェルッチョが声を掛けて、海の物とも山の物ともわからない新生メーカーのため集まった人材が超一流だったことは特記しよう。ジャンパオロ・ダラーラ、パオロ・スタンツァーニ、ジョット・ビッザリーニのエンジニア陣に加えて、テストドライバーにボブ・ウォレスを迎えたのだ。まさにドリームチームの誕生だった。彼らの最初の作品が350GTである。

400GTの前身である350GTは、280PSの3.5リッターV12を搭載して1963年にデビュー、約120台が製造された後、4.0リッターを積む移行型が23台作られ、1966年、400GTにバトンを渡す。ボディの製作を担当したのはカロッツェリア・トゥーリングだった。2+2の400GTは320PSにチューンされたエンジンを積み、1968年までの生産期間に約250台が造られた。

礎を築いた歴史的に重要なクーペが400GT

あらためて眺める400GTの外観は控えめでエレガント、グランツーリスモの名称が似つかわしい。イグニッションキーを回すと、4.0リッターV12にすぐさま火が入り、まもなく安定したアイドリングに落ち着く。400GTは最高速270km/hを誇る高性能車だが、その本質はアンダーステートメント性に貫かれたジェントルマンズ・エクスプレスである。オーナーは極上の快適性、低回転から潤沢なトルクを生むエンジン、滑らかにスロットに入る5速トランスミッションの恩恵で、魅力的な長距離ドライブを堪能できる。このクルマを製造したのが創業後わずか5年足らずの新興メーカーだった事実を考えると驚異ですらある。

郊外の緩やかな起伏に富んだ2級道に試乗の舞台を移しても、400GTの美点は輝き続ける。乗り心地は申し分なく、ステアリングは入力を精度高く前輪に伝える。田園地帯を駆け抜けるのはこの2+2クーペの得意科目で、運転が楽なので今もって称賛に値する高いアベレージスピードを保ちつつ走れる。次に登場するモデルが、従来のスポーツカーの定義を覆す衝撃的な作品だったとするなら、この温和しい外観のクーペである400GTは、今日あるランボルギーニの礎を築いた歴史的に重要な1台だった。

350GTと400GTによってスポーティなGTカー市場の一画に食い込むことに成功したランボルギーニが、次に放ったのがミウラだった。1966年のジュネーブ・ショーでデビューしたこのミウラこそ、同社がスーパーカーメーカーとして確たる地歩を築いた立役者である。

自動車の歴史に燦然と輝く名作ミウラ

ミウラは4.0リッターV12をミッドシップに横置きにするという革新的なレイアウトで当時話題を呼び、そのインパクトは今になっても衰えることがない。ミウラが歴史上、もっとも美しい自動車の1台であることも、これまた異論の余地はないだろう。では、だれがミウラをデザインしたのか? これは今なお愛好家の間で結論の出ない論争の種になっている。マルチェロ・ガンディーニの作品というのが通説だが、作風がずいぶん違うように思う。ジウジアーロが70%まで描いたレタリングを残したままベルトーネを去り、ガンディーニがそれを完成させた、これが私の想像だ。なお、ミウラは1966年から73年の間に750台以上が生産された。

試乗したのはSVだった。オリジナルのP400とはカムプロファイルとキャブレターが異なり、4.0リッターから385PSを生み出す。SVは約150台が生産され、試乗車は最後のロットの1台だと言われる。着座位置は低いが、前方視界は良好だ。V12がすぐ後ろにあって、あたかもカムカバーに頭を預けるような運転姿勢だが、不快ではない。V12の回転フィールは滑らかとはいえ、乗り手との距離が近いのでキャビンにGT的な平和な雰囲気はない。これまたいかにもミッドシップ・スーパースポーツに乗っている気分で、私は好ましく感じた。

ステアリングは信じられないほど軽く、クイックに前輪の向きを変える。ギヤボックスの変速フィールも滑らかそのものだ。ミウラは単に美しいスーパーカーなだけではない。しなやかに動く足まわりがもたらす乗り心地とトータルの車両バランスは第一級だ。そしてストレスフリーに回転を上げるV12。SVのドライバーは潤沢なパワーを意のままに引き出すことができる。

それから30分というもの、私はミウラSVの操縦に没頭した。工夫を凝らせば凝らすほどにクルマが応えてくるので、操り甲斐がある。それは夢のようなドライブ体験だった。ミウラは底知れぬパフォーマンスの持ち主ではあるが、全体を貫くトーンはデリカシーに富んだ繊細なタッチである。自動車の歴史に燦然と輝く名作であることを再度実感した試乗だった。

ランボルギーニの歴史上重要なアイコン

ミウラとカウンタックが同じメーカーの製品だとはにわかには信じ難い。ミウラのほっそりとしたピュアなラインと、カウンタックの野性味溢れるエッジーなフォルムとはまるで別ものだ。ミウラが1960年代の終焉を告げたのに対し、カウンタックは70年代から以降の幕開けを声高に主張したのだった。

カウンタックこそランボルギーニの歴史を語るうえでアイコン的な存在である。極めて急進的かつ強い存在感を主張するスタイルゆえ、登場した1970年代初期に見る人が覚えたショックは、約半世紀が経過した現在ですらいささかも衰えることがない。デビュー後の74~90年までと、長きに亘り生産され、その間、幾多のモディファイが加えられて多数の限定モデルが派生したが、オリジナルのインパクトは最後まで健在だった。

試乗したのは25‌thアニバーサリー・モデルで、製造された最後のカウンタックだった。この試乗車は1990年7月4日にファクトリーからロールオフしている。生産最終年には、かつて4.0リッターだったV12は5.2リッターにまで大きくなり、455PSを発生した。さらに85年以降は4バルブヘッド(クアトロバルボーレ)を備えるようになった。

外観のエッジーなモチーフはそのままキャビンに反復される。操縦席周りはタイトだが不思議と快適。それに巷間言われるほどには、前方視界は限定的ではない。ミウラと比べると、カウンタックのフロントタイヤのコンタクトパッチは圧倒的に広いため、ステアリングを回すには両腕の筋力を要する。ギヤボックスはレバーをドライバー側に引き寄せて後方に送ると1速に入る、いわゆるドッグレッグタイプ。ただしV12はボトムエンドから途方もないトルクを生み出すので、2速発進でも一向に差し支えない。

名作と評価を受ける本当の理由

奇想天外なスタイルとは裏腹に、カウンタックは素直で落ち着いた挙動に終始する。そのパフォーマンスの限界を知ろうとするなら、強い意志とそれなりの技術が求められる。幸いにもステアリングは動き出せば軽くなり、腕の力を要するのはヘアピンカーブをクリアするときのみだ。しかも慣れてくると、スロットルを調整することで小さく回り込むテクニックを使えるようになる。私にとって、カウンタックが操縦の工夫に応えるクルマであるのは少々意外な発見であった。

今日試乗した3台のV12ランボルギーニはどれも、スポーツカーとしての統一感と洗練性を遺憾なく発揮した。とかくドラマチックなビジュアル面ばかりが取り沙汰されるランボルギーニだが(それはそれとしてこのブランドの美点だとして)、歴代のV12モデルが時の流れに耐えて今なお名作との評価を受ける本当の理由は、卓越した技術力に裏打ちされた本質的な機構部分にあるのだ。

REPORT/Kyle FORTUNE
PHOTO/Lamborghini S.p.A
TRANSLATION/相原俊樹(Toshiki AIHARA)
MAGAZINE/GENROQ 2023年6月号

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