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航空機技術をベースにした先進技術満載の初代スカイライン
1957年(昭和32)年4月24日、富士精密工業(後に日産と合併するプリンス自動車の前身)から初代スカイラインの「プリンス・スカイライン」が発売された。初代スカイラインは、中島飛行機のDNAを受け継ぐ、元航空機技術者が中心となり開発した先進技術満載の高級セダンだった。
スカイラインを生んだプリンス自動車の歴史
初代スカイラインを製造した富士精密工業(後のプリンス自動車)は、終戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命により、軍需産業とみなされた航空機メーカー「中島飛行機」と「立川飛行機」が解体された後、以下のような紆余曲折を経て誕生したメーカーだ。
当初は、「東京電気自動車」、その後「たま自動車」を名乗り、1952年に「プリンス自動車」と改名。1954年に「富士精密工業」となり、その間にスカイラインとグロリアを開発し、1961年に再びプリンス自動車を名乗り、1966年にプリンス自動車は日産に吸収合併された。
そのため、富士精密工業およびプリンス自動車は、飛行機づくりの技術をベースにした先進技術を追求する技術集団だった。ちなみにプリンスという社名は、プリンス自動車のクルマに当時の皇太子(現在の上皇陛下)がお乗りになったことに由来する。
以上の経緯から、スカイラインは初代と2代目が「プリンス・スカイライン」、3代目以降は「日産・スカイライン」と名乗ったのだ。
先進技術満載の高性能な高級セダンとして誕生
初代スカイラインは、“世界で通用する性能と品質を持ち、高速で安全かつ軽快に走行できるクルマ”を目指し、開発のトップは“ゼロ戦”のエンジン設計者だった中島飛行機出身の中川良一氏。
テールフィンを持つボリューム感のあるアメリカンスタイルが特徴で、エンジンは1.5L直4 OHVでクラストップの60psを発生し、最高速度は国産乗用車最速の125km/hに達した。足回りは、フロントにダブルウィッシュボーン、リアはド・ディオンアクスルという乗り心地に配慮した仕様で、他にも多くの先進技術が採用された。
車両価格は、デラックスで120万円、クラウンデラックスの122万円とほぼ同額。ちなみに、当時の大卒初任給は1.2万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で約2300万円に相当する。
初代から同クラストップの性能を誇っていたが、1959年に70psへと出力を向上。さらに1962年には排気量を1.9Lへ拡大し最高出力91psの「スカイラインスーパー」、94psの「スカイラインスポーツ」が追加され、高性能な高級セダンへと進化した。
スカイラインは高性能セダン、クラウンは高級セダンの道へ
スカイライン発売の2年前、1955年にはトヨタの初代クラウン「トヨペット・クラウン」が誕生しており、スカイラインとはほぼ同額でいずれもアメ車風の曲面基調のスタイリングを採用していた。日産とトヨタを代表する高級車としてデビューした2つのモデルだが、その後スカイラインは高性能な高級セダンとして、クラウンは本格的な高級セダンとして、別々の道を歩み始めた。
スカイラインは、初代で排気量アップなどによる性能向上を達成した後、2代目はモータースポーツで大活躍し“羊の皮を被った狼”の称号を獲得、“ハコスカ(3代目)”と“ケンメリ(4代目)”の大ヒットによって、若者の憧れの高性能(スポーツ)セダンへと進化した。
一方のクラウンは、2代目で最高出力115psを発揮する国内乗用車初のV型8気筒2.6Lエンジンを搭載した最高級セダン「クラウンエイト」を投入。大型化と高級化を追求して、“いつかはクラウン”と評されるような日本を代表する本格的な高級セダンへと舵を切り、現在に至っている。
初代クラウンが日本初の純国産車として比較的堅実な作りだったのに対し、初代スカイラインは積極的に先進技術を採用したチャレンジングなクルマだった。乗り心地ではクラウンに負けていたものの、走りや操縦性ではスカイラインの方が優れていたと言われている。初代から、両モデルの設計思想は異なっていたのだ。
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