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■大人の感性を魅了するクーペとして登場した最後のプレリュード
1996年(平成8)年11月7日、ホンダが5代目「プレリュード」を発表(発売は翌日)。原点復帰を目指したスペシャリティカーとしてスタイリングと性能を向上して完成度を高めたが、RVやミニバンなど実用性重視となった市場ではその存在感を示せず、一世を風靡したプレリュードも終焉を迎えた。
4代目までのプレリュードの足跡
・初代(1978~1982年):スペシャリティカーとして誕生
1978年、初代プレリュードはホンダ初のスペシャリティカーとして誕生。直線基調のワイド&ローのオーソドックスなクーペスタイルで、パワートレインは最高出力90ps/最大トルク13.5kgmを発揮する1.8L直4 SOHCのCVCCエンジンと5速MTおよびホンダマチックATの組み合わせ、駆動方式はホンダが得意とするFFだった。
FFながら俊敏な走りと優れたハンドリング性能は評価されたが、スタイリングが地味であったためか、日本での販売は期待ほど伸びず、むしろ米国で評価された。
・2代目(1982~1987年):デートカーの元祖的な存在
リトラクタブルヘッドライトの採用によってノーズを下げ、超ワイド&ローのスポーティなスタイリングに変貌し、多くの先進技術が採用された。パワートレインは、125ps/15.6kgの1.8L直4 SOHC CVCCエンジンと5速MTおよび4速ATの組み合わせ。
TV-CMのBGMに、ラヴェル作曲の名曲「ボレロ」を使い、デートの際に女性にも好まれるデートカーの元祖として、若者層を中心に人気を獲得し大ヒットを記録した。
・4代目(1991~1996年):3ナンバーボディとなりスポーティさをアピール
排気量を拡大してパワーアップしたエンジンを搭載し、ボディを大きく3ナンバー化してスポーティさをアピール。パワートレインは、160ps/20.5kgmの2.2L DOHCと200ps/22.3kgmのVTEC仕様の2種類のエンジンと、5速MTおよび4速ATの組み合わせ。
デートカーと呼ばれたスペシャリティカーからスポーティカーへと舵を切ったが、発売直後にバブル崩壊に直面したしため、人気は下降してしまった。
スペシャリティ復権を目指した最後の5代目プレリュード
そして1996年のこの日、歴代プレリュードの集大成として原点回帰を目指した5代目プレリュードがデビューした。
“クーペテクノロジー・プレリュード”のキャッチコピーのもと、異形ヘッドランプ採用による個性的なフロントマスクとロングノーズのノッチバッククーペスタイルを採用し、大人のクーペを印象付けた。
先進技術も積極的に導入し、改良版4WSに加えて、コーナリング時に左右の駆動力を最適化するATTS(アクティブ・トルク・トランスファー・システム)を採用し、コーナリング性能を磨いた。
エンジンは、2.2L直4 DOHCをベースに、グレードによりチューニングを変更。ハイスペックのスポーティ志向のType Sグレード(最高出力220ps/最大トルク22.5kgm)、上級グレードSiR(200ps/22.3kgm)、標準グレードSi(160ps/20.5kgm)、SOHCの廉価グレードXi(135ps/19.6kgm)の4種エンジンと、5速MTと4速ATが組み合わされた。
車両価格は、Xi:163.3万円/Si:188.3万円/SiR:18.3万円/Type S:65.3万円。当時の大卒初任給は19.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算で現在の価値で193万/222万/257万/313万円に相当する。
大人の雰囲気を持つ完成度の高いスペシャリティカーだった5代目プレリュード。しかしそれを求めるユーザーは少なく、一世を風靡したプレリュードは2001年に幕を下ろしたのだ。
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デートカーの象徴となったプレリュードだが、バブル崩壊後に日本の市場は大きく変化し、クルマ本来の魅力や贅沢さよりもRVやミニバンのような実用性が重視される時代に変わった。最後のプレリュードはクルマの出来栄えに関わらず、必然的に市場からの退場を余儀なくさせられたのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。