目次
ピュアスポーツカーの資質を高めたFC3S
初代RX-7であるSA22Cが発売された時、日本は空前のスーパーカーブームにわいていた。排ガス規制によりスポーツカーが冬の時代へ突入していたから余計にRX-7の存在は輝いていた。小さな2ドアクーペにリトラクタブルヘッドライトを備える姿は理想のスポーツカー像といえた。
ところが85年にRX-7がフルチェンジしてFC3Sへ進化した時、ファンはさらに驚くことに。実にスタイリッシュなロー&ワイドなプロポーションを身につけ、ロータリーターボは185psもの高出力化を果たしていたからだ。これでプアマンズ・ポルシェなどと呼ばせないという、マツダ開発陣の意気込みが伝わってきた。
FC3Sは87年にカブリオレを追加すると翌年にマイナーチェンジが行なわれて後期型へ移行。90年からは限定車のアンフィニが4回設定されてクーペが91年、カブリオレは92年まで生産された。長い期間作り続けられたのは国内だけでなく海外での販売が好調だったため。それゆえ91年にFC3Sへモデルチェンジした後も豊富に中古車が選べた。今回紹介するのも2005年に入手した人だ。
外観
1985年のフルチェンジでリヤにトーコントロール付きマルチリンクサスペンションを採用したFC3S。SA22Cよりパワーアップしたのはインタークーラーを採用したため。前期はボディサイドのモールが黒だったが、89年のマイチェンでボディ同色にされた。この時同時にテールランプの内側へ丸形ライトを採用しつつ185psから205psへパワーアップ。91年いっぱいで生産終了。
リトラを上げても可愛らしくならず精悍。ランプは社外品に交換して照度アップ。
この時代のドアミラーにはMAZDAの社名や「可倒式」の文字が入っているのが特徴。
後期型のテールランプは内部で3連の丸ランプになった。リフレクターの数が多い!
ウイング状のリヤスポイラーは純正。後期だとトランク上にハイマウントストップが付く。
純正ホイールは1990年6月に15インチから16インチへ変更された。向佐さんのクルマは15インチだったが純正16インチに変更している。
彫りの深い純正アルミは汚れやすいリム付近に16×7JJと別れて浮文字がある。
ホイールやキャリパーは純正だがブレーキパッドだけストリート仕様の強化型。
前後ともフェンダーに泥除けはつかない。リヤだけ塗装が凹凸状になっている。
エンジンルーム
SA22C後期ターボから引き継いだ13Bは発売当初185psで、87年のマイチェンで205psへ向上。後のアンフィニは215psに達した。
繋ぎのつもりで買ったら楽しくて乗り続けることに
FC3Sオーナーは現在53歳。若い頃は転勤が多く実家のクルマや弟さんのハチロクで過ごしていた。ところが弟さんが転勤でハチロクを連れていってしまうと、自分用のクルマが必要になりマイカーを所有。その後何台か乗り継いだところで一度はロータリーに乗りたくなった。希望はコンパクトでFRのクーペ。2005年のことで当時FC3Sは手頃な価格。探すとマツダディーラーで現車を29万円で手に入れることができた。
今ではケタが違うFC3Sだが20年ほど前だと買いやすかった。ただ、当時すでにR35GT-Rが発売されると聞いていたので、2年乗って乗り換えるつもり。中古のロータリーだから壊れるだろうと繋ぎ的に考えていた。ところが乗り出すと全然壊れないし、クラブに入ると仲間とともに筑波サーキットを走るようになった。これが楽しいのなんの。なので乗り換えることをやめ、R35GT-Rを買い足すことになった。
サーキットを走るけれどチューニングはしたくない。とはいえすでに純正部品がないマフラーやショックは社外品にするしかなく、若干車高は下がった。足元に履く純正ホイールは後期の16インチに変更してある。そのせいもあるだろう、現在の走行距離は17万キロを超えたが、13Bエンジンは壊れる気配もないとか。
室内
ショートストロークのシフトレバーは操作感が小気味良いことで有名だ。
若干色抜けのあるメーター。速度計内のオドメーターは17万キロ超。
昔のクルマには小銭置き場があったもの。下はフォグとミラーのスイッチ。
バケット形状になるフロントシート。乗り降りでサイドが傷つきやすいのだが無傷を保っている。 車検証上は4人乗りだが大人2人が座るにはちょっとキツイ。なので使用歴ナシ?
このマツダ・サバンナRX-7 GT-Xの記事は2022年7/21発売の、令和に残るクルマ改造雑誌『G-ワークス』(毎月21日発売)2022年9月号に掲載されています。