レガシィ、ヴィヴィオ、インプレッサ、名車が続々登場する時代…… “いもっち”が語るネオクラシック・スバルの思い出……レガシィツーリングワゴンに乗りたかった!!

自他ともに認める"スバオタ"の「いもっち」こと井元貴幸氏がネオクラスバルを語る! 何を隠そう初代レガシィこそいもっちがスバルに目覚めるきっかけだった……そして、憧れながらついに手にする機会がなかった初代レガシィツーリングワゴンの思い出とは!?

1980年代から1990年代にかけてのスバルは、DOHC時代にやや遅れを取っていたレオーネの世代から、社運を賭けて一気にクラス最強とまで言われたレガシィをデビューさせ、さらにインプレッサやヴィヴィオといった名車が続々と登場してゆく時代だ。

レガシィ(BC型)/1989年
インプレッサ(GC型)/1992年
ヴィヴィオ(KK型)/1992年

思春期に受けたレガシィ10万キロ世界速度記録の衝撃! しかし……

やはり今でも思い出深いクルマといえば、スバルの一時代を築いた初代レガシィだろう。筆者はまだ中学生から高校生になろうかという年頃であったが、クルマ大好きキッズの自分には、たまたまテレビで見かけた「レガシィ10万キロ世界速度記録」は衝撃的なものだった。
今でも10万キロといえば、クルマの生涯のほとんどと言われるほどの距離だが、それを昼夜問わず走り続け、僅か19日間、447時間44分で走り切ってしまったことに感動を覚えた。この偉業は平均速度223.345km/hという2つの世界記録と13の国際記録を更新。それまでスバルというメーカーを知ってはいたものの、興味の無かった自分に衝撃を与えた。

世界戦略車としてその高性能をアピールするべく行われた10万キロ世界速度記録への挑戦は見事達成され、レガシィのデビューを華々しく飾っることになった。記録を達成したのは1989年1月21日。

記録を樹立した2日後、レガシィは正式に発表され、そこからいつか手に入れたいと思う存在になった。
筆者が高校生になると免許の取得が見えてくることから、クラス内では免許を取ったらどんなクルマに乗るのか、免許取得前からそんな話題で持ち切りだった。ちょうどクロカン(クロスカントリー)ブームだったこともあり、当時は三菱パジェロやトヨタ・ハイラックスサーフ、日産テラノがブレイクしていた頃。周囲も購入してからの維持費などはさほど考えず、こうしたクルマに憧れている友人が多かった。
自分自身もランニングコストなど頭の片隅にもなく、ただただ自分のクルマが欲しい!という思いに、ハマり始めたスキーやキャンプにも使え、かつあの10万キロ速度記録達成車のDNAをもつレガシィツーリングワゴンGTを買う!と心に決めていた。

免許を取得した18歳の春には、毎月のローンや保険代、ガソリン代、税金といったランニングコストという現実を目の当たりにし、レガシィツーリングワゴンGTは到底18歳の学生には手の届かないクルマだという現実にブチあたった。
それでも自分の愛車が欲しいという思いは変わらず、仕方なく母のパート先の社長から社用車のY30グロリアを5万円で譲ってもらう事となったが、後にも先にも現金一括で購入した愛車はこれだけだ(笑)

最初の愛車は日産グロリア4ドアハードトップV30Eブロアム(Y30型/1983年式)。Y30型グロリアのデビュー時における最上級グレードで、(写真はその後に追加されたブロアムVIP)ボディカラーはベージュメタリックというホコリ色でした。
その後、もう1台グロリアに買い換え。1987年式のY31型グロリア 4ドアハードトップ V20ツインカムターボブロアムで、ボディカラーはダークブルーパールメタリック。新横浜の中古車店で80万円で購入して乗ってました。
こいつはエンジンがグランツーリスモSVと同じでしたので、バンパーをグランツーリスモ用に交換して見た目ボンマス付きのグラツー、車内や装備がブロアムという謎仕様にしていました。 (写真がグランツーリスモSV)

スキーに行くなら4WD……レガシィツーリングワゴンへの想いがつのる

FRのグロリアでスキーにも行ったが、高速道路で黒煙を履きながら登坂車線を走るクロカン四駆を抜いたところで、結局スキー場の手前の山道でチェーンの装着をしているうちに抜き返される始末。やはりレガシィを買うしかないと4WDの偉大さを見せつけられた。
レガシィなら高速道路もスポーツカー顔負けの走りができ、雪道も得意のフルタイム4WD。さらには大人4人乗ってキャンプ道具を積むことも、後席をフラットにして車中泊までできてしまう! そんな万能すぎる魅力に筆者以外のクルマ好き達も惹かれた時代だ。

レガシィのデビューから遅れること8ヶ月。セダンRSに搭載された220psを発揮するDOHCターボエンジン(MT専用)をATとのマッチングを考え200psにデチューンした上でツーリングワゴンに搭載した「GT」を追加。スポーツカー顔負けの”走りのワゴン”として人気を呼び、レガシィツーリングワゴンの地位を不動のものとした。

DOHCインタークーラー付きターボという響きもクルマ好きには刺さった。当時は各メーカーがこぞって自主規制であった280psを達成させたモデルを続々登場させていたが、2.5L以上のスポーツカーばかり。5ナンバークラスで200psを誇るレガシィはクラストップレベルのスペックでブレイクしていた。

レガシィのデビューと合わせて登場した新開発のEJ型エンジン。トップモデルであるセダンRSに搭載されたのは2.0L DOHC16バルブインタークーラーターボで、220ps/27.5kgmというクラス最強レベルのスペックを誇った。またATとのマッチングを図り、200ps/26.5kgmにデチューンして新グレード「GT」に搭載された。

そんな中、中学校の同級生が初代レガシィツーリングワゴンを購入したと聞いて早速見せてもらうと、GTではなくNAの最上級グレードであるVZ、しかもエアサスというマニアックなグレードを購入していた。

1989年のデビュー時のツーリングワゴン最上級グレードである「VZ」。エンジンは150ps/17.5kgmを発揮する2.0L DOHCのNA。当時スバルが得意としたエアサス仕様も設定された。

レオーネ時代からエアサス仕様車を積極的に設定していたスバルは、三代目レガシィまで一部のグレードにエアサス車を設定していた。その乗り心地は驚くほどしなやかで、積雪路では自在に車高をアップできるなど利便性も高く、魅力的ではあった。とはいえNAではやはりパワー的には少々物足りない感もあり、友人には申し訳ないが、内心はますます「GT」を手に入れたいと思わせた。

初代か……二代目か……それが問題だ

レガシィが二代目へとフルモデルチェンジをしたのが1993年10月。周囲がボディを3ナンバー化して高級路線を進むなか、あえて5ナンバーサイズを堅持したうえで熟成進化を果たしたことは当時”英断”と称賛された。

社会人になり、ようやくレガシィを手に入れられそうな余裕が出てくる頃には二代目へスイッチしていた。手の届く憧れの初代を購入しようか、無理をしてでも最新の二代目を購入しようかと悩んでいた頃、仕事の出向先の主任が初代レガシィツーリングワゴンの後期型GTのMTに乗っていた。これがきっかけで変なライバル心に火が付き、結局二代目レガシィを購入するのだが、今思えばあの時初代を買っておけばと非常に悔やまれる。

モデル末期になってもレガシィツーリングワゴンの人気は衰えず、特別仕様車などもリリースされた。一説にはセダンとワゴンの販売比率はワゴン8:セダン2にもなったという。写真は1991年6月のマイナーチェンジ以降の後期型。

今でこそ、自動車メディアに携わっている恩恵で、自分をスバル好きにしてくれた10万キロ世界速度記録達成車の運転席に座ることができたり、当時ドライバーを務めた方とお話しさせていただく機会を得たり、個人オーナーやスバルが所有している初代ツーリングワゴンGTをお借りできたりといった機会に恵まれている。
実際にステアリングを握れば衰えを感じない軽快な走りと、コストカットという言葉を全く感じさせない質感や装備に感心させられる。

もちろんその時購入した二代目レガシィツーリングワゴン GT/E-Specというクルマも、歴代の愛車の中で1、2位を争うほど非常に気に入っていたし、レガシィツーリングワゴンというブランドのおかげで、女子が助手席を奪い合うという今では考えられない経験もできた。
※あくまでモテていたのはレガシィであり、筆者ではない。

購入したGT/E-SpecはGTをベースにカラードフルアンダースカートやDSP内蔵のCD付ハイグレードオーディオを装備した特別仕様車。当時の貴重な写真。

それでも二代目から五代目までのレガシィツーリングワゴンを所有した筆者の愛車遍歴で、憧れていたのに手に入れなかった唯一のモデルとして初代レガシィツーリングワゴンGTを購入しなかったことに後悔しきりなのである。

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著者プロフィール

井元 貴幸 近影

井元 貴幸

母親いわくママと発した次の言葉はパパではなくブーブだったという生まれながらのクルマ好き。中学生の時…