スバル復活の立役者! 初代レガシィRSが生き残っていた! 【第6回昭和平成クラシックカーフェスティバル】

今や世界中で支持されるSUBARUブランドだが、1980年代後半の富士重工業には逆風が吹き荒れていた。1989年に発売された初代レガシィで見事に起死回生を果たすが、今や残存数はごくわずか。そんな、ネオクラシックな一台に旧車イベントで出会った。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1991年式スバル・レガシィRS。

マニアなど一部の層に支持されていたものの旧態化を隠せなくなっていたレオーネ、アメリカ市場を強く意識して開発されたものの目論見ほどのヒット作とならなかったアルシオーネなど、1980年代の富士重工はある意味迷走していた。さらに経営危機まで噂され、組織的な刷新が迫られていた時期でもある。危機的状況から起死回生の策となったのが初代レガシィであることに異論はないだろう。1989年に発売されたレガシィは、高性能かつスタイリッシュなボディ、当時流行していたツーリングワゴン需要に応えたことなどが受けて大ヒット作となる。

セダンの残存率はごく低い。
発売前に行われた速度記録が大ヒットの要因。

レガシィ成功の要因の一つとして10万キロ世界速度記録を達成したことが挙げられる。1989年1月、アメリカ・アリゾナにあるテストコースで連続19日間、速度記録に挑戦したのだ。447時間44分におよぶチャレンジで平均速度223.345km/hを達成。2つの世界記録と13の国際記録を更新したのだ。大きな快挙でありスバル、そしてレガシィの名は一躍世界へ知れ渡ることとなった。

国内ではバブル期にツーリングワゴンが大人気だったことも重なり、高性能な国産ワゴンとして大いに売れた。売れ筋はGTだったが、速度記録を樹立したのはRS。販売的には圧倒的にGTが多数派だったから、当時からRSはマニア向けだったといえる。そのため30年以上経った現在では希少車として扱われている。

80年代車らしいボディサイドのデカール。
純正アルミホイールのまま残っていた。
世界速度記録を樹立した「RS」。

希少なモデルになってしまった初代レガシィRSとはいえ、その姿を旧車イベントで見るようになるとは当時を知る世代として感慨深いものがある。初代レガシィといえばスバルとして初めて世界ラリー選手権であるWRCで勝利を収めた記念碑的モデルであり、その後インプレッサによる大活躍の端緒にもなった。だからまだ旧車という認識がなかったのだが、考えてみれば初代発売からすでに34年。今や立派に旧車の仲間入りを果たしたといったところだろう。

新生スバルの象徴的存在と言えるEJ20型エンジン。
90度近くまで開くボンネットが特徴だった。

2023年3月5日に埼玉県羽生市にある農林公園「キャッセ羽生」で開催された第6回昭和平成クラシックカーフェスティバルの会場で、初代レガシィが佇んでいる姿を見つけた時は、何の予備知識もないままオーナーへ話しかけていた。所有者は48歳になる小林伸祐さんで、初代レガシィを選んだ理由として「高校生の時に憧れました」というのがきっかけ。

おそらく高校生時代にレガシィがWRCで活躍する姿を見ていたことだろう。トヨタ・セリカを駆るカルロス・サインツが最強軍団であるランチア・デルタ勢を破って国産車として初めてドライバーズタイトルを奪取。同じ頃、虎視眈々と表彰台を狙うマルク・アレンが乗るレガシィは90年に4位入賞を果たし、続くシーズンへ期待がかかっていた。当時はWRCがテレビ放映されていたこともあり、WRC放映日を楽しみにしていたマニアは多かった。そんな一人だったのが小林さんなのだ。

エアバッグが装備されないネオクラ的なインテリア。
走行距離は11万キロを超えたところ。

小林さんがこのレガシィRSと出会ったのは2004年のこと。高校時代から憧れてきたものの、実際手にするチャンスはそう多くなったことだろう。2004年当時、普通の中古車ショップに並んでいたものを発見。価格や程度の折り合いがつき、念願を果たした。小林さんはレガシィのほかにヴィヴィオT-topも所有するスバリスト。

同時にダートトライアルを楽しむ走り屋でもある。実際にレガシィでダートラに出ることはないそうだが、「これがないと不安」ということでレカロシートとロールケージを室内に組まれている。ところがそれ以外はノーマルをよく保っている。補修部品が揃わないため、足回りにはインプレッサ用の車高調を組んでいるが、極端に車高を下げるようなことはしていない。

オートエアコンが主流になり始めた時代。
レカロシートとロールケージが組まれた室内。

足回りと同じ理由でマフラーも変更している。さすがに30年選手ともなれば腐食によりマフラーに穴が開くなどの症状は当たり前。そこで「いかにも」でない雰囲気のマフラーをワンオフ製作することで対処している。すでにネオクラシックなモデルと付き合うなら、社外品を頼るのが手っ取り早い時代になった。

それでもノーマルの風情を残したいなら、このような工夫で乗り越えるしかない。カスタムの定番ともいえるアルミホイールやステアリングホイールが純正のままというところに、小林さんのポリシーを感じられた。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…