脱・温暖化その手法 第69回 ―電気自動車が普及すると世界はどう良くなるかー

温暖化の原因は、未だに19世紀の技術を使い続けている現代社会に問題があるという清水浩氏。清水氏はかつて慶應大学教授として、8輪のスーパー電気自動車セダン"Ellica"(エリーカ)などを開発した人物。ここでは、毎週日曜日に電気自動車の権威である清水氏に、これまでの経験、そして現在展開している電気自動車事業から見える「今」から理想とする社会へのヒントを綴っていただこう。

電気自動車の応答速度は内燃機関時代の10分の1

65回では電気自動車が普及するかについて述べた。結論は内燃機関自動車に比べてコストパフォーマンスが良くなれば、普及するということだった。元々、電気自動車は快適な移動ができるという点で人間にとって使いやすく、しかも効率が高く、構造が簡単なので作りやすいという特徴を持っていた。これらは前の技術に置き換われる基本的なポテンシャルである。さらに、電気自動車技術は急速に進んでおり、内燃機関自動車に比べてコストパフォーマンスが高い商品となる日はそう遠くない。その結果、地球上のCO発生の約2割を占めている自動車からの排出がゼロにできる。前提としては、電力はこれまで述べてきたようにすべて太陽光で賄うということではあるが。

すると技術的には、自動運転がますます進化し普及が早まる。その理由は電気自動車は走る、曲がる、止まるの動作をさせるために、指令を出してからの応答性が10ミリ秒程度と、内燃機関自動車に比べて1桁以上早く応答ができることと、自動運転と走行のやり取りがすべて電気信号でできるためより容易に信頼性が高く自動運転が可能になるためである。

現在開発中のに日産の自動運転車両。一般的に自動運
転となると、その制御はこれまでより一桁短い制御速
度を手にいれることになる。安全性を高める上でこの
メリットは大きい。

そうすると内燃機関自動車の時代には幾多の努力にも拘わらず解決ができなかった、環境、エネルギー、事故、渋滞の問題が根本的に解決でき、免許を持たずとも誰でもが、いつでも、どこへでも行けるようになる。日常生活の中で免許がなければ使うことができなかった唯一の道具がクルマだったし、一寸の間違いで人に大怪我をさせたり、死なせてしまったりすることもないし、子どもが交通事故に遭わないかを心配することの必要もなくなる。

物流も人件費が省けるので小分け配送が可能に

自動運転は、整備された一般道路であれば100㎞/hで走行することが当たり前になると考えている。すると、目的地に公共交通機関を利用して1時間かかっていた距離が、半分ないし3分の1にまでなる。その結果、人々の生活圏は大きく広がる。通勤、通学、そして買い物に行ける範囲が広がるということになる。そして、何より重要になるのは交通弱者という言葉がなくなることである。今、日本には約8000万人の免許所有者がいる。ということは、人口の約3分の1は免許を持っていない。この人たちは自ら運転して行きたいところに行けるわけでないので、広い意味で交通弱者になる。この人たちにとっては、この上なく便利な社会になる。

物流も大いに変わる。これまで長距離貨物は大型トラックで運ぶことが通例だった。それは物流コストに占める人件費の割合が大きいために、荷物をまとめて運ぶことで安価に運ぶことができたことによる。自動運転が普通になれば、必要なだけの荷物を小分けにして運ぶことが一般的になる。それも、ドアからドアまで100㎞/hで運ぶことができる。

電気軽商用車の三菱ミニキャブMiEV。まだまだ暖気自動車と
いうだけだが、これが完全な自動運転化されればそのニーズは
飛躍的に高まるだろう。移動する個別の車両に人件費がかから
ないとなれば、運送会社の救世主となるはず。

生活上の変化では、移動時間が自分だけの時間、自分だけの空間になることである。コロナによって我々の生活で変わったことのひとつは、オンラインで会議を開くことが普通になったことである。車で移動中にオンラインもできるし、自分の好きなことに費やすことができる。インターネットの普及とそれを支えるスマホの普及が、この20年間で最も生活に変化を与えたことである。それ以上のあらゆる変化が、電気自動車とそれと対をなす自動運転で起こることが予測される。

この変化は、日本や、先進国のものだけではない。あらゆるところで、エネルギー供給が安価になり生活が豊かになれば、電気自動車、自動運転の成果は、世界中の全てで享受されることになる。

人間が手でものを作ることで唯一失ったのが移動速度

テレビなどで良く映される、貧困に関する映像がある。そこでは、何㎞もの先まで歩いて水を汲みに行く子どもや、病気でも病院に行けない子ども、学校が遠くて通えない子どもの映像が映る。これらはエネルギーの十分な供給と、誰でもが移動できるクルマの利用で、まったく過去のものにすることが可能である。

そして、これまでは何か新しいものが生まれれば、その大きな恩恵はあるものの、何かを失わなくてはならなかったことが多かった。その典型例がクルマだった。人間は手を使えるようになったことであらゆることを手に入れた。大きかったのは、脳の発達が進み人間が大きな進化することができたということであった。但し唯一失ったことは移動の能力である。走る速度、歩ける距離の双方の能力が著しく低下した。人間は、犬と競争しても勝てないのである。このために人類は移動を助ける技術に対して大きな関心を持ってきた。

古くは馬を使った。よりうまく乗れるようにするために鞍を発明した。さらに操りやすくするための大きな発明が鐙(あぶみ)といわれている。これを発明したモンゴル人は、馬に乗りながら弓を引くことができるようになった。その結果、遠くヨーロッパまで攻めいり、一部の地域は長く占領されたままだった。

人間は動くために馬の力を長く借りてきたが、産業革命で鉄道が発明され、移動の自由度が大きく上がった。そして、1885年にはゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツにより、内燃機関自動車が発明された。こうして人間の足の働きがどうしても欲しかった人類にとってのクルマは、かけがえのないものであった。このために、環境、エネルギー、事故、渋滞の大きな問題を抱えていることは十分理解した上で、自動車を使い続けてきた。

そしてエネルギーが自由に使え、内燃機関自動車が電気自動車となり、自動運転が実用化されることで、最も望ましい形で人間の足が実現できることになる。

次回は、電気自動車の経済効果について述べる。

完成したEliica
テスト用と公道走行用にEliicaは2台開発した。遠方が
テスト用の1号車。手前が一般公道走行用の2号車。2
号車には最高速度370km/hにちなんで、370の湘南ナ
ンバーを付けた。

著者プロフィール

清水 浩 近影

清水 浩

1947年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部博士課程修了後、国立環境研究所(旧国立公害研究所)に入る。8…