溝呂木 陽の水彩カースケッチ帳 連載・第10回 アルミのイオタのお話(後編)

溝呂木 陽の水彩カースケッチ帳/連載・第10回 アルミのイオタのお話(後編)

クルマ大好きイラストレーター・溝呂木 陽(みぞろぎ あきら)さんによる、素敵な水彩画をまじえた連載カー・コラムの第10回目は、数々の奇跡的な出会いから生まれた“アルミのイオタ”を巡るお話の後編をお届けします。

前回に引き続き、木型を使わずにアルミを叩いて実物大ランボルギーニ イオタJのオブジェを作り出した綿引雄司さんのお話をもとに、2019年9月、イタリアのボローニャ市郊外、フーノ・ディ・アルジェラート村(イタリアには市区町村の区別はなく、すべて「コムーネ」と呼ばれますが、本稿では便宜上、人口と規模に応じて「市」や「村」と記しています)にあるフェルッチョ ランボルギーニ ミュージアムで行なわれたイオタJのお披露目にまつわるお話をしていきましょう。

前回お話した通り、2019年5月、アルミ叩き出しのノーズ部分はイタリア、ボローニャ県はサンタアガタ市でのイオタ50周年イベントでワールドプレミアが行なわれました。しかし、その後も綿引さんは茨城県の水戸市にある工房で、日本に残されたセンターカウルとリヤカウルの仕上げを進めていたのです。

センターカウルには計器盤やメーター、ステアリング、アルミ製のシートまで形作られ、ドアを開けて潜り込めばステアリングを握ることができます。リヤカウルはトランクやヒンジも作られ、エンジンこそ入りませんが、その周りの軽め穴が無数に開けられたフレーム周りは完璧に再現されています。テールライトや各アウトレット、そしてその周りのリベットなども再現されていて、イタリアでのお披露目に否が応でも期待が高まります。やがて6月に、これらは綿引さん自製の木箱に収められ、船便でイタリアへと旅立ちました。

そして迎えた9月。イタリア、ボローニャ空港に舞い降りたGGF-T代表の赤間保氏、マセラティ クラブ オブ ジャパン会長の越湖信一氏、そして綿引さんらGGF-TのJダック プロジェクト一行は、ついにアルミのイオタの完成形を見ることとなりました。

一行はフーノ・ディ・アルジェラート村のフェルッチョ ランボルギーニ ミュージアムへ向かいました。綿引さんはまずフェルッチョ氏の大きな肖像写真にご挨拶。その下の一番良い場所に、先に披露したアルミのイオタのノーズが飾られているのを見て、翌日のイベントへの期待が高まったといいます。続いて、バックヤードに置かれたイオタの本体を木箱から取り出す作業に入りましたが、なんと博物館のスタッフは木箱の格子状の柱をチェーンソーで荒々しくカット。越湖氏をはじめメンバーは冷や冷やしながら作業を見守られたそうです。なんとか柱の上下を分けて梱包用ラップでぐるぐる巻きになったイオタ本体を木箱から取り出し、梱包材を剥がすと、綿引さんは3ヶ月ぶりにイオタ本体に触れることが出来ました。

フェルッチョ ランボルギーニ ミュージアムにて。フェルッチェ氏の肖像の見守るなか、アンベールに備える。

キャスター付きの台車に載せたまま送ったので、博物館の裏手から内部へと荷台ごと移動し、いよいよフロントノーズとの合体です。久しぶりに見た、自らが叩き出したアルミのランボルギーニイオタJ! その姿に綿引さんは感無量となったそうです。日本から持っていったポスターや装飾品を飾り付けてベールをかけ、二日後のイベントに備えます。

翌日は自動車デザイン会社ISSAMでデザインの話を聞き、モデナのフェラーリミュージアムへ移動。その後はミウラやフェラーリの鎮座するレストア工房へもお邪魔し、充実した時間を過ごされました。

イタリアの素晴らしい工房にて。今、日本ではBIG BOSSで話題のランボルギーニ・カウンタック。

そして迎えた9月29日のイベント当日。今回もイベントで板金のデモンストレーションを行なうことになったため、前回、フロントノーズを預かってくれた工房、SCNで板金工具を借り、サンタアガタ市のフェルッチョ氏の銅像を表敬訪問したのちランボルギーニ本社へ。そこでは今はなきランボルギーニ イオタJと、今回作り出されたアルミのイオタJをテーマにボクが描いた絵本、『アヒルのジェイ』のワールドプレミアが行なわれることになっていたのです。

ランボルギーニ社の重要な旗振り役であるアントニオ・ギーニ氏が出版するランボルギーニの歴史を綴ったカーボン製の表紙がつく大型書籍(一冊邦貨120万円だそうです)の発表とあわせて、『アヒルのジェイ』の完全版――ジェイの幼い頃の思い出や父ボブの話、友人のイタリア人デザイナーであるフランチェスコ氏の話や、皆でアルミのジェイを作り上げてサンタアガタ市で披露するまでのストーリー――が、イタリア語版絵本とともにワールドプレミアされました。

サンタアガタ市にあるフェルッチョ氏の銅像。
赤間氏とギーニ氏。ボクが絵を描いた絵本『アヒルのジェイ』がランボルギーニ本社でワールドプレミアへ。

一行はついにフェルッチョ ランボルギーニ ミュージアムへ。代表の赤間氏の挨拶の後、綿引さんは日本から持っていった空手道着の姿でアルミ板金のデモンストレーションを行ない、イタリアの人々の前で空手の演舞を披露、皆から拍手喝采を受けます。そしてついにアルミのイオタのお披露目へ。サンタアガタ市長も登場し、皆の手でアンベールが行なわれました。

そこに姿を現したアルミのイオタJの姿は美しく、あえて板金跡を残したフィニッシュや各種の寸法の書き込みなども生々しく、どこか生き物のような凄みを感じさせるものでした。その姿はフェルッチョ ランボルギーニ ミュージアムのインスタグラムでも配信され、世界へと届けられたのです。

皆のどよめきと笑顔を見て、綿引さんの心は喜びと安堵でいっぱいになったそうです。子どもたちには運転席に座らせてあげるサービスが行なわれ、なかなか降りてこない子どもや周りで見ている人たちにも笑顔が絶えなかったとか。このイベントはボクも日本のフェイスブックで拝見していて胸が熱くなりました。

アルミで叩き出されたイオタの姿。そのバランスは素晴らしく、まさに魂が入れられた姿は光り輝いていました。その様子をボクは日本で、この記事冒頭に掲げた水彩画にしていきました。

綿引氏によるアルミ叩き出しのデモンストレーション。アルミをハンマーで叩いて行きます。
綿引氏とサンタアガタ市長と赤間氏。
フェルッチョ氏の肖像写真とともに。
子どもたちとアルミのイオタ。
アルミのイオタJ・オブジェを前方より見る。
イオタJ・オブジェのフロントカウル・オープン状態。
イオタJ・オブジェのリヤビュー。
アヒルのジェイ。

翌日はフェラーリ本社のフイオラーノ サーキット側にあるイベント会場でのフェラーリ ユニバースに参加。その翌日は11月にトリノ自動車博物館で開催されるJダック プロジェクト特別展示についての打ち合わせも行ない、フィアット本社があったリンゴットヘ移動、出来たばかりのFCAヘリテージハブも見学し、フィアットやアルファロメオ、ランチアなどのレーシングカーやラリーカー、レコードカーなどを堪能して旅行の日程を終えました。

モデナのフェラーリ ミュージアムにて。フェラーリ250GTOの発展後継車であるフェラーリ250LM。思うように生産が進まず、総生産台数32台にとどまったレア・モデル。
出来たばかりのFCAヘリテージハブにて。フィアット124スポーツスパイダーにアバルトが手を加えて作られたラリーマシン、フィアット・アバルト124ラリー。シリーズを通してアルピーヌA110ラリーと激戦を展開、1974年WRC開幕戦のポルトガル・ラリーでは表彰台を独占した。
出来たばかりのFCAヘリテージハブにて。言わずと知れたランチア・ストラトス。1974年にデビューするや、同じグループのフィアット・アバルト124ラリーをいきなりトップの座から引きずりおろしたスーパー・ウェポン。

次回はこの2019年のアルミのイオタ・イベントの総括となる、トリノ自動車博物館でのアヒルのジェイ、アルミのイオタJ、『Jダック プロジェクト』の企画展についてご報告したいと思います。

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著者プロフィール

溝呂木 陽 近影

溝呂木 陽

溝呂木 陽 (みぞろぎ あきら)
1967年生まれ。武蔵野美術大学卒。
中学生時代から毎月雑誌投稿、高校生の…