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■本格的な世界戦略車となった2代目マーチ
1992(平成4)年1月24日、日産自動車のコンパクトカー「マーチ」2代目がデビューした。親しみのある丸みを帯びたデザインに変貌した2代目マーチは、本格的な世界戦略車となり、日欧で“カー・オブ・ザ・イヤー”をW受賞するなどマーチの人気を不動のものにした。


世界に通用するリッターカーを目指して誕生したマーチ
1970年代後半は、1977年のダイハツ「シャレード」や1979年のホンダ「シティ」の登場でコンパクト市場は一気に活況を呈した。シャレードは、世界初の直列3気筒エンジンで注目された1.0Lエンジンを搭載し、リッターカーの先駆車と言われている。シティは、1.2Lエンジンを搭載して背高ノッポの“トールボーイ”と呼ばれ、圧倒的に広い室内空間を持つ個性的なコンパクトカーとして、若者から支持されて大ヒットした

この盛り上がったコンパクトカーブームに対応して、日産は1982年10月に初代マーチ(K10型)を投入した。初代マーチは、内外装を著名なデザイナー、ジウジアーロがデザインし、洗練された親しみのあるハッチバックスタイルと運転のしやすさが特徴だった。
パワートレーンは、日産初のアルミ製1.0L直4 SOHCと4速/5速MTおよび3速ATの組み合わせで、駆動方式はFF。初代マーチは、欧州でも「マイクラ」の車名で販売され、日本と同様欧州でも人気を獲得した。

完成度の高さで欧州でも高い評価を獲得した2代目


1992年1月のこの日、マーチは初めてのモデルチェンジで2代目(K11型)に移行した。2代目は本格的な世界戦略車として、海外市場向けのマイクラは日産の英国サンダーランド工場で生産されるようになった。

2代目マーチは、プラットフォームやエンジンなどすべてを一新。サイズは初代とほぼ同じだが、ホイールベースは60mm長くして、室内空間の拡大と走行安定性の向上を図った。スタイリングは先代と同じ5人乗りの3ドア/5ドアハッチバックだが、初代が直線基調だったのに対し、2代目は一転して曲面豊かな角が取れた丸みのあるものとなった。


パワートレーンは、新開発の1.0L(58ps)&1.3L(79ps)直4 DOHCの2種エンジンと5速MT/4速ATおよびCVTの組み合わせ、駆動方式はFFである。その他、パワーステアリングやエアコン、テールゲートオープナー、電動ミラー、パワーウインドウをほぼ全車に標準装備するという具合に、実用的なファミリカーとしての完成度が高められた。

車両価格は、3ドアハッチバックで83万~95.5万円(1.0L)と104万~141.3万円(1.3L)に設定。当時の大卒初任給は12.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で1.0L仕様が153万~176万円に相当する。

2代目マーチは1992年の“日本カー・オブ・ザ・イヤー”に加え、日本車としては初となる“欧州カー・オブ・ザ・イヤー”も受賞。2代目マーチの実力、完成度の高さを象徴するものと言えるだろう。
カスタマイズカーや派生車でバリエーション豊かだった2代目
2代目マーチは、カスタマイズカーや派生車を矢継ぎ早に投入した。カスタマイズカーを仕立てたのは、日産車の特装車を作るグループ会社のオーテックジャパンである。

2代目マーチベースでオーテックが手掛けたモデルは、タンゴ(1996年)、ボレロ(1997年)、ルンバ(1998年)、ポルカ(2000年)と4タイプ。いずれも舞曲の名が付けられたレトロ調の個性派モデルである。

また派生車としては、1997年に4シーターフルオープンの「マーチ・カブリオレ」を投入。マーチ・カブリオレは安全性確保の観点から、シート後方にロールオーバーを残すスタイルで、ソフトトップは電動駆動だった。日本では珍しいコンパクトカーのオープンであったが、日本市場よりもむしろ欧州などの海外市場で人気を獲得した。

さらに1999年には、「マーチBOX」が登場。5ドアハッチバックのリアオーバーハングを延長してステーションワゴンに仕立てたモデルだが、全体的にアンバランスでこちらは不評だった。
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順調な販売を続けていた2代目マーチだが、2005年の「ノート」の登場でマーチの日産におけるラインアップ上の存在感がやや薄まってしまった。結局、2017年の5代目は欧州で販売を続けたが、日本での販売は終了した。ノートの存在もあるが、軽のハイトワゴンブームに市場を奪われたことも3代目以降のノート低迷の大きな要因である。
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