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■3ナンバーに進化して完成度を高めた7代目ローレル
1993(平成5)年1月25日、1968年に“ハイオーナーセダン”を謳ってデビューした日産自動車「ローレル」の7代目(C34型)がデビューした。ボディを3ナンバー化して室内空間が拡大され、また乗り心地や静粛性などがレベルアップした。


ハイオーナーセダンを謳った初代ローレル(C30型)
自動車が普及して1960年代後半には、マイカーブームの到来とともに、市場では上級志向のクルマが求められるようになった。そのような中、日産は1968年4月に「ブルーバード」と「セドリック」の中間に位置するアッパーミドルセダンのローレルを、“ハイオーナーセダン”というキャッチコピーを掲げて投入した。

スタイリングは、ブルーバードで採用された“スーパーソニックライン”を踏襲した直線基調で、当初は4ドアセダンのみで最高出力100ps/最大トルク15kgmを発揮する1.8L直4 SOHCエンジンを搭載した。
先進技術を採用して注目された初代ローレルだったが、半年後に登場したトヨタの初代「コロナマークII」に人気を奪われた。コロナマークIIは、4ドアセダンと2ドアハードトップが用意され、特にスタイリッシュな2ドアハードトップは月販2万台を記録する大ヒットになった。これに対抗するため、ローレルも1970年に日産初のピラーレスハードトップを追加した。
2代目~6代目までのローレルの軌跡

・2代目(C130型:1972年~)
プラットフォームが4代目「スカイライン」と共通になり、スタイリング全体の雰囲気もケンメリ風になった。4ドアセダンと2ドアハードトップが用意され、2ドアハードトップにビルドインされたリアコンビランプを採用した独特のリアデザインから“ブタケツ”の愛称で親しまれた。
・3代目(C230型:1977年~)
高級車をイメージさせる重厚なスタイリングとなり、さらに豪華で落ち着いたインテリアが本来のハイオーナーカーの性格を強めた。
・4代目(C31型:1980年~)
2代続いたアメ車風デザインから一転、空力を意識したスラントノーズを採用した直線基調の欧州車風スタイリングに変更。流線型に生まれ変わったデザインは、“アウトバーンの旋風”と称された。
・5代目(C32型:1984年~)
欧州車風から再びアメ車風の押し出しの強いスタイリングに戻った。ハイソカーブームが盛り上がりを見せる中で、期待したほど販売を伸ばすことができなかった。
・6代目(C33型:1989年~)
バルブ絶頂期のまっただ中に登場し、全体として落ち着いた大人の上質な4ドアサルーンに仕上げられ、バブル好景気の後押しもあり人気を獲得した。
3ナンバーボディで上質化を目指した7代目(C34型)

7代目がデビューした1993年は、バブル好景気が終焉を迎えた、バブルが崩壊した時だった。市場が華やかさや豪華さではなく、本物志向へと変化した状況下で7代目は登場したのだ。

ボディを3ナンバー化し、側面衝突時の安全性を確保するため、ピラーレスからピラード4ドアハードトップに変更され、その結果ボディ剛性が大幅に向上し、乗り心地や静粛性が向上した。また室内空間、特に後席空間が拡がり、大切なゲストを迎えるにも十分な広さと質感を実現。その他、ファインビジョンメーターやスーパーサウンドシステム、前席パワー調節シート、フルオートACなど室内装備も十分だった。

エンジンは、最高出力260psの2.5L直6 DOHCを筆頭に、2.0L直6のSOHC(125ps)&DOHC(150ps)、2.8L直6 SOHCディーゼルの4種が選べた。トランスミッションは、4速/5速AT、ディーゼルのみ5速MTが用意された。

車両価格は、215.6万~250.9万円(2.0L)、250.9万~293.9万円(2.5L)、227.6万~239.8万円(ディーゼル)に設定。当時の大卒初任給は18.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約312万~365万円(2.5L)に相当する。

完成度が高かった7代目ローレルだが、デザインが地味だったこともあり、クルマの出来は販売には直結しなかった。
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7代目ローレルは、歴代ローレルの中でも目立つ存在ではなく、バブル崩壊という最悪なタイミングで登場したことが不幸だった。この時期の高級セダンは、クルマの出来に関係なく、販売を伸ばすのは難しかったのだ。
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