世界初! リチウムイオン電池の日産「プレーリージョイEV」のリース販売を32万円/月でスタートした1997年【今日は何の日?2月4日】

日産「プレーリージョイEV」
日産「プレーリージョイEV」のメーター、右側にバッテリー残留量を表示
一年365日。毎日が何かの記念日である。本日は、日産自動車が世界初のリチウムイオン電池を採用した電気自動車「プレーリージョイEV」を自治体、大手法人などにリース販売を始めた日だ。満充電時の航続距離200km(10-15モード)以上、最高速度120km/hの性能を発揮した。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・日産 プレーリーのすべて

■日産リーフの13年前にプレーリージョイEVのリース販売開始

日産・プレーリージョイEV
日産・プレーリージョイEV

1997(平成9)年2月4日、日産自動車はミニバンの2代目「プレーリー」をベースにリチウムイオン電池を採用した電気自動車「プレーリージョイEV」を、自治体、大手法人向けなどへリース販売を始めた。リチウムイオン電池は、ソニーと共同で開発されEVへの採用は世界初である。

日産・プレーリージョイEV
1997年にリース販売を開始した日産「プレーリージョイEV」

ベースとなったのはミニバンの先駆車プレーリー

プレーリージョイEVのベースになったのは、1988年にデビューしたミニバン「プレーリー」の2代目である。

日産初代「プレーリー」
1982年にデビューした日産初代「プレーリー」

初代プレーリーは、当時日本で始まったアウトドアブームを背景に多目的なミニバンとして1982年にデビュー。ミニバンの先駆車的なモデルとしてアウトドアファンから支持され、順調に販売を伸ばした。

日産2代目「プレーリー」
1988年にデビューした日産2代目「プレーリー」

そのような中、1988年に登場した2代目プレーリーは、先代のボクシースタイルからスラントノーズのシャープなフォルムに変貌。多彩なシートアレンジなどでミニバンとして魅力を増した2代目プレーリーも、アウトドア派だけでなく、一般のファミリー層からも支持を受けて堅調な販売を記録した。

しかしその後、よりファミリー志向の強い本格的なミニバンのトヨタ「エスティマ(1990年~)」やホンダ「オデッセイ(1994年~)」が登場して、プレーリーの人気は右肩下がりになってしまった。なおプレーリーは、1995年のマイナーチェンジを実施した際に車名が「プレーリージョイ」に変更された。

たま電気自動車からプレーリージョイEVまでの経緯

たま自動車
1947年に東京電気自動車から販売された「たま自動車」、国産車初の量産型電気自動車

日産のEVの歴史は、1947年に東京電気自動車から発売された「たま電気自動車」まで遡る。これは同時に、日本の電気自動車の始まりでもあった。東京電気自動車は、後にプリンス自動車となり、1966年に日産と合併したので、東京電気自動車は日産の源流のひとつであり、たま自動車はリーフのご先祖様と言える。

たま電気自動車は、ミッドシップされたモーターとカートリッジごと交換することができた鉛蓄電池を搭載。最高出力は4.5psを発揮し、最高速度35km/hで満充電時の航続距離は65kmだった。その後、ガソリン供給が安定したためガソリン価格が下がり、一方で電池材料の高騰によって、たま電気自動車は主にタクシーとして活用されたが、3年余り1099台を販売して1951年に生産を終了した。

日産「セドリックEV」
1992年に発表された日産「セドリックEV」,環境庁に1年間貸与された

その後、なかなか日の目を見ることができなかったEVだが、1970年代のオイルショックを機に、また1980年代の米国カリフォルニア州が提唱した“ゼロエミッション規制”の影響でEV待望論が浮上。この間にも日産は、さまざまなEVのコンセプトモデルを開発し、1991年には「プレジデントEV」をマラソンの先導車として貸し出し、1993年には「セドリックEV」を環境庁に約1年の期間限定で貸与するなど、まだ鉛電池だったが開発は継続した。

日産プレジデントEV
日産プレジデントEV。主に大相撲の優勝力士を乗せパレードなどに使われた

1990年代に入ると、ニッケル水素電池が開発され、トヨタやホンダもニッケル水素電池を使ったEVを限定リース販売するなど、EV普及の機運が高まってきた。しかし、鉛電池に対して性能が向上したニッケル水素電池でも、当時はまだ市場で必要な性能(航続距離や信頼性など)と価格を満足することはできなかった。

世界初のリチウムイオン電池搭載プレーリージョイEV登場

日産「プレーリージョイEV」のリアビュー
日産「プレーリージョイEV」のリアビュー

1990年代に入ると、リチウムイオン電池が発明され、携帯電話やPCに使われ始め普及が始まった。そのような中、日産は1997年2月のこの日にリチウムイオン電池を世界で初めて搭載した「プレーリージョイEV」を、主に関連企業・団体などの法人向けにリース販売を始めた。

日産「プレーリージョイEV」
日産「プレーリージョイEV」のメーター、右側にバッテリー残留量を表示
日産「プレーリージョイEV」
日産「プレーリージョイEV」、エンジンの代りにモーターやインバーターなどを搭載

採用したリチウムイオン電池は、ソニーとの共同開発で電池容量8.64kWh、総電圧345V。エネルギー密度100Wh/kgは、鉛電池の約3倍、ニッケル水素電池の約1.5倍、パワー密度300W/kgは鉛電池の約1.2倍、ニッケル水素電池の約1.5倍という電池性能を誇った。

日産「プレーリージョイEV」
日産「プレーリージョイEV」に採用された円筒型リチウムイオン電池
日産「プレーリージョイEV」
日産「プレーリージョイEV」の充電器差込口。現在一般的な接触型ではなく、非接触(電磁誘導型)の充電器を使用

最高出力64ps/最大トルク17kgmの永久磁石同期モーターをエンジンルームに搭載したFF駆動でリチウムイオン電池はトランク位置に搭載。大人4人がゆったり座れる居住性を確保し、航続距離は満充電時に200km以上、最高速度120km/hを達成した。

日産「プレーリージョイEV」
国立極地研究所北極観測センター車として活躍した日産「プレーリージョイEV」

またプレーリージョイEVは、2000年から国立極地研究所北極観測センターの支援車として使用され、極寒の気象条件でも6年間無故障で稼働し、信頼性の高さを実証した。

日産初代「リーフ」
2010年にデビューしてEV時代をけん引した日産初代「リーフ」

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プレーリージョイEVは優れた性能を見せたが、それでもまだ市販化のためには、リチウムイオン電池の効率やコスト、耐久信頼性などの課題は残り、市場への投入は果たせなかった。しかし、プレーリージョイEVの数々の実績は、EVの先駆けとしてEV時代を幕開けたリーフへと繋がる貴重なワンステップであったことは間違いない。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…