排ガス規制を乗り切ったセリカLB! 新車で買って乗り続ける2000GT! 【あくと冬フェス2024クリスマスファイナルクラシックカーミーティング】

1970年に発売されたスペシャルティカーのセリカは、今も人気の高い国産旧車の代表格。特に排ガス規制前までのモデルは吹け上がりの良さから中古車として人気が高いが、規制後のモデルを新車から乗り続けている人がいた!

PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1976年式トヨタ・セリカLB2000GT。

1969年に開催された東京モーターショーに新たな価値観を提唱する2台が展示された。三菱からギャランGTOの市販直前モデルが展示され話題を呼び、トヨタのブースには近未来を感じさせるコンセプトカーのEX-1が展示された。

東京モーターショーに展示されたトヨタEX-1。

この2台は従来までのスポーツカーより手頃で気軽に乗れるスペシャルティカーとして登場した。アメリカにおけるフォード・マスタングの爆発的ヒットに触発されたモデルだが、片や市販車レベルにまで仕上がっていたもののトヨタのものは明らかに市販できる状態ではなかった。

テールゲートを備えるファストバックスタイル。

ショーの後で開発陣に急務が課せられる。三菱がギャランGTOを発売する前後までに新型スペシャルティカーを間に合わせろとの指令だ。コンセプトカーから市販車への転換は容易なことではないはずだが、開発陣は期待に応えてカリーナの兄弟車として1970年12月に初代セリカの発売まで漕ぎ着けた。ギャランGTOが発売されたのは同年11月なので、わずかに先行を許したものの見事なまでの手腕だったと言える。似たような事例としてトヨタは2000GTの発売をマツダからコスモスポーツが発売される時期に合わせてきたこともあった。

社外のアルミホイールに変更してセンターキャップは自作したものを装着。

初代セリカは1400と1500、さらに1600ccと3種の排気量を備えるエンジンをラインナップ。1600DOHCを除外したエンジンと内外装を自由に組み合わせられる「フルチョイスシステム」も話題を呼び、発売早々からセリカは順調な売れ行きを見せた。その点ギャランGTOは発売時に1600ccのSOHCエンジンだけであり、DOHCエンジン搭載のMRは12月になってから発売された。とはいえ選べるエンジンは3種だけであり明らかにセリカより武が悪い。だがギャランGTOはそこそこのヒット作となる。それはセリカがクーペボディだったことに対して、ギャランGTOはファストバックスタイルだったことで人気を博したからなのだ。

発売時に昭和51年規制をクリアした18R-GU型DOHCエンジン。

当然トヨタとしては面白くないだろう。そこで1973年にはGTO同様にファストバックスタイルを採り入れたセリカLB(リフトバック)を追加している。LBには1600OHVとDOHC、2000ccのSOHCとDOHC、4種類のエンジンをラインナップ。全体にクーペより価格帯が上になり、最上級のLB2000GTではセリカ史上初めて100万円を突破する新車価格となった。

購入時にオプションのクーラーを装着した。

高価格にも関わらず2リッターDOHCエンジンのLB2000GTは人気グレードへ成長。以後のセリカシリーズを牽引するグレードとなった。だが、この時期から我が国には排出ガス規制が適用される。規制は段階を経て強化されるもので、75年のマイナーチェンジを機に毎年のように規制適合モデルが発表された。規制前から吹け上がりが1600より悪い2000GTにとり打撃は大きく、後に中古車市場では規制前の1600DOHCエンジンに人気が集中する。だが、規制後の76年に新車としてセリカLB2000GTを購入すると、49年後の今も所有し続けている人がいる。2024年12月に栃木県佐野市で開催された「あくと冬フェス2024クリスマスファイナルクラシックカーミーティングの会場に、イエローのボディカラーが鮮やかなLBが展示されていた。聞けばオーナーの森脇康夫さんが新車から乗り続けている個体だったのだ。

後期モデルはダッシュボードのデザインが変更されている。

森脇さんは取材時で77歳だから、29歳の時にセリカLBを購入されている。その頃、お子さんが誕生したことで家族で乗れるクルマを買おうと思ったのがきっかけだ。今やファミリーカーといえば背の高いワンボックスタイプが主流だが、70年代は2ドア車の人気が高く子供が小さいうちならセリカなどが選ばれることも多かった。多少不便だろうとも、スタイルや性能が優先される良き時代だったのだ。それに比べ新型の発売が噂される新たなセリカは本格的なスポーツ4WDとして高額モデルになりそうだ。もはや2ドア車の市場はかつてと比べようもなく縮小してしまったということだ。

スポーティな5連メーターを装備。

強いこだわりで選んだセリカLBだから、当然大切に扱われてきた。一緒に参加されていた奥様から「今なら笑い話だけど」と前置きされつつ「子供が風邪をひいたので病院まで送って行ってと頼んだら、『雨が降っているから』と断られたんですよ」というくらい、セリカLBは森脇さんにとり大切な存在だった。なにしろ購入時に現金一括で買われているくらいなので、愛着もひとしおなのだろう。

故障診断装置であるOKモニターが採用されている。

新車からのワンオーナー車なので、カスタムや改造はほぼない。長くトヨタディーラーでメンテナンスされてきて、今も新車時の状態をよく保っている。唯一変更したのがアルミホイールで、ボディカラーと同じイエローの8スポークタイプを選んでいる。面白いのはセンターに装着するハブキャップ。アルミホイールにも付属していたのだろうが、森脇さんは銅素材から自作したものを組み合わせている。表面には森脇さんの森の字があしらわれていて、自作にこだわった理由だ。

純正シートには座布団を敷いて保護。

後年になってカーナビが普及してくると、センターコンソールの一部を外して枠をアルミ板から製作。そこへ市販のカーナビを組み込んだ。できることは自分でするのがモットーなのだ。こんな森脇さんに対して奥様もセリカLBに愛着を覚えたのだろう。お子さんが2人になるとリヤシートを倒した上で裸足で遊べるようにと、カーペットを作られたのだ。それが今も残されていて、ご夫婦の愛着が感じられる仕様になっていた。もちろん奥様の指定席である助手席にも、ご自身で作られた座布団が敷かれていた。

当時小さかったお子さんたちのためリヤシートを倒してお手製のカーペットを敷いた。

ご夫婦からの愛情を一身に受けて育ったセリカLBは、もはや家族同然なのだろう。その後にホンダNSXを購入した森脇さんだがセリカLBを手放そうなどと考えたこともない。さらに現在は2台の実用車が買い足され都合4台体制なのだが、こうして今もセリカLBは森脇家の一員。ワンオーナーのまま40年50年と経てきたクルマには、やはり独特の存在感が滲み出すのだろう。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…