ポルシェというクルマには、昔から物凄いオーラを感じています。なかでも極めつけは、1950年代の傑作車、550スパイダー。これは、今から20年近く前、550スパイダーとともにいくつものイベントに参加した、大切な思い出のお話です。
話は80年代初め。ボクが中学生になった頃に遡ります。家族で正月祝いをしているなか、父の大学の後輩のOさんが新年のご挨拶にいらっしゃいました。それがボクとOさんとの初めての出会いになります。ちょうど都内の中学校に進学したボクと同じ中学校の先輩になったOさんが話しかけてくれました。
「アキラ、絵を描いているんだって? 良い絵をたくさん見て、自動車雑誌の表紙を描くようなイラストレーターになってくれよな」
その時に見せてもらったOさんの愛車は、ケイターハムのスーパーセブン。雑誌の写真では知っていましたが、その緑のスポーツカーはなんだかとても素敵に見えて、嬉しくなりました。そのあとすぐに、Oさんの似顔絵とスーパーセブンを描いた御礼状をお送りしました。そして、Oさんからも折に触れて万年筆の独特の書き文字で書かれたオシャレなカードをいただくようになったのです。
Oさんは古いクルマのエンスージアストでしたが堅苦しい人柄ではなく、古いクルマでも毎日乗ってどんどん使う方でした。20代の頃からシルバーのポルシェ356Bで毎日会社に通われ、ランチアを買われた時も、「今度、ランチア フルビア ラリー買ったんだよ。調子がいい時は、すっごく良いクルマだよ」と、嬉しそうに話してくれました。もちろん356も赤いフルビアも、絵を描いてOさんにプレゼントしました。いつもOさんは「すっごく良いよ!!」と、応援してくれました。
年に何度も届くカードには、読んだほうがいい本(サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』や、アップダイクの『走れウサギ』など)や見たほうがいい映画など、色んなことが万年筆で書き綴られていました。黒い68年のポルシェ911Sも雨の日の夜に横に乗せてもらいましたが、ドアのかっちりとした感じや独特な音など、強く印象に残りました。 1999年に初めて東京の南青山画廊で個展を開いたときも凄く作品を褒めてくださり、初日、真っ先に作品を2点(それも、ボクの一番気に入っていた作品を)お買い上げいただきました。ウォーホルやリキテンシュタインなどの現代美術をご自宅に飾られ、歌舞伎や相撲、芸者のお座敷を愛する旦那衆で、やはり目利きの最たるものとも言える、そんなOさんに可愛がっていただけたのは、ボクにとっても嬉しい限りでした。
そんなOさんから興奮した声で電話をいただいたのは今から20年くらい前のことだったでしょうか。
「アキラ、ついに550買っちゃったよ!! 54年式。55歳の自分への誕生日プレゼントだよ」ととても嬉しそうでした。そして…
「ラリーに出るからナビやってね」
その後に続いた、なんとも意外な言葉にとても驚きました。
356で長く日本の『ラ・フェスタ・ミッレミリア』に出られていたOさん。当時盛んになってきたラリーイベント出場のために神戸に行かれるとのこと。しかも普通の人は参加車両をローダーに載せて運びますが、「一番面白いところは味あわないといけないよ」と、Oさんは高速道路を自走で行かれるとの話。
もっとも、ラリーと言っても悪路を高速で走り抜けるWRCのようなスプリント系ラリー競技ではなく、公道の指定区間や特定の走行タイムが設定されているスペシャルステージで、設定平均速度や設定タイムとのコンマ何秒の誤差を競うアベレージラリー(タイムラリーやロードラリーとも呼ばれます)です。競技形式としてはいわゆる「第2種アベレージラリー」ですが、日本におけるクラシックカーラリーはレジャーラリー的側面が強いので、アベレージ(指定される平均速度)も比較的低いのです。とは言っても…。
「アキラも乗ってくだろ?」
クルマは1954年式ポルシェ550スパイダー。ジェームズ・ディーンで有名な55年式よりも前のクラシックな形で、カレラ パナメリカーナという南米大陸を縦断した伝説の自動車レースで有名なクルマです。腹は決まりました。ここは断る理由なんかありません。さっそく部屋の隅から使っていないスクーター用のシルバーのフルフェイスヘルメットを発掘。何しろOさんの550スパイダーにはウィンドウというものが無く、ドライバーの前に小さなバイザーのようなシールドが付くのみ。助手席はアルミのボンネットがそのままアルミのインパネに、スムーズに繋がっています。高速の風圧は息ができないほどで、ゴーグルやヘルメットは必須でした。
助手席の左角はシートがえぐられていて、ドライバーのシフトレバーの付け根がめり込んでいるのでシフトの度に手が当たる感じです。「助手席が女性ならよかったのにな」とOさん。ドアも軽く、強く押すとへこむほど薄いアルミ製で、給油のたびにボンネットを開けるのですがインパネの両サイドのストッパーが甘くて、給油の後、よく上から抑えながら(助手席からボンネットに手が届くのです!)走ったものでした。 愛らしい550は、思った以上に小さく低い姿。ミッドシップの複雑な4カムエンジンは美しく、回すとうっとりとする「シャーン」という金属的なサウンドを響かせました。神戸についた頃にはぐったりでしたが、そこからの夢のような体験は、次回、お話することにしましょう。