初代セリカが誘(いざな)う、日本初のスペシャルティワールド 【時代の名車探訪No.2】トヨタセリカ・TA22型・1970年(昭和45)年 ~概要編~

どうも。
「時代の名車探訪」のお時間がやってまいりました。
みなさんごきげんいかがですか。
過去の名車をたどる本記事の2回めは、第1回の初代「ソアラ」に続き、今回は初代「セリカ」を採り上げます。

TEXT:山口尚志(YAMAGUCHI Hisashi) PHOTO:中野幸次(NAKANO Kouji)/トヨタ自動車/日産自動車/モーターファン・アーカイブ

プロローグ

第1回目を「初代ソアラ」に据えて正式スタートした「時代の名車探訪」は多くのひとに読まれたようだ。

公開は昨年2024年暮れから2025年年明けにかけてで、全10回でお送りした。
読者のみなさんは、「紅白歌合戦」や「年の初めはさだまさし」よりもこちらを選んでくれたわけで、たいへんありがたく、心から感謝を申し上げる次第である。

個人的なことをいうと、当初全10回分を第1回公開日前までに終わらせるはずだったのに、後半5回分を残したあたりにインフルエンザにかかり、年末5日間寝込むことに。後半の第6~10回ぶんは、新聞じゃあるまいし、当日朝に書き上げたという有様である。
おかげさまでこの年末年始は年の瀬の風情もお正月の雰囲気もさだまさしもなく、私にとっての2024年12月31日から2025年1月1日にかけては、5月31日から6月1日に移るのと同じくらい、平凡な平凡なただの月替わりなのであった。
それにしてもインフルエンザウイルスのヤロウ・・・

初代セリカ。1970(昭和45)年10月23日発表・12月1日発売。

と、裏話はここまでで、ここから先は表話。

第2回めの「時代の名車探訪」は、ひきつづきトヨタ車で、「初代セリカ」を採り上げる(ぜんぜん初代セリカのプロローグになっていない)。

モータリゼーション幕開けから数年、早くも余裕が出てきた日本のクルマ市場

初代サニーや初代カローラに象徴される1966(昭和41)年の「マイカー元年」から少し経った1970年代は、自動車界に少々余裕が出てきた頃だ。クルマに手が届く庶民が増えてクルマが売れ始め、自動車各社が力をつけ始めた時期である。

初代サニー(1966(昭和41)年。
初代カローラ(1966(昭和41)年。

トヨタでいえば、1966(昭和41)年9月時点のラインアップにあるのは、一般向けの乗用車ではせいぜいパブリカとコロナくらい。クラウンはまだ法人向けが主体だったし、トヨタスポーツ800はユーザー層が限られる。ここに翌月初代カローラが加わって以降、トヨタのシェアは一気に拡大の一途をたどることとなる。

初代パブリカ。写真は1966年4月改良モデルで、排気量が700ccから800ccになったときのもの。
トヨペット・コロナの3代目。こちらは1966(昭和41)年6月のマイナーチェンジ車。
2代目クラウン(写真は1967年型)。
通称「ヨタハチ」、本名「トヨタスポーツ800」。1965(昭和40)年4月発売。メカ母体はこのときのパブリカだ。

ただしこれらはあくまでも実用セダン。憧れだったクルマも需要がひとまず一巡すれば、次のステップとして、実用車とは違う、所有する誇り、ハンドルを握る喜び、爽快な走りを楽しみたい欲求が生まれる。

それまでだってホットモデルがなかったわけではない。
周囲を見渡せば身内にはすでにコロナハードトップがあったし、その対抗馬に日産はブルーバードSSS(スリーエス)を充てていた。法人需要がメーンユースとはいえ、クラウンにだってホットモデルの「クラウンS」がある。サニーはクーペを、カローラはパワー版SLやファストバック2ドアの「カローラ・スプリンター」をほとんど同時に送り出した。
しかしこれらはみな母体を実用セダンとする派生車。ドア数を減らしたり、エンジン出力を多少上げてトランスミッションをローギヤードにしたりしたところで、しょせん実用車から脱却しきれていなかった。

さきのコロナの2ドアハードトップ。同じく1966(昭和41)年6月のマイナーチェンジ車。
ブルーバードクーペSSS(1969年型)。
1966(昭和41)年1月型のクラウンの走りのモデル、クラウンS。
だからクラウンとしては異質に、タコメーターがつく。かなり無理していえば、クラウンアスリートの先祖だ。

専用ボディのクルマなら、さきのヨタハチのほか、トヨタなら2000GT、日産ならフェアレディZがある。ホンダのS800も仲間に入れられよう。

初代フェアレディZ(1969(昭和44)年)。
トヨタ2000GT(1967(昭和42)年)。
当時のモーターファン1966(昭和41)年3月号広告より、ホンダS800。

だが、2000GTやZは本格スポーツカーでサイズも大きく、乗るにはそれなりの気構えが要る。何よりも専用設計がものをいって価格が高いし重量もかさむ。オープンのS800も日常向きとはいえない。

ここいらでそろそろ、若者の心を鷲掴みにする、専用ボディのスタイリッシュクーペがあってもいいのではないか。
平日は通勤など実用に使って仮の姿で過ごし、休みには走ることを楽しむことのできるライト感覚の高性能クーペ。
若者人気を集めるには、それが割安に手に入る価格でなければならない。
そんな機運が初代カローラの次に生まれることを予測できないトヨタではない。

彼らは初代「セリカ」という答えをちゃ~んと用意していた。

答え。

誕生・初代セリカ

発表会は1970(昭和45)年10月23日に、ホテルニューオータニで行われた。ただし発売は、まずは同月30日から東京・晴海で行なわれた第17回東京モーターショー1970でのお披露目をはさんだ後の12月1日だ。

まずは発表直後の第17回東京モーターショーで一般公開された。
トヨタブース全景。

「celica:セリカ」とはスペイン語で「天上の」「神々しい」の意味だ。

ボディは、前述したクルマたちと違い、まったくの専用デザインにして専用ボディ。

1970(昭和45)年10月23日の初代セリカ/カリーナ発表会。場所はホテルニューオータニ。
セリカ運転席。
セリカ内装。

ボディ形態としては、同時期の「コロナハードトップ」と同じなのだが、あちらはセダンが派生元なのと、セダンとの違いを示す意味もあって「コロナハードトップ」を名乗るが、こちらセリカは生まれながらのスペシャルティクーペだから単に「セリカ」。さきのZや2000GTと違って普段着で乗れるのがいいし、それでいて派生元を持たないだけに生活臭が一切ないのがいい。

セリカの前、1970(昭和45)年1月に5代めにモデルチェンジしたコロナ(のハードトップ)。

とにかく、パブリカ、カローラ/スプリンター、コロナ、コロナ・マークII、そしてクラウン・・・下から上まで続く、このときのトヨタラインとは一線を画す、新たな路線の誕生である。
もっとも、スポーティだとなぜ2ドアハードトップなのかという疑問は湧くが・・・

同じメカ母体で別キャラクターにした最初の例

プラットホームは開発に膨大な費用がかかる。ゆえにいまのクルマは、一部の例外を除き、プラットホームは複数の車種に使うことを前提に開発される。姿形の異なる派生車種に転用(というよりは、初めからそのつもりで)することによって量産効果を生み出し、少しでも安い車両価格で顧客に新車を提供するわけだ(それにしてはいまのクルマはちっとも安くないが)。
端的にいえば、内側のメカの種類はクルマの数ほどではないと考えてまちがいない。

初代セリカの場合、エンジン3種、トランスミッション3種、サスペンション1種類・・・セリカは派生元のない専用ボディと書いたが、これらユニットは、同時発表・発売の初代「カリーナ」と共通とされた。フロアパンを共有する以外、ボディはほぼ別ものだから厳密にはプラットホームとはいえないが、それにしてもセリカ/カリーナは、主要ユニットを共通にしながら、車両キャラクターがまるで異なる複数車種を造り上げた最初の例のはずだ。内装だってそれぞれ専用。

その間柄たるや、インテリアや機械部分は同じまま、誰にでも親しまれるクルマのエクステリアを多少上級&スポーティに振ってテイストを変えた、カローラ/スプリンターの場合とはまったく別次元なのである。

同じく同時発表の初代カリーナ。向こうに「ホテルニューオータニ」の証拠が。
カリーナ運転席。

セリカが独自の道を行く2ドアクーペなら、カリーナはさきのトヨタラインに収められるが、いわゆる車格で述べるとすれば、カローラとコロナの間のちょいコロナ寄り。
ただし千葉真一に「足のいいやつ」といわしめるセダンのことだ、既存ラインからセリカ側にちょいオフセットしたクルマといえよう。だいたい、セダンの割にカリーナが「足のいいやつ」であることをアピールしたのは、もともとはカリーナがセリカと足回りを共有したことに由来しているからなのだ。

その後セリカとカリーナはメカを共用しながら代を進めていくが、メカ共有といえば、2代目カリーナからの派生車として生まれた、カローラ店向け上級セダン「セリカ・カムリ(1980(昭和55)年)」がある。
「カムリ:camry」は「冠(かんむり)」からの造語。もともとセリカのメカを持った4ドアセダンとして出発したカリーナなのに、同じく2代目セリカとメカを共有するそのボディの内外にちょっと手を加えて造ったセダンに、こんどは「セリカ」が冠称に使われたわけだ。何となく「セリカ」が行って帰ってきたというか、ややこしいというか・・・これが他のメーカーなら混乱を招くだけだがそうはならず、きちんと売ってのけたのだからさすがはトヨタ。

セリカ・カムリ(1980(昭和55)年)。
セリカ・カムリのベースとなった2代めカリーナ。

ただし、セリカ/カリーナグループだったのは「セリカ・カムリ」時代だけ。
方向性の違いで脱退するバンドグループのメンバーと同じで、このクルマは次の世代でトヨタ初のエンジン横置きFF4ドアのの道を歩むことになり、「ビスタ」を新しい相方に、「カムリ」として再出発を図る(1982(昭和57)年)。
「セリカ」の冠をはずしたことで単に「冠」になったのがおかしい。

1982年、セリカ・カムリはトヨタ初のエンジン横置きFFのミドルセダン「カムリ」として再出発する。

メカバリエーション

話を戻し、外観は何度も書いたとおり、形態としては2ドアハードトップのクーペ型。

エンジンは水冷直列4気筒T型4種。

1400のT型は最高出力86ps/6000rpm、最大トルク11.7kgm/3800rpmで、4速MTとの組み合わせ。1600は100ps/6000rpm、13.7kgm/3800rpmの2Tと、ツインキャブレターの105ps/6000rpm、14.0kgm/4200rpmの2T-Bがあり、どちらも4速、5速のMTのほか、3速のAT・・・トヨグライドの3種のトランスミッションが組み合わされる。ここまでがOHV。

セリカ1400のT型エンジン。
1600の2T型。
ツインキャブレターの2T-B。
4速マニュアルトランスミッション(のシフトノブ)。
4速マニュアルトランスミッション(のシフトノブ)。
5速トランスミッションの構造図。
3速のトヨグライド。

セリカのイメージリーダー、GTには同じT型でも、OHVからSOHCをすっ飛ばしていきなりDOHCの2T-Gが載せられる。115ps/6400rpm、14.5kgm/5200rpmで、こちらは5MTのみ。

そしてDOHCの2T-Gだ。

足まわりは、前がマクファーソンストラット式のコイルスプリング、後ろが4リンクラテラルロッド式。

マクファーソンストラットのフロントサスペンション。
4リンク式ラテラルロッドのリヤサスペンション。

エンジン、トランスミッション、サスペンションは、セリカ/カリーナ共通と書いたが、強力な2T-Gはセリカだけのものであるいっぽう、3速コラムシフトや2速トヨグライドはカリーナだけのものだ(セリカにもあったらほしい)。
また、サスペンションは型式もジオメトリーも両車同じだが、前後コイルばねの定数やショックアブソーバーの減衰力は変えてある。
このように、どれもこれもがコピーしたように同じというわけではなく、車両キャラクターに合わせてきちんと造り分けがされていたのだ。

ところでここまで読んで、このようなことを書きながらある点についてきれいにすっぽ抜けていることを、セリカファンの鋭い方ならお気づきと思う。
わかってますって。それはどこかの章で書くつもり。

知っていますか? 初代セリカのトライアル

初代セリカにはいくつかの試みが見られる。

ひとつはバンパーだ。
バンパーは移り変わりがあり、この頃のクルマはめっき処理を与えたスチール製だったが、やがて樹脂製に変わった後、その樹脂に塗装を施したカラードバンパーに移行した。
その色塗りバンパーが、セリカでは中級から上のST、GTの一部の車体色で選ぶことができた。

めっきつやつやではない「エラストマ・カラーバンパー」。STとGTにオプション。車体色をペイントしたのではなく、鉄バンパーの外側を軟質素材で覆ってある。

といっても、同時期のクジラクラウンのように、鉄に車体色を塗ったものではなく、鉄の表面をソフトで弾力のある樹脂で覆ったバンパーで、カタログでは「エラストマ・カラーバンパー」と呼び、フロントバンパーのみに適用された。

フロントバンパーが「エラストマ・カラーバンパー」でも・・・
後ろはそうでないことがわかるでしょ。この写真、ピンぼけでごめん。当時のカメラマンが悪いのです。誰だっ? 撮ったやつは!

こちらで補足すると、「エラストマ」は、正確には「エラストマー」。
これは材料の固有名ではなく、性質を表す。「エラスト」は「弾力性のある」、「マー」は「『重合』という化学反応でできたもの」を意味する「ポリマー」の「マー」。ふたつくっつけて「エラストマー」だ。

本来バンパーは軽衝突を受けるべく、車体から突き出ているのが常識だったが、いまでは歩行者保護が優先され、突き出すどころかボディやランプとフラッシュサーフィスとなり、ボディになじんだ姿になっている。
セリカはこれもさきのクジラと並び、前後バンパーともボディにインテグレートしているところがいまのクルマと共通している。

もうひとつの試みは室内の天井側にある。
いまのクルマはほとんどが成型天井になった。あらかじめルーフ形状(中からの)に沿って成形しておいたトリム材をぴったりはめ込むやつだが、その成型天井を用いたのはこのセリカが初。

それまでは指で押すと中はスカスカの、ビニール地が広がる吊り天井がふつうだった。
走りのGTにのみ装備され、当時のトヨタ資料では「安全性、豪華さ、およびヘッドクリアランスの向上に役立っている」と説明している。

初代セリカの成型天井。

まるで別デザインでも予告編・セリカのエクスペリメンタルモデル「EX-I」

ところで初代セリカが発売される前年の第16回東京ショー1969で、セリカの予告編となる「EX-I」が展示されている。

ヘッドライトは異形で、フード先でアクリルと思しきシェードがライト&グリル全体を覆っている。
サイドに目をやれば、フェンダーからドア、リヤボディに至るまで、ピンとした張りを持つ面で構成され、目にうるさい余計なプレスやモールは一切ない。ドアやリヤサイドのガラスの上下寸が極めて短いのはサイド視界に難がありそうだし、リヤサイドのガラスなんか完全に正三角形だ。

第16回東京モーターショー(1969年)に展示されたトヨタEX-I。未来的デザインのコンセプトカー展示がモーターショーの醍醐味だ。いまのコンセプトカーは未来感が薄れてつまらなくなったと思う。

中を覗くと「何もここまでしなくとも」と思うほどせり出したセンター操作部が目を引く。せり出しすぎだと思うのだが、操作性を重視したらしい。動作状態を示すレバー上の照明に光ケーブルを用いるなど、当時としては先進的なデモンストレーションをしている。

非円形ハンドルの発想はいつの時代もあったらしい。EX-Iは角の丸い長方形。
センターコンソールはこんなに張り出している。
何もここまでしなくても。

これがもう少し前のショー展示なら次世代クーペを示唆するコンセプトモデルといえ、「好評だったことから量産化が決定し、生産要件を織り込んで初代セリカを開発しました」という話が成り立ち、話としてはおもしろくなるのだが、残念ながらそうではないからこのEX-Iを「予告編」と書いたゆえん。

セリカがデビューを翌年に控えているならこの時点で生産準備も佳境の時期にある。これはプレス型、すなわち量産デザインだって決定していることを意味する。

実は話が逆で、このEX-Iはおおかた設計が終わっていたセリカボディの骨格を用いて造ったエクスペリメンタルモデルなのだ。そのデザインとて、セリカデザイン開発初期にあった先行デザインモデルをモチーフにしている。
このへんの話はべつのどこかでお目にかけよう。

「時代の名車探訪」第2回めの「初代セリカ」の第1章は、初代セリカの概要について、初代カリーナとともにお伝えした。
次回以降は、初代セリカの内外について解説していく。

次回、「セリカ」第2章は明日4月27日(日)に公開だ。

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山口 尚志 近影

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