『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』レポート vol.1

ストラトス・ゼロも来日!スーパーカーやクラシックカーが勢揃いした『コンソルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』がスゴい!!

2025年3月15日(土)~3月16日(日)にかけて日本唯一のコンクール・デレガンス『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』が開催された。6年ぶり4回目となる今回のイベントは、会場をこれまでの会場を京都・元離宮二条城から奈良・薬師寺へと移し、国内からのエントリー車が中心となる。その目玉はアメリカからこのイベントのために来日したストラトスゼロだ。その他にも綺羅星の如き名車60台がことを代表するユネスコ世界文化遺産にも登録される名刹に集結したのである。

日本唯一の国際格式コンクール・デレガンスが6年ぶりに奈良で開催

『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』の会場となった薬師寺・玄奘三蔵院伽藍(げんじょうさんぞういんがらん)。

2025年3月15日(土)~3月16日(日)にかけて『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』が、古都・奈良を代表する文化財である法相宗大本山・薬師寺の境内で開催された。このイベントは自動車の「優雅さ」や「美しさ」を競う国際格式に則ったコンクール・デレガンスで、今回は1910年代のクラシックカーから最新のスポーツカーまで、さまざまな年代の名車が日本はもとより海外からもエントリーした。

古都・奈良を代表する文化財である法相宗大本山・薬師寺の境内でカーイベントが開催されたのは初めてのこと。
薬師寺の大門から会場を臨む。門の向かって右側には『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』看板が掲げられていた。

今回で6年ぶり4回目を迎える『コンコルソ・デレガンツァ』は、ファウンダー/CEOを務める木村英智さんらによる「世界各国で開催されているコンクール・デレガンスを日本らしい景観の中、桜が咲く季節に開催したい」とも思いから2016年春に京都の元離宮二条城を会場として『コンコルソ・デレガンツァ京都2016』が初開催された。


2018年春に開催された『コンコルソ・デレガンツァ・京都2018』
『コンコルソ・デレガンツァ』としては2回目のイベントで、2018年3月30日~4月2日にかけて京都離宮二条城を会場に開催された。このときのテーマはカロッツェリア・トゥーリングで、スーパーレッジェーラ(超軽量)構造のクラシック・フェラーリやアルファロメオ、マセラティ、アストンマーティンなどが日本のみならず世界から集まった。
2016年に引き続きアジア圏で2回目となる国際格式のコンクール・デレガンスに海外から多数のエントリーがあった。日本国内ではなかなかお目にかかれないカロッツェリア・トゥーリングが手掛けた車両がこれほど集まったのは前代未聞のことだった。
このときは晴天にも恵まれ、桜の季節に京都離宮二条城で開催されたクラシックカーの祭典に多くのエンスージアストで賑わった。写真は離宮二条城の二の丸御殿中庭に展示された往年の名車たち。
『コンコルソ・デレガンツァ・京都2018』の目玉となったのが、イタリアのムゼオ・ストーリコ・アルファロメオ(アルファロメオ歴史博物館)所蔵のアルファロメオC52ディスコヴォランテが来訪したことだった。また、2012年のジュネーブモーターショーで発表されたアルファロメオ8Cディスコヴォランテが3台も登場し、訪れたアルフィスタたちを歓喜させた。

以来、2018年、2019年と過去3回に渡って同じ会場で実施されたが、コロナ禍によって中断を余儀なくされ、さらに二条城の耐震工事なども重なったことから今回は薬師寺で執り行われることになった。

フィアット・アバルト750GTザガートやアルファロメオSZコーダトロンカ、ランチア・フラヴィア・ザガートなどのカロッツェリア・ザガートがスタイリングを手掛けたマシンが並ぶ。

さて、今回の『コンコルソ・デレガンツァ』には過去3回にはない新たな試みが行われた。それは初日の17~22時までと2日目の早朝5時30分から8時30分まで薬師寺の白鳳伽藍(はくほうがらん)にエントリー車両が並べられたことだ。

1931年型アストン・マーティン・インターナショナル・ル・マンをはじめ、貴重な戦前のクラシックカーが多数展示されていた。

これは「ナイトタイムスペシャルセレブレーション」と「モーニングタイムスペシャルセレブレーション」と呼ばれるもので、日没後と日の出前のマジックアワーに世界の名車を鑑賞しようというものだ。しかし、残念ながら15、16日の両日とも悪天候に祟られてしまった。

開催両日はまさかの雨……だが、天は我に味方した!

そう、問題は雨なのだ。雨天の場合、高価かつ希少なクラシックカーは、雨に濡らすわけにはいかないとしてカバーを掛けられてしまうことが多い。筆者が会場を訪れたのはイベント2日目の3月16日であった。天気予報で週末の天気は荒れ模様となることを知ってはいたが、当日は西の空は雲間に青空が見える僥倖に恵まれた。

3月15日、16日の両日は残念ながら悪天候に祟られてしまった。幸いにも終日雨に降られたわけではないが、降り出してしまえばオープンカーはご覧の通りカバーが被せられてしまう。写真はポルシェ356スピードスター・ザガート。

1910年代のクラシックカーから最新モデルまで薬師寺に並ぶ名車の数々

会場となる薬師寺・玄奘三蔵院伽藍(げんじょうさんぞういんがらん)前には内外の名車60台が勢揃いしていた。前回までは展示車両の多くは欧米からの参加車両が中心だったが、今回は国内エントリーが中心となる。

1947年型チシタリア202クーペ。チシタリアはトリノの実業家ピエロ・ドゥジオが1946年に立ち上げた自動車メーカーで、レーシングカーと高性能GTを製造していた。設計はポルシェ設計事務所に委託し、アバルト社設立前のカルロ・アバルトが両社の仲立ちを行っていた。

その中にはアストンマーティン・インターナショナルやアストンマーティン・タイプC、ブガッティ・タイプ13、アルファロメオ6C2500コルサ(Tipo256)などの戦前の希少なモデルのほか、アルファロメオ・ジュリアSZコーダトロンカ、フィアット・アバルト750ビアべロ・モンツァ・ザガート、ランチア・フルヴィア1.8スポーツザガート、ポルシェ904GTSなどの1950~1960年代を代表する名車の数々が並んでいた。

訪れた人の注目を集めていたアルファロメオ6C2500コルサ(Tipo256)。
「カレラ6」ことポルシェ906。国際スポーツカー選手権のために1966年に誕生したグループ4レーシングカー。

さらにJGTCを走ったタイサン・スターカード・フェラーリF40、フェラーリ356GT4BB、ランボルギーニ・カウンタック5000クワトロバルボーレなどの往年のスーパーカー、フェラーリ・デイトナSP3、ケーニグセグ・レゲーラなどの最新鋭スーパースポーツの姿もあった。

JGTCに参戦していたタイサン・スターカードF40。ボディはCFRPで作り直されており、オリジナルのボディカウルはタイサンインターナショナルの故・千葉泰常社長の自宅ガレージの天井に飾られていた。
フェラーリ・デイトナSP3。
ケーニグセグ・レゲーラ。

また、今回のイベントは豊田市のトヨタ博物館と小松市の日本自動車博物館が協賛しており、ジェームス・ボンドシリーズの映画『007は二度死ぬ』でボンドカーとして使用されたトヨタ2000GTオープンカーとレクサスLFAスパイダー、日本クラシックカークラブ(CCCJ)を設立した大学教授にして作曲家の濱徳太郎さんが所有していたランチア・ラムダが特別出展されていた。

トヨタ博物館所蔵のトヨタ2000GTボンドカー。
同じくトヨタ博物館が所蔵するレクサスLFAスパイダー。

そして『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』で注目の的となったのが、アメリカからエントリーしたストラトスゼロだ。このクルマについては機会をあらためて紹介するが、1970年のトリノモーターショーで発表されたコンセプトカーで、その3年後に市販化されるランチア・ストラトスの呼び水となったモデルである。

オーナーとともにアメリカからエントリーしたストラトスゼロ(左)と1939年S.I.A.T.A(シアータ)500ペースカー(右)。ストラトスゼロについては次回詳細に紹介するとして、右のS.I.A.T.A500ペースカーは、フィアット500AトッポリーノをベースにカロッツェリアS.I.A.T.Aが製作したマシン。製造台数はわずか4台で、ミッレミリアに2回出場するなど戦前と戦後に活躍したレーシングカーだ。カーデザイナーになる前のヌッチオ・ベルトーネがドライブしたと伝えられている。ファウンダー/CEOを務める木村英智さんの所有車。

スタイリングを担当したのは昨年亡くなったマルチェロ・ガンディーニで、彼がベルトーネのチーフデザイナーを務めていたときの作品だ。現在は実業家で著名なカーコレクターでもあるアメリカ人のフィリップ・サロフィムさんが所有する。

創業間もないロータス社が開発したレーシングカーのロータス・マーク11。設計はコーリン・チャップマン自身が行った。ル・マン24時間耐久レースなどで活躍。

全国各地でさまざまなカーイベントが開催されてはいるが、これほどのマシンが1箇所に集まることはそう滅多にあることではないだろう。よくぞ、これほどのマシンが国内にいたものだとと関心しきりだ。

1934年型ジャガーSS1フォーライト・サルーン。1930年代のクルマとは思えないほど車高が低い。まさに獲物に狙いをつけて今まさに襲いかかろうとしているジャガーのようだ。

そして、海外からの目玉はやはりストラトスゼロだろう。日本に居ながらにしてガンディーニの幻のマシンが見られる機会は過去にはなかったし、おそらく今後もないだろう。こうした貴重な機会を設けてくれた主催者と神に……いやいや場所が場所だけに仏様に感謝したい気持ちでいっぱいになった。

ランボルギーニ・シアン。

錚々たる顔ぶれの審査員の厳正な審査によりストラトス・ゼロがウィナーに

雨にも関わらず会場は大勢のエンスージアストで賑わっており、写真を撮影したり、オーナーにクルマについて質問をしたり、仲間同士で歓談したりと思い思いに楽しんでいた。
そして午後3時、白鳳伽藍(はくほうがらん)にある食堂で表彰式が行われる。

開会式で挨拶をするファウンダー/CEOの木村英智さん。

開会式は外国からの来客も多いことから日本文化を紹介すべく、ユネスコの世界無形遺産にも登録されている能の演舞から始まった。演目は慶事に舞う「高砂」である。

表彰式はオープニングで披露された能の演舞から始まった。演目は慶事に舞う「高砂」だった。

その後、ファウンダー/CEOの木村英智さん、薬師寺執事長の大谷徹奘さんの挨拶のあと審査員の紹介となった。国際格式のコンクール・デレガンスらしく審査員は豪華な顔ぶれで、『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』の顧問を務める日産デザイン本部長/専務執行役員チーフ・クリエイティブ・オフィサーなどを歴任した中村史郎さん、カロッツェリアピニンファリーナでマセラティやフェラーリのデザインを手掛けた奥山清行さん、ウーゴの孫でカロッツェリアザガートの代表を務めるアンドレア・ザガートさん、FIVA(Fédération Internationale des Véhicules Anciens)会長のティド・ブレスターさん、元F1ドライバーのティエリー・ブーツェンさんが審査に当たった。

『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』の審査員のみなさん。中村史郎さんをはじめ、奥山清行さん、アンドレア・ザガートさん、ティド・ブレスターさん、ティエリー・ブーツェンさんと錚々たる顔ぶれ。
審査員とアワードを受賞したオーナーのみなさんとの集合写真。

厳正な審査の結果、予想通り『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』のウィナーはストラトス・ゼロに決定した。

白鳳伽藍(はくほうがらん)にある食堂で開催された表彰式の様子。中央の帽子を被った男性がストラトス・ゼロで本イベントのウィナーとなったフィリップ・サロフィムさん。

日本の自動車文化成熟のためにも継続開催に期待

シュパン・ポルシェ962LM。1980年代中頃にWECで活躍した962Cをロードゴーイングカーに仕立て直したマシン。

日本は自動車大国のひとつでありながら、政府もメーカーも、そしてユーザーという名の大衆も長らくクルマを耐久消費財としか見なしておらず、こと自動車文化に関しては後進国という状況が続いていた。

ランチアがWRCのために開発したグループBマシン、デルタS4。ターボとスーパーチャージャーで過給するエンジンをミッドシップに収め、4WDで駆動するラリーウェポン。

だが、エンスージアストによる地道な活動が実を結び、ようやく『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン』のような国際格式のコンクール・デレガンスが開催できるまで社会が成熟したことは本当に嬉しく思う。

1994年に76台のみが販売されたポルシェ911ターボ3.6Sフラットノーズ。このクルマとは帰り道が一緒になり、鮎沢PA、用賀PAで見かけることに。用賀PAでオーナーさんにお声をかけさせていただいた。

そうした意味において、このイベントは闇夜を照らす松明のような存在とも言える。次回以降の開催は未定とのことだが、文化の火を絶やしてはならない。今後も継続開催することで、いずれはアメリカのペブルビーチで開催される『コンクール・デレガンス』やイタリアのコモ湖で行われる『コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラデステ』にも匹敵するような世界的なイベントへと成長させ、日本を自動車文化国家へと導いてもらいたいと思う。

512BB、テスタロッサ、512TRからのV12エンジンをミッドシップに搭載するフェラーリシリーズの最終形となる1996年型フェラーリ512M。
2012年のジュネーブショーで発表されたアルファロメオ8Cベースのディスコボランテ。1952年のアルファ・ロメオC52ディスコ・ボランテをトリビュートしたモデルだ。

なお、ストラトス・ゼロを含むエントリー車の紹介は次回からお送りする予定だ。

フォトギャラリー『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』

キーワードで検索する

著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…