【写真で見る】WRC優勝車もあり!?『オートモビルカウンシル2025』に展示されたグループ4ラリーマシンをチェック!

Photo by NAGAYAMA
2025年4月11日(金)〜13日(日)に幕張メッセ(千葉県)にて『オートモビルカウンシル2025』が開催された。今回で10回目という節目の開催となった『オートモビルカウンシル』は、工業デザイン界の巨匠ジョルジエット・ジウジアーロをゲストに招くなど例年以上に話題の多いイベントとなった。もちろん、綺羅星の如き名車が多数展示されていたのだが、そんな中から気になる車両を紹介していこう。(敬称略)
REPORT&PHOTO:MotorFan.jp

『オートモビルカウンシル』はモーターショーであると同時に展示即売会の側面ももつ。それだけに国内の専門店を中心にミントコンディションの車両がプライスタグと共に展示されているわけだが、もちろん非売品の展示車両も多い。特にヒストリーを持つコンペティションマシンともなれば尚更だ。そんな『オートモビルカウンシル2025』に展示されたグループ4ラリーマシンをピックアップしてみた。

『オートモビルカウンシル2025』の会場となった幕張メッセ北ホール(展示ホール9-11)。

テーマは「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」

今回の『オートモビルカウンシル2025』の主催者テーマは「Giorgetto Giugiaro(ジョルジェット・ジウジアーロ)展『世界を変えたマエストロ』」に加え「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」が掲げられ、入口すぐに2024年11月に開催された「ラリージャパン(世界ラリー選手権第13戦)」に合わせて持ち込まれたマカルーゾ財団のコレクションが展示された。

『オートモビルカウンシル2025』のテーマ展示
●ジーノ・マカルーゾ財団とは?
フィアットワークスのコドライバーとして活躍し1972年にはヨーロッパラリー選手権のチャンピオンを獲得したルイージ"ジーノ"マカルーゾが、ラリー引退後に事業で成功をおさめるかたわらラリーカーを中心に多くのクルマを収集・レストア。2018年にジーノのファミリーが財団を設立し、自動車の歴史や技術、メンテナンス、レストアを後世に伝える役割を担っている。

展示車両はラリージャパン終了後は富士スピードウェイの「富士モータースポーツミュージアム」で展示され、三度『オートモビルカウンシル2025』での展示となった。「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」は、2022年から2023年にトリノ自動車博物館で開催され、マカルーゾ財団のコレクションも展示された企画展「THE GOLDEN AGE OF RALLY」、その流れを受けた企画展名である。

マカルーゾ財団のラリーカーコレクション。

展示車両は1960年代から1980年代のラリーシーンを代表する名車たち。いずれもWRC(世界ラリー選手権、前身のヨーロッパ選手権も含む)などで戦った、戦績などの確かなヒストリーのあるマシンそのものだ。

フィアットX1/9アバルト・プロトティーポ(1974年)

X1/9はフィアットの量販FF車であるフィアット128をベースに、エンジンやミッションといったドライブトレインをリヤに移して開発されたミッドシップスポーツ。ベルトーネ主導で開発され、当時のチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニが手がけたクルマだ。

マカルーゾ財団のフィアットX1/9アバルト・プロトティーポ。

1960〜1970年代フィアットグループのモータースポーツ活動はグループ各社が独自に行なっており、フィアットは124スパイダー、ランチアはストラトスなどでラリーを戦っていた。しかし、フィアットはグループのモータースポーツ活動を統合することを決定。主戦マシンとしてX1/9を選択する。

このフィアットX1/9アバルト・プロトティーポはジーノ・マカルーゾが最初にレストアしたコレクション車両。

展示車両はラリー参戦のための試作車=プロトティーポ(=プロトタイプ)で、アバルト製1.8L直列4気筒DOHCエンジンを搭載するほか、オーバーフェンダーによる車幅の拡大、シュノーケルタイプのインテーク、固定式のヘッドライトなど改造が施された。

プロトタイプゆえにホモロゲーションに縛られない(プロトタイプが参戦可能な)ラリーを中心にテスト参戦し、好成績をおさめている。

このプロジェクトの責任者となったのが、フィアット・ラリーチームでコドライバーを務めていたジーノ・マカルーゾで、開発を担当したのがフィアットの開発ドライバー兼エンジニアのジョルジョ・ピアンタだった。

生産台数は5台、市販バージョン1台と伝えられる。

1974年3月のシチリア島ラリーから実戦投入され(ジョルジョ・ピアンタのドライブでミッショントラブルによりリタイヤ)、その後もラリーやレースでクラス優勝など好結果を残す(例えば1975年のフランスラリー選手権では名手ベルナール・ダルニッシュのドライブで5戦して3勝、2位1回、リタイヤ1回という戦績)。しかし、フィアット経営陣はX1/9では販促に繋がらないとして、プロジェクトを放棄。ベース車両はフィアット131ミラフィオーリに変更されてしまう。

特徴的なシュノーケル形状のインテーク。
リヤサスペンションはロワアームのみウィッシュボーンのストラット式。

展示車両は1975年のジロ・デ・イタリア・アウトモビリスティコに出走した2台のうちの1台で、F1ドライバーのクレイ・レガッツォーニ(当時フェラーリに所属)がドライブ、ジーノ・マカルーゾがコドライバーを務めたマシン(リタイヤ)である。ジーノが引退後にコレクターとして最初にレストアした車両だという。

クレイ・レガッツォーニがステアリングを握ったコックピット。
前後225/45R13サイズのピレリP7コルサクラシックを装着。ホイールはクロモドラ製。
フィアットX1/9アバルト・プロトティーポ
<Specification>
ボディサイズ:全長3750mm×全幅1690mm×全高1400mm
ホイールベース:2200mm
車重:760kg
エンジン:水冷直列4気筒DOHC16バルブ
排気量:1840cc
最大出力:210ps

BMCミニ・クーパーS(1966年)

言わずと知れたイギリスのコンパクトカー「ミニ」。ミニは1960年代のラリーシーンで大活躍し、1964年、19965年、1967年のモンテカルロラリー3勝と、1966年の1-2-3フィニッシュからの補助灯規定違反による全車失格は語り草となっている。

マカルーゾ財団のBMCミニ・クーパーS。

展示車両はその1966年モンテカルロラリー出走車であり、同車は1967年1000湖ラリー(現ラリーフィンランド)にも出走し、ティモ・マキネンのドライブにより優勝したワークスカーだ。

29番は優勝車のゼッケン。
ウィナーはティモ・マキネン/ペッカ・ケスキタロ組。
当時のラリーカーの外観はいたってノーマル。
BMC(British Motor Corporation)で製造・販売されたミニだが、当時のブランドは「モーリス」。世代的には「MK.I」にあたる。
タイヤはダンロップのラリータイヤ・M&S SP44-Rxで、サイズは145SR10を装着。マッドフラップはBMCのマークが見える。
BMCミニ・クーパーS
<Specification>
ボディサイズ:全長3150mm×全幅1500mm×全高1350mm
ホイールベース:2030mm
車重:617kg
エンジン:水冷直列4気筒OHV
排気量:1275cc
最大出力:95ps
ミニのヒストリーについてはこちらもご覧ください。

ランチア・ストラトスHF(1976年)

あまりに有名なランチアのラリーウェポン。フィアットグループのランチアがベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによるデザインでダラーラも関与した車体にフェラーリ(ディーノ)のエンジンを搭載。ピレリやアリタリア航空がスポンサーとなり、オールイタリアでWRCを制覇した伝説のマシンは、今更多くを語る必要はないだろう。

マカルーゾ財団のランチア・ストラトスHF。
ランチア・ストラトスについてはこちらもご覧ください。

展示車は1976年から1979年までのヨーロッパのラリーなどで使用された個体。初戦となった1976年ジロ・デ・イタリアはグループ5仕様で出場しており、WRCとは異なる大型スポイラーを備え、グループ5のメイクス選手権同様にターボを装着。マールボロのスポンサードで2台が出場し、1台が優勝している。

同車はグループ5仕様で1976年ジロ・デ・イタリアに出場しているが、後にグループ4仕様に改められた特異なヒストリーを持つ。
同車は1977年のモンテカルロラリー仕様。5号車はラファエレ・ピント/アルナルド・ベルナッキーニ組が出場し、エンジントラブルでリタイヤ。ランチアのエース、サンドロ・ムナーリが優勝している。
ちなみにこのコンビは1976年のジロ・デ・イタリアにも出場しており、リタイヤという結果だった。
ランチア・ストラトスHFのコックピット。
フロントタイヤは225/595R15(=235/45R15)サイズ。銘柄は前後ともにピレリP7コルサクラシック。
リヤタイヤは305/35R15サイズ。ホイールは前後共通の15インチだが、リヤは12J。
ランチア・ストラトスHFを後下方から見る。ディーノ2418cc V型6気筒DOHCエンジンがミッドシップに横置きで搭載される。サスペンションは前後ダブルウィッシュボーン式。
ランチア・ストラトスHF
<Specification>
ボディサイズ:全長3900mm×全幅1750mm×全高1150mm
ホイールベース:2180mm
車重:980kg
エンジン:水冷60度V型6気筒DOHC
排気量:2418cc
最大出力:280ps

フィアット131アバルト(1978年)

フィアットグループはランチア・ストラトスの活躍もX1/9でのモータースポーツ活動も販促効果は薄いと判断し、より販促効果が見込めるであろう量販車種をモータースポーツ活動のベース車両とすることを決定。白羽の矢が立ったのが3ボックスセダンの131ミラフィオーリだった。

マカルーゾ財団のフィアット131アバルト。

ベルトーネの手により改造されたボディは4ドアから2ドアに変更されたほか、前後にオーバーフェンダーを装着。ルーフスポイラーやダックテールスポイラーが追加され、軽量化のためにボンネットとトランクフードはFRP製となった。

トランクフードもFRP製でその後端にダックテールタイプのリヤスポイラーを装備。フード上面右寄りにはトランクを開けずに給油できる燃料タンクリッドがある。

エンジンはフィアット132用の1995cc直列4気筒DOHCのヘッドを2バルブから4バルブに変更(8バルブ→16バルブ)するとともに、ドライサンプ化された専用ユニットをアバルトが開発。
参戦するグループ4の生産台数規定に従って400台が生産されたが、のちに600台が追加生産され1000台程度が世に出たと言われる。

ボンネットフードはFRP製。縦置きエンジンの吸気側となる左寄りに大きなインテークダクトが開いている。

展示車両は主にイギリスラリー選手権で活躍したワークス車両の1台で、1978年のウェールズラリーでの3位やマンクスラリーでの5位入賞など入賞を重ねた実車である。

ゼッケンは無いが、1978年イギリスラリー選手権第3戦ウェールズラリー(ヨーロッパラリー選手権併催)3位というリザルトはマルク・アレン/イルカ・キビマキ組のもの。なお、1位がハンヌ・ミッコラ、2位がロジャー・クラークのフォード・エスコートRS1800MK.II勢。
1978年イギリスラリー選手権第6戦マンクスラリー(ヨーロッパラリー選手権併催)5位というリザルトはマウリツィオ・ベリーニ/アルナルド・ベルナッキーニ組によるもの。
フィアット131アバルトはベース車そのままにオーソドックスなFR車。サスペンションはフロントがストラット式、リヤはベース車の5リンクリジッドから専用開発のセミトレーリング式独立懸架に変更されている。
フロントタイヤはミシュランTB5R+を装着。23/59-15(=265/40R15)という極太サイズだ。
リヤは23/62-15(=275/45R15)とさらに太い。ホイールはアバルト/クロモドラ製。
フィアット131アバルト
<Specification>
ボディサイズ:全長4158mm×全幅1720mm×全高1480mm
ホイールベース:2480mm
車重:950kg
エンジン:水冷直列4気筒DOHC16バルブ
排気量:1995cc
最大出力:230ps

ルノー5ターボ(1981年)

ルノーが量販FFコンパクトハッチバック「5(サンク)」をベースに、1.4L直列4気筒OHVエンジンにF1で培ったターボを組み合わせリヤミッドシップに搭載したグループ4ホモロゲーションモデルとして開発。1980年に発売された。

マカルーゾ財団のルノー5ターボ。

ルノー5ターボは1981年のモンテカルロラリーでデビューウィンをWRCにおけるターボ車初勝利という記録と共に成し遂げた。
1983年にはマイナーチェンジされルノー5ターボIIとなり、ホモロゲーションはグループBに移行。1985年には4WD勢に対抗してマキシ5ターボへと進化。最終的にはホモロゲーション台数を大きく超える1800台ほどが生産されたという。

マカルーゾ財団のルノー5ターボ。ベース車から大きく張り出した前後のフェンダーが特徴。特にリヤの張り出しが大迫力だ。

WRCではデビューウィン以降もフランス系ターマックスペシャリストの手により、1982年と1985年のツール・ド・コルス、1986年のポルトガルラリー(事故によるワークスチーム撤退はあったにせよ)と通算4勝を挙げている。

モンテカルロラリー名物のナイトステージに備えたランプポッドがラリーカーらしい雰囲気。
リヤシートの位置にエンジンとミッションを縦置きで配置するミッドシップ。

展示車両はその1981年モンテカルロラリーで、ジャン・ラニョッティのドライブにより優勝したマシンそのものである。

1981年モンテカルロラリーのゼッケン。黒い部分はラジエーターの排熱を抜くエアアウトレット。
ジャン・ラニョッティ/ジャン・マルク・アンドリエ組が1981年のウィナー。
サスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン式だが、フロントはトーションバー、リヤはコイルスプリングという組み合わせ。赤いサブフレームに囲まれているのがトランスミッションだ。
フロントタイヤはミシュランTB5R+を装着。18/ 60-15(=225/50R15)というサイズだ。
リヤは同じくミシュランTB5R+の23/62-15(=275/45R15)サイズ。
ルノー5ターボ
<Specification>
ボディサイズ:全長3664mm×全幅1752mm×全高1323mm
ホイールベース:2430mm
車重:900kg
エンジン:水冷直列4気筒OHVターボ
排気量:1397cc
最大出力:298ps

アウディ・クワトロ(1981年)

1980年に発売されたアウディ・クワトロは、これまでオフロード車専用の機構と思われてきた4WD(四輪駆動)を、これまでのパートタイム式(2WD・4WD切り替え式)からフルタイム式としてオンロードに持ち込んだエポックメイキングなクルマだった。

マカルーゾ財団のアウディ・クワトロ。

アウディはこのクワトロシステムをアピールする場としてWRCを選択。1973年以降禁止されていた4WD禁止解除を働きかけて、1981年から参戦する。これでアウディ・クワトロはWRC初の”フルタイム”4WDラリーカーとなった。

直列5気筒エンジンをフロントオーバーハングに縦置きするFFベースの4WDで、車重の重さと重量バランスの悪さに起因するアンダーステアをターボ過給によるハイパワーとドリフト走行でカバーしていた。それゆえ、ターマックラリーを苦手としたが、雪やオフロードなどでは4WDのトラクションにより無類の強さを発揮。

初戦のモンテカルロラリーではリタイヤするものの、第2戦スウェディッシュラリーで早くも優勝。4WD+ターボの力をまざまざと見せつけ、ラリー界に「クワトロショック」を巻き起こすことになる。

マカルーゾ財団のアウディ・クワトロ。複数ラリーで異なるクルーがドライブしているためか、ゼッケンやクルー名などは再現されていない。

この1981年はサンレモラリー、RACラリーと合わせて3勝。サンレモラリーはミシェル・ムートン/ファブリツィア・ポンズ組のWRC史上初となる女性クルーによる勝利として記録される。
1982年は7勝を挙げてマニュファクチャラーズタイトルを獲得。3勝のミシェル・ムートンがドライバーズランキング2位となった。(ハンヌ・ミッコラ2勝:3位/スティグ・ブロンクビスト2勝:4位)

三角配置の3連×2のランプポッドが特徴的。
リヤまわりはノーマル然としている。

展示車両は1982年WRCでアウディ・ワークス車で、1000湖ラリーではハンヌ・ミッコラ/アーネ・ハーツ組が、サンレモラリーではスティグ・ブロンクビスト/ビョルン・セデルベルグ組がそれぞれ優勝している個体である。

ノーマルとは全く異なる簡素なコックピット。

アウディ・クワトロの下まわり。サスペンションは前後ともストラット式。エンジン縦置きから始まるドライブトレインは左右対称の直列レイアウト。
フロントタイヤはミシュランTB15CORSEを装着。23/62-15(=275/45R15)というサイズだ。
サイズ・銘柄ともにフロントと同じリヤタイヤ。ホイールサイズも9J×15で同じ。
アウディ・クワトロ
<Specification>
ボディサイズ:全長4404mm×全幅1733mm×全高1344mm
ホイールベース:2524mm
車重:1240kg
エンジン:水冷直列5気筒DOHCターボ
排気量:2110cc
最大出力:360ps

マカルーゾ財団が日本で展示したラリーカーはいずれも正真正銘のワークスカーで、WRCをはじめヨーロッパ選手権やヨーロッパのナショナルラリーで活躍したヒストリーを持つ。しかも、優勝、あるいは表彰台を獲得するなど好成績を挙げたマシンもあり、まさに綺羅星の如しだ。

これらのマシンが2024年のラリージャパンから富士モータースポーツミュージアムを経て『オートモビルカウンシル2025』と、多くの日本のラリーファンの目に触れたのはとても幸せなことだったと言えるだろう。

フォトギャラリー:マカルーゾ財団のラリーカーin『オートモビルカウンシル2025』

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