目次
日本一の大動脈「国道4号」が繋ぐ700km超の旅

日本一長い国道の栄冠を手にしているのは「国道4号」だ。総延長は約738.5kmにも達し、東京都中央区の日本橋から青森県の青森市までを結んでいる。関東と東北を結ぶこの壮大な道のりは東京都から埼玉県、茨城県、栃木県を通過し福島県、宮城県、岩手県、青森県の1都7県に及ぶ。
国道4号の歴史は古く、その元となったのは江戸時代の五街道の一つ「奥州街道」で、現在もそれをほぼ踏襲したルートを結んでいる。当時は参勤交代で各藩の大名が行き来し、多くの旅人で賑わった歴史ある道だ。明治時代以降は「東北本街道」と呼ばれ、1952年に現在の国道4号として正式に指定された。
そんな国道4号の道中には数多くの主要都市が点在する。起点の東京・日本橋を出発すると、さいたま市、宇都宮市、郡山市、福島市、仙台市、盛岡市、八戸市を経て、終点の青森市に至る。各県を代表する都市を南から北へと結んでいるのだ。
これらの都市間を結ぶ国道4号は、まさに東日本の大動脈と言える存在だ。
国道4号線に刻まれた歴史の足跡
国道4号の魅力は、ただ長いだけではない。その道中には歴史的な宿場町や名所旧跡が数多く点在している。特に栃木県の日光市には、世界遺産に登録された「日光東照宮」があり、国道4号(日光街道)を通って多くの参拝客が訪れる。
また、宮城県仙台市の「青葉城址」福島県の「白河小峰城」など、江戸時代の面影を今に伝える史跡も多い。これらの歴史的建造物は、国道4号が単なる移動手段ではなく、日本の歴史と文化をつなぐ重要な道筋であることを示している。
さらに自然景観の美しさも特筆すべき点だ。岩手県の早池峰山系の眺望、宮城県の松島海岸への分岐点、栃木県那須高原の雄大な景色など、四季折々の自然を楽しめるスポットが豊富にある。特に春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色など、季節ごとに異なる表情を見せる国道4号は、ドライブ愛好家にとって、まさに聖地とも言える存在だ。
「命の道」としての国道4号の新たな役割
国道4号の重要性は、2011年3月11日の東日本大震災で改めて認識された。太平洋沿岸を走る国道45号が津波により寸断される中、内陸部を通る国道4号は「命の道」として緊急車両や支援物資の輸送に大きく貢献した。この経験から、国道4号には防災機能の強化が図られているのも特徴だ。
震災をきっかけに、緊急時の避難場所として利用できる「道の駅」の整備や、崖崩れ対策、橋梁の耐震補強を実施。さらに、一部区間では4車線化工事も進み、災害時の代替路としての機能向上が図られている。
特に注目すべきは復興道路として整備された区間だ。被災地域の復興を支援するために、国道4号の一部区間は優先的に整備され、地域間の連携強化に貢献している。これにより、単なる交通インフラを超えた、地域の命と暮らしを守る「生命線」としての役割が再認識されている。
デジタル時代でも色褪せない国道4号の未来

国道4号は防災機能の強化をはじめ、進化を続けている。特に注目すべきは、EVの普及に合わせた急速充電スタンドの整備だ。現在では東北地方の各主要都市を結ぶ高速道路網が整備され、長距離移動の主役は高速道路に移行しつつあるが、国道4号は現在でも主要道路としての立場を失ったわけではない。
実際、現在では東京から青森まで、EVでも安心して走行できる環境整備が進行中だ。また、自動運転技術の実証実験も一部区間で行われており、次世代の交通インフラとしての可能性も模索されている。国道4号は地域に密着した、新しい時代の生活道路としての役割を模索し続けていると言えるだろう。さらに、インバウンド観光の復活に伴い、外国人観光客向けの多言語案内標識の整備も進んでいる。
国道4号の起点である東京・日本橋では、首都高速道路を地下化する大規模プロジェクトが進行中だ。これは周辺のビルや地下鉄を避けながら日本橋川の下にトンネルを通す技術的に難しい工事で、2035年度の完了を目指している。現在の高架は2040年度に撤去される見通しだ。
この工事により、長年首都高速に覆われていた日本橋の空が再び開放される。歴史的建造物である日本橋の姿が青空の下で甦る日は、多くの人々が心待ちにしている瞬間となるだろう。
このような整備は、歴史ある街道としての魅力を高め、観光ルートとしての価値を再認識させることにつながっている。700kmを超える壮大な国道4号は、これからも時代に合わせて進化を続け、人々の生活と文化をつなぐ大動脈としてその存在感を示し続けるだろう。