目次
セリカが送った激動の7年間
初代セリカが誕生したその1970年は、セリカ解説第1章で書いたとおり、モータリゼーション幕開けから数年たった頃だ。
クルマを手に入れさえすれば行動半径も広がり、クルマを所有するだけで楽しい生活を送ることができた・・・のもつかの間。
70年代に入ってまもなく、アメリカに端を発した排気ガス規制「マスキー法」が世界中の自動車メーカーを震撼させ、クルマを造る側にも使う側にも「楽しむ余裕」を脅かし始めることに・・・7年の間のセリカの振り子幅の大きさがそれを象徴している。
ここまで何度も1970年の初期型セリカを登場させているが、重複するのは承知の上で、まず1970年から。
当時撮影のフィルム写真とカタログ写真を混在させて話を進めていく。
1970(昭和45)年12月
初代セリカ新発売(TA20/22型)
まずは9月末に車名および取り扱い店を発表した後、10月23日に仕様、スタイル、価格などを発表。この月の30日から翌月11月12日まで開催された「第17回東京モーターショー1970」で出品し、12月1日に発売することを公表した。


【ポイント】
・派生元のない、2ドアクーペのオリジナルボディ。
・新車注文時、装備などの選択・組み合わせが自在の「フルチョイス・システム」。
・フルチョイス・システムに合わせ、販社・トヨタ自販・トヨタ自工の3者間をオンラインでつなぐ「デーリーオーダーシステム」導入で、納期を短縮化。
・フロントに、軟質素材で包んだ「エラストマ・カラーバンパー」採用。
・初めての成型天井を1600GTに装備。
顔つきは4車4様
1600GTがイメージリーダーのセリカだが、GT以外のET、LT、STもそれぞれ独自のフロントグリルを持つのが芸が細かい。
GTはハニカム型、STは縦桟、LTは横桟。おもしろいのはETで、グリルは横桟だが、ランプ周囲は部品取り付けを忘れたようなデザイン。4つ個々ランプを囲むリングも、めっきが省かれる。

給油口はリヤナンバープレート裏に
燃料給油口は、その頃のクジラクラウン同様、後ろのナンバープレート裏にある。

スペアタイヤはトランク右
奥行き、容量ともに充分な広さ。スペアタイヤの縦収容が、深さもそれなりにあることを示す。左側は工具置き場になっている。

計器盤
カスタムSW内装の木目は、メーターまわり、ハンドル、シフトノブ、コンソールにまでおよぶ。

メモリー・メーター
死ぬまでに一度は見てみたい、メモリー・メーター。

3種のインテリア
シートを載せていなかったのでここでお見せしよう。
内装色はブラック、レッド、アイボリーの3つ。
これらはボディカラーしだいで決まる。



写真ギャラリー
ここからは秘蔵写真と新撮写真(といっても自分で撮った一部だが)をずら並べしてお見せする。
・セリカ発表会 1970(昭和45)年10月23日 於:ホテルニューオータニ


・当時の撮影場所を特定!






・ジャッキアップしすぎのセリカ


・昔の環八沿いガソリンスタンドと怖いレッドワンテール






・おり姫さまもあきれるやりすぎセリカ

1972(昭和47)年8月
一部改良
内外装を一部変えるとともに、競技ベース車両となるGTVを追加した。
カスタムインテリアのコンソールを大型化し、速度警報装置や2段階キーロックを新規に採り入れ、スイッチのデザインも改められた。
大規模なのは燃料タンク位置の変更だ。
【ポイント】
・GTV追加。
・グリル、リヤランプ、エンブレム形状変更。
・一部インテリアはコンソールを大型化。
リヤランプ配色変更
後ろのランプは、リバースを除くレンズが赤一色の「レッドワンテール」だったが、改定された保安基準への対応で、ターンシグナルをオレンジに。ついでにレンズ本体も2分割式にした。

GTVあらわる!
ラリーベースの仕様で、「GTV」の「V」は「victry(勝利)」に由来するが、私のような群馬県の人間には「群馬テレビ」の表記にしか見えない。
フロントグリルセンターには堂々と「GTV」を掲げるが、このときの改良で、他のバッジ(ET、LT、ST)も書体が変更されている。

スペアタイヤは床下に
燃料タンクが後席背後に移動。その跡地には、これまでトランク右にあったスペアタイヤが収まったのでトランクスペースが拡大した。

燃料給油口もお引越し
燃料タンクの移動に伴い、後ろのナンバープレート裏にあった燃料給油口が、左リヤピラー根元に新登場。

新設された大型コンソール
カスタム以上の内装は大型コンソールがつき、左右が分かれて使いやすくなった空調吹出口、時計が一体化された。右側の長方形は、GTVでは油圧計になる。

写真ギャラリー
またも秘蔵写真をお見せしよう。


1973(昭和48)年4月
セリカLB(リフトバック)発売/セリカ2000シリーズ追加
1973(昭和48)年4月6日にセリカLB(リフトバック)を追加。
もちろん、「フルチョイス・システム」が採り入れられているのは本家セリカと同じ。
ただし選択種は異なり、エンジンは、1400がない代わりに、2000車も登場。1600と2000は4MT、5MT、トヨグライド3速が選べ、1600ツインキャブは5速だけだった。
GTは、1600GTのほか、2000GTもあるが、引きつづき「フルチョイス・システム」の対象外。
エクステリア種はSTとGTのみ。
リフトバックに2000を設けたことで、セリカにも2000と投入された。
これでセリカのほうは1400、1600、1600ツインキャブ、1600DOHCと2000、エンジンは5種類に。
簡素な外観ETでも2000が選べ、その場合は4MTのみとなる。

【ポイント】
・レジャー時代対応で後ろをガラスごと開くハッチバックボディに。
・リフトバックは1600と2000の2種。同時にセリカにも2000シリーズ追加。
・セリカとは別デザインのフロント顔。
・LBは全機種成型天井。
・セリカ、セリカLBとも、ウォッシャーノズルを分割式に変更。
・LB2000GTの速度計は、220km/hまでプロッティング。
セリカLB本編では触れなかったが、セリカおよびセリカLBの企画は、アメリカのフォードマスタングに大きな影響を受けている。
低価格にして豊富なオプションを用意して自分だけのクルマを造るコンセプトで売られたマスタングに倣ったわけだ。
セリカLBのリヤスタイリングは、マスタングを意識しなかったといえば嘘になるだろう。
計器盤のデザインは基本的にセリカと共通。
ただし、ハンドルはセリカと異なり、4本スポーク型。それもそうは見えないが楕円形で、長径と短径で12mmの差がある。乗降性向上と前方視界をよくするためだ。
おんなじようで違う顔
本編と重複するが、フロント顔はセリカと同じようで違う。
フードが70mm延長され、左右ライト間も広がっているから、設計もパネルもまったくの別もの。それでいてちゃんとセリカ顔を保っている。これは簡単そうでなかなか難しく、このへんはデザイナーの腕前を称賛すべきだろう。

タンク位置は従来のまま
おもしろいのは、セリカは1972年改良時に燃料タンクを後席背後に移しているのに、こちらセリカLBは床下配置のままなことだ。したがって、スペアタイヤも右内壁に収容されている。たぶんセリカの改良時に開発中だったLBは、対応できなかったのだろう。
したがって、給油口はリヤセンターで分割された化粧板の裏にある。

計器盤
LBはセリカにはない4本スポークハンドルとなる。ひと目でわからないが、タテ径よりヨコ径のようが12mm長い。楕円なのだ。前方視界向上と乗降性向上の為。

写真ギャラリー
またも秘蔵写真をお見せしよう。





× × × × × × × × ×
それにしても参った!
本記事作成中のPCの動きが悪くなって作業にならず、本日5月5日朝10:10の公開を目指していたのに大幅に遅れ、この時間になってしまった。
楽しみに待っていてくれたひと・・・がどれほどいるかわからないが、もし待ちわびていたひとがいるならお詫びします。
悪いのは僕じゃない! レノボのパソコンだ!
・・・と、すがすがしい責任転嫁を果たしたところで初代セリカヒストリー前編はここまでにしておこう。
1974年以降の流れは次回に。
また明日。