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試された後半4年間
1970年代前半から後半過ぎまでは、特にエンジン技術者にとっては思い出したくもない時期だろう。
アメリカでマスキー法が発布され、日本でも「日本版マスキー法」といわれた「排出ガス規制」が始まったからだ。
簡単にいうと、その内容とは、1975年以降に生産されるクルマの排気ガス中に含まれるCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)は72年型の10分の1以下に、76年以降のNox(窒素酸化物)は73年型の10分の1以下にするというものだ。
世界中の自動車メーカーが不可能と絶望する中、世界で初めてクリアしたのが初代シビックのCVCCだった。
だが、いまのように電子制御技術もほとんどなく、キャブレターや燃焼の仕方、触媒という機械的、物理的な考えだけで対応しなければならなかったから、CVCCが希望の光を放っても、業界全体はさぞや大変なことだったろう。
エンジニアの中には「ノイローゼになるかと思った。」というひともいたくらいだ。
この頃のセリカもその影響を受け、途中、排ガス浄化のためのデバイス取り付けのため、エンジンルームを拡大し、ためにトレッドまで拡げるという、改良レベルにとどまらない変更を受けた年もある。
1974年から見ていこう。
1974(昭和49)年1月
セリカ一部改良
セリカLBから9か月遅れで、クーペセリカのフロントデザインがLBと共通化され、リヤフェンダーも張り出しが大きくなった。
人気上昇でたくさん造るなら、顔の統一は生産効率の上から見ても当然の措置だったろう。
だが、重厚な雰囲気に変わり、軽快さが薄れた。
ここはLBと同じにせず、引き続きスラント顔を維持して改良したほうがよかった気がする。
2000シリーズはLBとともにバリエーションが増え、EFI付きや、DOHCの18R-GのGTが追加された。


ポイント
・DOHCの「2000GT」追加。
・LB車も含めてEFI(電子制御燃料噴射)エンジン車追加。
・フロントフェイスをLBと共通に。
・計器盤など、カラーを変更。
・6灯の「OKモニター」新設。
・GT、GTVのフロント合わせガラスをゲージダウン(6.3mm → 5.7mmに)。
・GT系列のラジオアンテナを電動式に。
新カラーの計器盤
計器盤にベージュカラーが加わり、これまで火事の焼け跡みたいだった黒1色の室内が、これだけでぐんと明るくなった。

天井で異常を知らせるOKモニター
セリカ販売中、5代めにチェンジしたコロナの売りのひとつ「OKモニター」がセリカにも。
バッテリー、ガソリン、ブレーキリザーブの各液量、ストップ&テールランプ断線などの異常を察知すると、オーバーヘッドコンソール上の赤ランプ点灯でドライバーに知らせる。

写真ギャラリー
またまた掘り起こした、当時撮影の2000GTをお見せする。
撮影はすべて1974年2月5日だ。
・セダン風にも見えなくもないセリカ





・色が明るくなっただけで

・2000GTの名に反し


OKモニター

1975(昭和50)年10月
昭和50年排出ガス規制適合
たぶん登場以来最大規模の変更。
全機種のエンジンが、触媒コンバーターによる昭和50年排出ガス規制にパス。
と、言葉でいうのは簡単だが、手入れの範囲はボディやシャシにまでおよび、全長が25mm、全幅が10mm延ばされ、ホイールベースに至っては70mmの延長となった。
計器盤は全面変更され、併せてシフトレバー&パーキングレバー位置を変更して操作性向上。
LBはGTVを追加すると同時に、リヤランプが変わった。



ポイント
・1600、2000をTTC-C化で昭和50年排ガス規制対応。
・改良版エンジン搭載に伴って、ボディサイズ、ホイールベース、トレッドを拡大。
・計器盤を全面変更。
・LBのリヤランプ形状変更。
・ワイパーピボットの位置を変え、ワイパー払拭面積を拡大。
・計器盤はフルモデルチェンジ
外観よりはるかにフルモデルチェンジなのが計器盤だ。
逆L字型の、構えの大きなものに。この頃のカローラ/スプリンターのものとそっくりになった。
伴って操作類のレイアウトが変わり、空調操作は上方移動、コンソールからやってきた灰皿とお隣りさん同士になった。
ラジオは空調吹出口の下に。
回転計のないクルマにはEDモニターがオプションでつく。

・ライト&ワイパースイッチがレバー化
これまで計器盤側のノブ操作で作動させていたライトやワイパーのスイッチは、ライト関連はターンシグナルレバーに一体化され、ワイパーはハンドル左のレバーで操作できるように・・・だんだん現代的になってきた。

・OKモニター、装い一新
OKモニターが、ついこの間コロナからやってきたと思ったら早々と装いを変え、居場所もオーバーヘッドコンソールから前席乗員前に移った。
計器盤センターのプライマリーランプが赤点灯して何らかを警告、その内容をラジオ下の表示部に示す。
アクリル板の端面に仕組んだ電球光で、アクリル裏面に刻んだ点文字を浮かび上がらせる原理だ。
構造図を見るとわかりやすい。


・LBはトランクがフラットに
燃料タンクが荷室下での吊り下げ式に変わり、スペアタイヤは床下収容になったので、使用性はセリカにようやく追いついた。

最後の写真ギャラリー
1975年11月28日撮影のマイナーチェンジ版セリカLBをお見せする。
・衝撃吸収バンパー付きセリカLB

・変わりようが前向きな、後ろ向きの姿

・疾走中のサイドスタイル

ここから先の変更は文字だけで。
1976年以降の変更履歴
1976(昭和51)年
5月 セリカ1600車、TTC-C化で昭和51年排出ガス規制適合。
6月 セリカ2000車、TTC-C化で昭和51年排出ガス規制適合。
1977(昭和52)年
1月 セリカ、セリカLBそれぞれの2000GT、2000GTVをTTC-C化で昭和51年排出ガス規制適合。
そして1977(昭和52)年8月、2代目へとつづくのである。

余談だが、この2代目はアメリカのトヨタデザイン事務所、CALTY案が採用されたものだ。
このクルマも当時よく見かけたから売れていたのだと思う。
アメリカのCALTYまで距離があるからいってしまうが、初代セリカの若々しさが感じられず、全体がトロンとしたデザインで、何だか30分前に起きたばかりのおっさんに見えてしょうがない。
初代販売中の2代目開発時、よくこのデザインが次の「セリカ」に採用されたなぁと、2代目セリカの写真を見るたびに思うのである。
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11回に渡ってお送りしてきた「時代の名車探訪・セリカ」はいかがだったろうか。
書いている最中、セリカが生まれた1970年と、今回のセリカ11回記事を載せた2025年・・・どちらも大阪万博開催の年であることに気づいた。
これはまったくの偶然で、決して意図したわけではないことを添えながら、セリカ解説をおしまいにします。
気が向いたら何かのクルマのときにお逢いしましょう。