法規対応とサイズアップで、ライフ後半は大変貌! カタログ写真と当時写真でたどる、初代セリカのヒストリー 【時代の名車探訪 No.2-11(最終回)】トヨタセリカ・TA20/22型・1970年(昭和45)年 ~歴史編・後編 1974(昭和49)~1977(昭和52)年~

セリカ解説第11回にしていよいよ最終回。
今回は、初代セリカのライフ後半、1978年から2代目へのモデルチェンジ直前77年までの移り変わりをたどっていこう。

TEXT:山口尚志(YAMAGUCHI Hisashi) PHOTO:モーターファン・アーカイブ

試された後半4年間

1970年代前半から後半過ぎまでは、特にエンジン技術者にとっては思い出したくもない時期だろう。

アメリカでマスキー法が発布され、日本でも「日本版マスキー法」といわれた「排出ガス規制」が始まったからだ。
簡単にいうと、その内容とは、1975年以降に生産されるクルマの排気ガス中に含まれるCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)は72年型の10分の1以下に、76年以降のNox(窒素酸化物)は73年型の10分の1以下にするというものだ。

世界中の自動車メーカーが不可能と絶望する中、世界で初めてクリアしたのが初代シビックのCVCCだった。
だが、いまのように電子制御技術もほとんどなく、キャブレターや燃焼の仕方、触媒という機械的、物理的な考えだけで対応しなければならなかったから、CVCCが希望の光を放っても、業界全体はさぞや大変なことだったろう。
エンジニアの中には「ノイローゼになるかと思った。」というひともいたくらいだ。

この頃のセリカもその影響を受け、途中、排ガス浄化のためのデバイス取り付けのため、エンジンルームを拡大し、ためにトレッドまで拡げるという、改良レベルにとどまらない変更を受けた年もある。

1974年から見ていこう。

1974(昭和49)年1月
セリカ一部改良

セリカLBから9か月遅れで、クーペセリカのフロントデザインがLBと共通化され、リヤフェンダーも張り出しが大きくなった。
人気上昇でたくさん造るなら、顔の統一は生産効率の上から見ても当然の措置だったろう。
だが、重厚な雰囲気に変わり、軽快さが薄れた。
ここはLBと同じにせず、引き続きスラント顔を維持して改良したほうがよかった気がする。
2000シリーズはLBとともにバリエーションが増え、EFI付きや、DOHCの18R-GのGTが追加された。

LBシリーズと同じ顔になったセリカ。バンパーやフード、フロント&サイドのターンシグナルなど、LBから持ってきた。リヤフェンダーの「CELICA」バッジも筆記体からポップな書体の大文字に変わった。といってもこれまでカタログなどに使われていたものだ。
これまでLB専用だった2000DOHC・18R-Gエンジンを持つ2000GTがセリカにも加わった。各スペックは共通だ。

ポイント

・DOHCの「2000GT」追加。
・LB車も含めてEFI(電子制御燃料噴射)エンジン車追加。
・フロントフェイスをLBと共通に。
・計器盤など、カラーを変更。
・6灯の「OKモニター」新設。
・GT、GTVのフロント合わせガラスをゲージダウン(6.3mm → 5.7mmに)。
・GT系列のラジオアンテナを電動式に。

新カラーの計器盤

計器盤にベージュカラーが加わり、これまで火事の焼け跡みたいだった黒1色の室内が、これだけでぐんと明るくなった。

ライトな気分で乗ることができるようになった。

天井で異常を知らせるOKモニター

セリカ販売中、5代めにチェンジしたコロナの売りのひとつ「OKモニター」がセリカにも。
バッテリー、ガソリン、ブレーキリザーブの各液量、ストップ&テールランプ断線などの異常を察知すると、オーバーヘッドコンソール上の赤ランプ点灯でドライバーに知らせる。

OKモニター。

写真ギャラリー

またまた掘り起こした、当時撮影の2000GTをお見せする。
撮影はすべて1974年2月5日だ。

・セダン風にも見えなくもないセリカ

フードが延長されたセリカをこの角度から見ると、やけに大人びており、4ドアセダン風に見える。もしこのセリカを4ドア化したら、1970年代版カリーナEDになっただろう。
向こう側の白いセリカはよく見ると初期型だった。初期からの変わりぶりを見たかったのだろうか。

・色が明るくなっただけで

2000GTの計器盤。形は同じでもベージュカラーになっただけでこんなに雰囲気が違う。服装やクルマは、色だって大事なんだと実感させられる。当時のカメラマンには、カメラを水平にして撮ってほしかった・・・

・2000GTの名に反し

やはり2000GTの内装写真。コンソールがベージュなのがその証拠。 アイボリー内装は初期からあったが、黒部分がベージュ化したことで室内全体がより明るくなった。
明るい室内色は部屋を広く見せる効果がある。GTのネーミングで抱きたくなる汗くささは、この内装にはない。

OKモニター

コロナのものとは形が違うが、5代めコロナ・・・通称安全コロナからやってきたOKモニター。 手前からウォッシャー液量、バッテリー液量、燃料残量の各警告、テールランプ、ストップランプの各断線、ブレーキフルード液量のランプ。間に自在に動くスポットランプをはさみ、「OK MONITOR」のメーンランプがある。

1975(昭和50)年10月
昭和50年排出ガス規制適合

たぶん登場以来最大規模の変更。
全機種のエンジンが、触媒コンバーターによる昭和50年排出ガス規制にパス。
と、言葉でいうのは簡単だが、手入れの範囲はボディやシャシにまでおよび、全長が25mm、全幅が10mm延ばされ、ホイールベースに至っては70mmの延長となった。
計器盤は全面変更され、併せてシフトレバー&パーキングレバー位置を変更して操作性向上。
LBはGTVを追加すると同時に、リヤランプが変わった。

エンジンルーム拡大に伴うフロントボディを伸ばした。 フロントドアヒンジ側と前輪の間隔が広がっていることがこのサイド写真からわかる。
LBはランプが変わり、印象が変わった。LBは縦5分割で、これまで「<<<<>>>>」だったリヤランプが3分割に。
GTとGTVにオプションの衝撃吸収バンパー付車は、ナンバープレートがバックドア開口下に移動する。

ポイント

・1600、2000をTTC-C化で昭和50年排ガス規制対応。
・改良版エンジン搭載に伴って、ボディサイズ、ホイールベース、トレッドを拡大。
・計器盤を全面変更。
・LBのリヤランプ形状変更。
・ワイパーピボットの位置を変え、ワイパー払拭面積を拡大。

・計器盤はフルモデルチェンジ

外観よりはるかにフルモデルチェンジなのが計器盤だ。
逆L字型の、構えの大きなものに。この頃のカローラ/スプリンターのものとそっくりになった。
伴って操作類のレイアウトが変わり、空調操作は上方移動、コンソールからやってきた灰皿とお隣りさん同士になった。
ラジオは空調吹出口の下に。
回転計のないクルマにはEDモニターがオプションでつく。

計器盤一新!

・ライト&ワイパースイッチがレバー化

これまで計器盤側のノブ操作で作動させていたライトやワイパーのスイッチは、ライト関連はターンシグナルレバーに一体化され、ワイパーはハンドル左のレバーで操作できるように・・・だんだん現代的になってきた。

たぶんこのタイプを最初に用いたのはトヨタじゃなかったかと思う。

・OKモニター、装い一新

OKモニターが、ついこの間コロナからやってきたと思ったら早々と装いを変え、居場所もオーバーヘッドコンソールから前席乗員前に移った。
計器盤センターのプライマリーランプが赤点灯して何らかを警告、その内容をラジオ下の表示部に示す。
アクリル板の端面に仕組んだ電球光で、アクリル裏面に刻んだ点文字を浮かび上がらせる原理だ。
構造図を見るとわかりやすい。

新しくなったOKモニター。
新OKモニターの構造図。

・LBはトランクがフラットに

燃料タンクが荷室下での吊り下げ式に変わり、スペアタイヤは床下収容になったので、使用性はセリカにようやく追いついた。

サイドにスペアタイヤがあるのとないのとでは大違いだ。

最後の写真ギャラリー

1975年11月28日撮影のマイナーチェンジ版セリカLBをお見せする。

・衝撃吸収バンパー付きセリカLB

バンパーは機能部品でスタイリング要素ではないが、突き出し量が増えるだけでこんなに雰囲気が変わる。 初期時代から比べると寸法以上に成長したように見える。こんなに変わるもんですかね。

・変わりようが前向きな、後ろ向きの姿

ランプが5連から3連へ。これだけで別のクルマみたい。

・疾走中のサイドスタイル

ボディが伸び、バンパーが大きいから、想像以上に大きく見える

ここから先の変更は文字だけで。

1976年以降の変更履歴

1976(昭和51)年
5月 セリカ1600車、TTC-C化で昭和51年排出ガス規制適合。
6月 セリカ2000車、TTC-C化で昭和51年排出ガス規制適合。

1977(昭和52)年
1月 セリカ、セリカLBそれぞれの2000GT、2000GTVをTTC-C化で昭和51年排出ガス規制適合。

そして1977(昭和52)年8月、2代目へとつづくのである。

2代目セリカ。

余談だが、この2代目はアメリカのトヨタデザイン事務所、CALTY案が採用されたものだ。
このクルマも当時よく見かけたから売れていたのだと思う。
アメリカのCALTYまで距離があるからいってしまうが、初代セリカの若々しさが感じられず、全体がトロンとしたデザインで、何だか30分前に起きたばかりのおっさんに見えてしょうがない。
初代販売中の2代目開発時、よくこのデザインが次の「セリカ」に採用されたなぁと、2代目セリカの写真を見るたびに思うのである。

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11回に渡ってお送りしてきた「時代の名車探訪・セリカ」はいかがだったろうか。

書いている最中、セリカが生まれた1970年と、今回のセリカ11回記事を載せた2025年・・・どちらも大阪万博開催の年であることに気づいた。

これはまったくの偶然で、決して意図したわけではないことを添えながら、セリカ解説をおしまいにします。

気が向いたら何かのクルマのときにお逢いしましょう。

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山口 尚志 近影

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