圧巻の走りでユーザーを魅了した三菱「コルトギャランGTO」、革新的なスポーツモデルが登場した背景には何があったのか?【歴史に残るクルマと技術093】

三菱「ギャランGTO」
三菱「ギャランGTO」
三菱重工によってクルマづくりが始まった三菱車、1970年に重工自動車部門から分離独立して三菱自動車が誕生。それまでの頑丈で品質は高いが、デザインが今一歩とされた評判を払拭するために、同年にデビューしたのが「コルトギャランGTO」である。斬新なデザインと圧巻の走りをアピールしたコルトギャランGTOは、まさに新生三菱の象徴となった。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・モーターファンイラストレーテッド、日本の傑作車シリーズ コルトギャラン、60年代国産車のすべて、愛しのクラシックー

三菱重工から始まった自動車づくり

「ギャランGTO」のサイドビュー
「ギャランGTO」のサイドビュー

1960年代初頭、三菱重工は本格的に自動車事業に参入し、1960年に三菱初の独自開発した小型乗用車「三菱500」を発売。三菱500は、1955年に政府が国内メーカーによる乗用車の開発を促進するために発表した国民車構想に呼応した小型乗用車である。

1961年 三菱500
1961年 三菱500

この三菱500を皮切りに、三菱重工は総合自動車メーカーとしての地位を確固たるものにするため、凄まじい勢いでフルラインナップ攻勢をかけた。

1961年には、当時「スバル360」の爆発的な人気で活況を呈していた軽自動車市場に軽乗用車「三菱360」、翌1962年に「ミニカ」を投入し、軽市場で一定シェアを獲得した。

初代「ミニカ」
1962年にデビューした初代「ミニカ」
初代「ミニカ」
1962年にデビューした初代「ミニカ」

小型乗用車としては、コルトシリーズを展開。1962年の「コルト600」、1963年の「コルト1000」、1965年に「コルト800」と「コルト1500」、1966年には「コルト1100」と「コルト1000F」、1968年「ニューコルト1200/1500」と、日本の自動車市場の急成長に対応した。

1963年にデビューした「コルト1000」
1963年にデビューした「コルト1000」
コルト800
1965年にデビューした「コルト800」の独特のファストバックスタイル

1964年には、フラッグシップとなる高級乗用車「デボネア」を投入して、これにより本格的な総合自動車メーカーの道を歩み始めたのだ。

デボネア
1964年に誕生した最高級車「デボネア」

GTOのベースとなったスタイリッシュなコルトギャラン

大衆車のコルトシリーズで堅調な販売を続けていた三菱は、さらに若いユーザーの獲得を狙って、1969年に新型車「コルトギャラン」を発売した。

コルト・ギャラン
1969年にデビューした「コルト・ギャラン」

4ドアセダンのコルトギャランは、イタリアの巨匠ジウジアーロのデザインを、三菱の技術者が手直ししたと言われるスポーティかつロングノーズのスタイリッシュなスタイリングと、三菱初のSOHCエンジンの搭載などで、従来の三菱車の質実剛健的なイメージを一新した。

パワートレインは、最高出力87ps/最大トルク11.0kgmを発揮する1.3L直4 SOHCエンジンと95ps/13.2kgmの1.5L直4 SOHCの2種エンジンと、3速/4速MTと3速ATの組み合わせ、駆動方式は従来通りFR。高度にチューニングされた105ps/13.4kgmを発生するGSグレードでは、最高速度175km/h、0→400m加速は16.9秒と、当時クラストップの走りを誇った。

スポーティかつスタイリッシュなデザインと俊敏な走りで人気を獲得し、コルトギャランは三菱の中核モデルへと成長した。

新生三菱の象徴“”ヒップアップクーペ“のコルトギャランGTO

ギャランGTO
1970年にデビューした「ギャランGTO」。斬新なスポーティなスタイルと圧巻の走りで人気に

三菱は、1970年4月に大きな転機を迎えた。それまでの三菱重工の自動車部門が、分離独立して三菱自動車が設立されたのだ。

そして同年11月に、新生三菱のイメージリーダーとして、“ヒップアップクーペ”のキャッチコピーとともに、スポーティなクーペ「コルトギャランGTO」がデビュー。重工時代は優れた技術が評価された一方で、重工譲りのお堅いイメージも強く、コルトギャランGTOにはそのイメージを刷新するという役目があった。

そのスタイリングは、典型的なロングノーズ・ショートデッキスタイルに、シャープなダイナウェッジライン、リアは日本初となるファストバックにキュッと上がったダックテールという斬新かつスポーティなデザインが採用された。

三菱・ギャランGTO・MR
三菱・ギャランGTO・MR
三菱・ギャランGTO・MR
三菱・ギャランGTO・MR
三菱・ギャランGTO・MR
三菱・ギャランGTO・MR

エンジンは、100ps/14.0kgmの1.6L直4 SOHCのシングルキャブ仕様と110ps/14.2kgmのSU型ツインキャブ仕様。トップグレードの「GTO・MR」には、ソレックスを装着してチューンナップした125ps/14.5kgmを発揮する1.6L直4 DOHCエンジンを搭載。GTO・MRの最高速度は200km/h越え、0→400mは16.3秒と、文句なく当時最強の走りを誇った。

三菱・ギャランGTO・MR
三菱・ギャランGTO・MR

スタイルも走りも時代の先を走っていたGTO・MRの車両価格は112.5万円、同時期に登場したトヨタ「セリカ1600GT」の87.5万円より25万円ほど高価格だった。そのため、セリカのような大ヒットとはならなかったが、高価ながらそれに値する十分な価値があると評価した走り好きのファンからは、熱狂的な支持を集めた。しかし、1973年以降に起こったオイルショックと排ガス規制強化の影響で1978年に生産を終えた。

三菱・ギャランGTO・MR
三菱・ギャランGTO・MR

その後バブル景気によってGTOの名が復活

いったん生産を終えたコルトギャランGTOだったが、バブル景気の真っただ中の1990年、「三菱GTO」の名で復活を果たした。

1990年に復活した三菱GTO
1990年に復活した三菱GTO

新生GTOは、“スーパー4WDスポーツカー”のキャッチコピーで、高性能V6ツインターボエンジンを搭載。当時のスポーツカーでは珍しい4WDに4WSを組み合わせ、さらに電子制御サスペンション、ベンチレーテッドディスクブレーキ、アクティブエアロ、アクティブエキゾーストと、まさにバブルが生んだ先進技術満載のハイテクマシンだった。

最高出力280ps/最大トルク42.5kgmを発揮するGTOの動力性能は、最高速度260km/h、0→400mは13.3秒と、同クラスのNSXやスカイラインGT-R(BNR32)にも引けを取らなかった。

ただし、GTOは米国の大型高性能スポーツカーマーケットでは人気を獲得したが、国内での人気は伸び悩み、結局1代限りで生産を終了。横置きエンジンで車重が重いことなどから、スポーツカーらしくないというネガティブな評価があったようで、名車コルトギャランGTOの完全復活とはならなかった。

コルトギャランGTOが誕生した1970年は、どんな年

1970年には、コルトギャランGTOの他、日産自動車「チェリー」やスズキ「ジムニー」なども登場した。

1970年にデビューしたチェリー(2ドアクーペ)
1970年にデビューしたチェリー(2ドアクーペ)
1970年にデビューした初代ジムニー
1970年にデビューした初代ジムニー

チェリーは、個性的なスタイリングと一般的なFFとは異なるイシゴニス式FFレイアウトを採用した日産初のFF車。ジムニーは、軽自動車初の本格4WDオフロード車であり、現在も唯一無二の軽オフローダーとして変わらぬ人気を獲得しているロングセラーモデルである。

三菱・ギャランGTO・MR
三菱・ギャランGTO・MR

その他、日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げ成功、日本初の国際博覧会の大阪万博(Expo’70)が開催、よど号ハイジャック事件が発生し、そして日本の呼称が“ニッポン”に統一された。当時、都市部で光化学スモッグが頻発するようになり、自動車による排ガス公害が社会問題化して排ガス規制強化の動きが高まったのは、ちょうどこの頃である。その他、ビートルズが解散し、トミーの「トミカ」が発売、ケンタッキーフライドチキンの日本1号店が名古屋にオープンした。
また、ガソリン54.5円/L、ビール大瓶142円、コーヒー一杯95円、ラーメン100円、カレー150円、アンパン25円の時代だった。

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三菱自動車設立と同時にデビューし、斬新なダックテールのデザインと圧巻の走りをアピールした「コルトギャランGTO」。新生三菱を象徴する革新的なクーペとして多くのファンを魅了した、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…