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■ボンネットバンのアルトとともにデビューした5代目フロンテ
1979(昭和54)年5月15日、スズキの軽乗用車「フロンテ」の5代目がデビューした。同じに、スズキはフロンテをベースにした、物品税のかからない乗用車のようなスタイルの商用車“ボンネットバン”の「アルト」を発売。低価格がウリのアルトが大ヒットしたため、5代目フロンテは注目されなかった。

スズライトを源流にしたフロンテの足跡

初代フロンテは、1955年に誕生した日本初の軽乗用車「スズライト」の流れを継承し、1962年にデビューした「スズライト・フロンテ」である。

・2代目(1967年~)
2代目は、スズライトの冠が取れて「フロンテ360」を名乗って登場。駆動方式をそれまでのFFからRRに変更。軽量ボディと360cc直3空冷2ストロークエンジンを組み合わせた軽快な走りによって、人気モデルとなった。


・3代目(1970年~)
3代目「フロンテ71」は、角型ヘッドライトを装備し、当時の軽で最も車高の低い空気抵抗の小さいスタイリッシュなファストバックスタイルを採用。1971年には世界最小の2シータークーペ「フロンテクーペ」がデビューして、若者から人気を集めた。


・4代目(1973年~)
丸みを帯びたデザインに一新され、それまで2ドアのみだったが、初めて4ドアが設定された。また、ホイールベースを20mm長くして快適にくつろげる室内が実現された。排気量は360ccからスタートし、1976年の軽自動車規格改定で550ccに拡大。1977年には、一部のグレードで4ストロークエンジンが採用された。
ボンネットバン「アルト」と同時に「フロンテ」5代目デビュー
1960年代「スバル360(1958年~)」や「ホンダN360(1967年~)」の大ヒットで隆盛を極めた軽自動車も、1970年を迎える頃には徐々に元気をなくしてきた。1973年にそれまで不要だった車検制度が軽にも適用されるようになり、小型車に人気を奪われるようになり、さらに排気量の小さい軽に不利な排ガス規制強化が重くのしかかってきたからである。

そのような厳しい状況下の1978年に社長に就任した鈴木修氏は、新しい発想の軽自動車、軽ボンネットバンを創出した。軽ボンネットバンは、商用車でありながら乗用車のようなスタイルの軽自動車であり、商用車にすることのメリットは、物品税が非課税のため販売価格が下げられることだ。

スズキは、フロンテのモデルチェンジで登場した5代目フロンテと同時に、フロンテをベースにした軽ボンネットバン「アルト」をデビューさせた。ゆったりとした後席と乗降性が良い後席ドアを持つ4ドア軽乗用車フロンテに対し、アルトは商用車なので規定の荷室容積が必要なため、後席は実質子どもが乗れる程度の2ドアの軽商用車だった。
スタイリングはシンプルな2ボックススタイルで、フロンテとアルトの違いはドア数のぐらいで見た目にはほとんど差がなかった。
パワートレインは、最高出力28psの550cc直3水冷2ストローク、31psの550cc直3 SOHC 4ストロークの2種エンジンと4速MTおよび2速ATの組み合わせ。当初のアルトは、低価格を狙って2ストロークエンジンと4速MTの組み合わせのみ。
スズキとしては、新たなコンセプトのアルトが本命で、バックアップ的な存在として5代目フロンテを同時発売したようだ。
アルト大ヒットの陰に埋もれてしまった5代目フロンテ
“アルト47万円“のキャッチコピーとともに驚異的な低価格で登場したアルトに対して、5代目フロンテの標準グレードは56.8万円で、アルトより9.8万円高い一般的な価格設定だった。ちなみに当時の大卒初任給は、11万円程度(現在は約23万円)だったので、47万円は単純計算では現在の価値で約98万円、5代目フロンテは119万に相当する。
その結果、顧客は圧倒的に低価格のアルトに流れ、アルトの月販台数は1.8万台を受注する空前の大ヒットモデルになり、1980年代の軽ボンネットバンという大ブームを巻き起こした。一方で、パッと見アルトと同じように見える5代目フロンテは、その存在感をアピールすることができなかった。
その後、フロンテは1984年にアルトとともにモデルチェンジして6代目となったものの、アルトの勢いはさらに加速してフロンテの存在意義すら消失してしまった。
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1988年にモデルチェンジして7代目フロンテ、3代目アルトと続いたが、1989年に物品税が廃止され消費税が導入された。これにより、ボンネットバンの価格メリットは小さくなってしまったが、アルトが商用車と乗用車の両方で設定されため、黎明期のスズキを支えた名車フロンテの名はこの時点で消えてしまった。
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