デートカーとして一世を風靡、バブルとともに咲き、散り、そして今秋復活ホンダ「プレリュード」の魅力を探る【歴史に残るクルマと技術094】

ホンダ3代目「プレリュード」
ホンダ3代目「プレリュード」
1980年代日本に訪れた空前のバブル好景気は、クルマづくりにも大きな影響を与えた。バブルを追い風にして、作れば売れる、豪華で高価なクルマほど売れるといった“シーマ現象”や“ハイソカー”、そして“デートカー”といった造語が生まれた。デートカーの代表格が、ホンダ「プレリュード」である。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・新型プレリュードのすべて

日本中が沸き立ったバブル景気がクルマに与えた影響

初代と新型プレリュード
初代(右)と今秋発売予定の新型プレリュードの2ショット

日本に空前の好景気をもたらしたバブル景気は、1986年から1991年までの間に起こった。その発端となったのは、1985年に米国、日本、ドイツ、英国、フランスによって外国為替への協調介入を取り決めたプラザ合意である。これは、当時の米国の貿易赤字を解消するのが目的で、例えば円高ドル安にすれば、日本から米国への輸出した車の価格が上がり、日本車が米国で売れなくなり、米国の貿易赤字が改善するというわけだ。ちょうど今、トランプ大統領が行っている相互関税による赤字解消と狙いは同じだ。

しかし、これでは日本経済は大きなダメージを受けることになるので、日銀は金利引き下げを行った。これによって、企業や個人がお金を借りやすくなり、企業の株価は上がり、銀行は不動産融資を積極的に行うことで土地の価格も高騰。株や土地を持っている企業や人にお金が集まり、実体経済以上に日本経済は活況を呈するようになってバブル景気が起こったのだ。

日産「シーマ」
1988年に誕生した日産「シーマ」。シーマ現象を巻き起こして大ヒット
トヨタ「ソアラ」
1981年に誕生したトヨタ「ソアラ」。ハイソカーの火付け役として大ヒット

こうなると、企業は儲かり、サラリーマンの給料も上がるので、今まで購入できなかったような高級車が一般ユーザーでも手にすることができ、500万円以上もする日産「シーマ」やハイソカーと呼ばれたスポーティな高級車のトヨタ「ソアラ」や「マークII」などが爆発的に売れるようになった。さらに若者も贅沢になり、“デートカー”と呼ばれた、デートの時に女性にも好まれるカッコいいスポーティなクルマが人気を獲得した。

地味なスペシャリティカーとしてスタートしたプレリュード

1978年11月、ホンダの初代プレリュードは、ヒットした「シビック」と「アコード」に続くホンダの3本目の柱として投入された。そのスタイリングは、直線基調のワイド&ローのオーソドックスなクーペスタイルで、若者というよりは落ち着いた大人をターゲットにしたスペシャリティカーだった。

1978年にデビューした初代プレリュード
1978年にデビューした初代プレリュード

パワートレインは、アコード1800と共通のCVCCを組み込んだ最高出力90ps/最大トルク13.5kgmを発揮する1.8L直4 SOHCエンジンと5速MTおよびホンダマチックATの組み合わせ、駆動方式はFF。FFながら、優れた操安性と走行安定性が高い評価を受けた。

1978年にデビューした初代プレリュード
1978年にデビューした初代プレリュード

その他にも、国産車初の電動式サンルーフなど先進かつ個性的な装備が採用されて先進性をアピールしたが、FRのトヨタ「セリカ」や日産「シルビア」の人気に押されて、苦しい販売を強いられた。ただし、米国では優れた走りが評価されて人気モデルとなった。

デートカーとして一世を風靡した2代目、3代目プレリュード

2代目「プレリュード」
1982年にデビューした2代目「プレリュード」。デートカーという造語を広めた

・デートカーとしての地位を確立した2代目プレリュード
1982年11月、初めてのモデルチェンジを迎え、2代目プレリュードが登場した。
2代目は、リトラクタブルヘッドライトの採用によってノーズを下げ、全高が1300mmを下回る超ワイド&ローのスポーティなスタイリングに変貌し、Cd値0.36を実現。パワートレインは、125ps/15.6kgmの1.8L直4 SOHCのCVCCエンジンと5速MTおよび4速ATの組み合わせ。駆動方式は、FFが踏襲された。
スタイリッシュでエレガントなフォルムに、ホンダ自慢のハイテクを組み込んだ2代目プレリュードは、若者層を中心に大ヒット、数ヶ月の納車待ちが発生する人気モデルとなった。2代目プレリュードが、デートカーという造語を世に広めたと言っても過言ではない。

ホンダ3代目「プレリュード」
1987年にデビューした3代目プレリュード
ホンダ3代目「プレリュード」
1987年にデビューした3代目プレリュード

・最新技術満載でデートカーの象徴的なクルマとなった3代目プレリュード
1987年4月、プレリュードは大ヒットした2代目の後を継いだ3代目に生まれ変わった。
3代目は、人気のワイド&ローのスタイリングとリトラクタブルを継承しながらも、最新技術を採用してブラッシュアップが図られた。最大のアピールポイントは、世界初を謳った4WS(4輪操舵)だ。ステリングの角度0~230度の状態で同位相、230度以上では逆位相に後輪が転舵し、安定性と最小回転の縮小が実現された。さらに最高出力145ps/19.0kgmの2.0L直4 DOHCエンジンには、電子制御燃料噴射式、可変式デュアルポート・インマニを採用するなど、エンジンも最新技術満載の仕様だった。
大ヒットした2代目プレリュードをブラッシュアップした3代目は、2代目を凌ぐ人気を獲得。バブル時代に生まれたデートカーの象徴的なクルマとなった。

バブル崩壊でプレリュード人気も減速

1989年に日経平均株価も頂点を迎えたが、1989年に日本銀行が政策金利を引き上げ始めると、一転してお金が借りにくい状況に変化、これにより株は右肩下がりになった。さらに、政府が銀行に不動産向けの貸し出しを抑えるように指示したため、土地の下落が始まった。これで、貸し出したお金が回収できなくなり、金融機関が多額の不良債権をかかえることで企業への貸し出しができなくなり企業倒産が多発。1991年に日本経済は不況に陥り、世にいうバブル崩壊が始まったのだ。

1991年に登場した4代目「プレリュード」
1991年に登場した4代目「プレリュード」

そんな1991年にデビューしたのが、4代目プレリュード。4代目は、3ナンバーボディにパワフルなエンジンを搭載して、スポーティさをアピールするモデルへと変貌した。

1997年にデビューした5代目「プレリュード」
1997年にデビューした5代目「プレリュード」

そして1996年には、5代目へ移行。5代目はスペシャリティカー復権を目指し歴代プレリュードの集大成として、スタイリングと性能を向上して完成度を高めた。

しかし、バブル崩壊によって市場はより実用的なRVやミニバンを求めるようになり、4代目、5代目と続くもプレリュードの輝きは失せてしまい、5代目をもって名車プレリュードは終焉を迎えた…かに見えたが、令和のプレリュード、6代目が2025年秋に復活予定だ!

新型プレリュードは2025年秋に発売予定
6代目となる新型プレリュードは2025年秋に発売予定だ

3代目プレリュードが誕生した1987年は、どんな年

1987年には、3代目プレリュードの他に、スズキ「アルトワークス」や日産自動車の「Be-1」も登場した。

スズキ「アルトワークス」
1987年にデビューした圧倒的な高性能を誇ったリトルモンスター、スズキ「アルトワークス」
Be-1
1987年にデビューした「Be-1」。日産が展開したパイプカー第1弾

アルトワークスは、軽初のDOHCインタークーラーターボエンジンを搭載して最高出力64psを達成、この64psが軽自動車の自主規制値のキッカケになった。Be-1は、レトロ調のキュートなコンパクトカーで、“パイクカー”と呼ばれるデザイン重視の個性的なモデルの先駆けとなった。

ホンダ3代目「プレリュード」
1987年にデビューした3代目プレリュード

自動車以外では、米国ニューヨーク株式市場が大暴落(ブラックマンデー)、国鉄が分割民営化(JRグループ発足)、利根川進氏がノーベル生理学・医学賞受賞、大ヒット作「サラダ記念日(俵万智))と「ノルウェイの森(村上春樹)」が発刊された。
また、ガソリン126円/L、ビール大瓶314円、コーヒー一杯308円、ラーメン408円、カレー540円、アンパン94円の時代だった。

・・・・・・・・・
いまだ色あせない流麗なスタイリングと先進技術満載で実現された運動性能で一世を風靡したホンダ「プレリュード」。そして2025年秋に6代目が復活する! 若者から熱い視線を受けてデートカーの象徴的なクルマとなったプレリュード、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

キーワードで検索する

著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…