目次
■元祖フェアレディZのフェアレディ1500をブラッシュアップした1600
1965(昭和40)年5月31日、日産自動車は1962年に国内初の本格スポーツカーとして誕生した「フェアレディ1500」に続いて「フェアレディ1600」を発売した。フェアレディ1500は、国内で初めてフェアレディを名乗り、フェアレディZの元祖的なモデルだが、さらにブラッシュアップして走りを磨いたのがフェアレディ1600なのだ。

国内で初めてフェアレディを名乗ったフェアレディ1500

戦後の1950年代初頭、日産自動車は海外進出のために当時、欧米で人気だった小型スポーツカーの開発を進めた。1952年にオープンカー「ダットサンDC-3」と1959年の「ダットサンスポーツ1000」、1960年には北米専用モデルながら初めてフェアレディ(表記は「フェアレデー」)の名を冠した「ダットサンフェアレディ1200」の発売を始めた。しかし、いずれもセダンのルーフを取ったオープンスポーツで、海外モデルには太刀打ちできなかった。


そこで、本格的なスポーツカーを目指して開発されたのが、1962年に登場したオープンスポーツ「ダットサンフェアレディ1500(SP310)」だった。満を持して登場したフェアレディ1500は、新しくデザインされた3人乗りの当時欧州で流行っていたクラシカルなスタイリングを採用。初代「ブルーバード(310型)」のシャシーに補強のためのX型フレームを追加し、サスペンションもブルーバード用のスプリングやダンパーを強化したものが使われた。
パワートレインは、最高出力71ps/最大トルク11.5kgを発揮する1.5L直4 OHVエンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFRである。

エンジン性能自体は特別突出したものではなかったが、車重が870kgと軽かったため、最高速度は150km/h、0-400m加速19.7秒を記録。その快速ぶりを証明するように、翌1963年には第1回日本GPのスポーツカー1300cc~2500ccクラスで圧倒的な走りを見せつけて優勝した。
ただし、車両価格が85万円(現在なら約1150万円に相当)と高価だったこともあり、日本よりも海外で販売を伸ばした。
ブラッシュアップしたフェアレディ1600
米国で人気を博したフェアレディ1500は、日産の米国輸出モデルの重要な役目を担うようになり、米国市場からの要望に応える形でパワーアップを図った。それが、1965年5月のこの日にデビューした、エンジン排気量をアップしたオープンスポーツ「ダットサンフェアレディ1600(SP311)」である。

フェアレディ1600のエンジンは、初代「シルビア」に搭載された1.6L直4 OHVを、2連装キャブレターなどでチューンナップして、最高出力90ps/最大トルク13.5kgmを発揮。トランスミッションは、4速MTが組み合わされ、最高速度は165km/hまで向上した。

その他にもシャシーやボディなど各部に改良が加えられ、1.6Lクラスの欧州スポーツカーに対抗する走りをアピールした。その実力は、2輪で名を馳せていた高橋国光選手が4輪に転向直後にフェアレディ1600をドライブして、1966年の第4回クラブマンレース、第3回日本GPのGTクラスで優勝を飾ることで証明した。
車両価格は、93万円に設定。当時の大卒初任給は、2.3万円(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で930万円に相当する。
フェアレディ2000へ進化、そして名車フェアレディZを誕生させた


フェアレディ1500と1600シリーズの登場が起爆剤となって、他のメーカーからも相次いで本格的なスポーツカーが登場。1963年に、ホンダの軽DOHCオープンスポーツ「ホンダS500」と1964年の「ホンダS600」、1965年に「トヨタスポーツ800」、そして1967年には「トヨタ2000GT」とマツダ「コスモスポーツ」がデビューした。




1967年、さらなる高性能スポーツを望む米国のスポーツカーユーザーのために、フェアレディシリーズの最高峰であるオープンスポーツ「ダットサンフェアレディ2000(SR311)」が登場。最高出力145ps/最大トルク18.0kgmを発揮する2.0L直4 SOHCエンジンを搭載し、最高速度は205km/h、0-400m加速は15.4秒を記録。1967年と1968年の日本GPのGTクラスで圧巻の2連覇を成し遂げる走りを披露した。


そして、この流れを汲んで1969年に登場したのが、現在も日産のフラッグシップであり、日本を代表するFRスポーツの名車「フェアレディZ(S30)」だ。ただし、それまでのフェアレディシリーズのオープンスポーツから、クーペスポーツに変貌した。


・・・・・・・
1960年代、日本に第一次スポーツカーブームとも言える時代がやってきた。その火付け役となったのは、もちろん「フェアレディ」シリーズである。当時はまだ環境規制や安全規制などが緩かったので、自由なスタイリングやハイパワーエンジンが採用し易く、スポーツカーが市場で受け入れやすかったのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。