日産「フェアレディ1600」が1000→1200→1500と進化し93万円で65年デビュー【今日は何の日?5月31日】

日産「フェアレディ1600」
日産「フェアレディ1600」
一年365日。毎日が何かの記念日である。本日5月31日は、日産自動車のオープンスポーツ「フェアレディ1600(SP311)」が誕生した日だ。1962年10月にフェアレディの名が国内で初めて使われた「フェアレディ1500(SP310)」の登場の約2年半後、パワーアップしたフェアレディ1600がデビューした。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・日産 歴代フェアレディZのすべて、名車アーカイブ NISSANのすべて、日産ヘリテージコレクション

■元祖フェアレディZのフェアレディ1500をブラッシュアップした1600

1965(昭和40)年5月31日、日産自動車は1962年に国内初の本格スポーツカーとして誕生した「フェアレディ1500」に続いて「フェアレディ1600」を発売した。フェアレディ1500は、国内で初めてフェアレディを名乗り、フェアレディZの元祖的なモデルだが、さらにブラッシュアップして走りを磨いたのがフェアレディ1600なのだ。

日産「フェアレディ1600」
1965年にデビューした「フェアレディ1600」

国内で初めてフェアレディを名乗ったフェアレディ1500

ダットサンスポーツ(DC-3 型)
ダットサンスポーツ(DC-3 型)/太田祐一氏デザインによる英国風の斬新なボディを搭載し、1952年1月にお披露目されたショーモデル。ショーでの好評を受けて、約20 台が実際に販売されたと言われている。これが、日本車で初めて「スポーツ」を名乗った「スポーツカー」の誕生で、後の「ダットサンフェアレディ」や「フェアレディZ」へ続く、日産スポーツカーの草分けとして記念碑的な存在

戦後の1950年代初頭、日産自動車は海外進出のために当時、欧米で人気だった小型スポーツカーの開発を進めた。1952年にオープンカー「ダットサンDC-3」と1959年の「ダットサンスポーツ1000」、1960年には北米専用モデルながら初めてフェアレディ(表記は「フェアレデー」)の名を冠した「ダットサンフェアレディ1200」の発売を始めた。しかし、いずれもセダンのルーフを取ったオープンスポーツで、海外モデルには太刀打ちできなかった。

ダットサンフェアレディ1200(SPL212)
1960年にデビューした「ダットサンフェアレディ1200(SPL212)」、海外専用ながら初めてフェアレディを名乗る
フェアレディ1500
1962年にでビュした、国内初の本格的なスポーツカー「フェアレディ1500」

そこで、本格的なスポーツカーを目指して開発されたのが、1962年に登場したオープンスポーツ「ダットサンフェアレディ1500(SP310)」だった。満を持して登場したフェアレディ1500は、新しくデザインされた3人乗りの当時欧州で流行っていたクラシカルなスタイリングを採用。初代「ブルーバード(310型)」のシャシーに補強のためのX型フレームを追加し、サスペンションもブルーバード用のスプリングやダンパーを強化したものが使われた。

パワートレインは、最高出力71ps/最大トルク11.5kgを発揮する1.5L直4 OHVエンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFRである。

ダットサンフェアレディ1500 第1回日本グランプリ B-IIカテゴリー優勝車
ダットサンフェアレディ1500 第1回日本グランプリ B-IIカテゴリー優勝車/1961(昭和36)年の第8回東京モーターショーで発表、翌年に発売されたのがダットサンフェアレディ1500(SP310型)。ダットサン310型(初代ブルーバード)のシャシーへセドリック30型のエンジンを搭載し、それまでにない低重心でスポーティなスタイリングで話題をさらった。画像のマシンは1963年「第1回日本GPレース」のB-IIカテゴリーで優勝したマシンそのもので、ドライバーは後の SCCN(日産スポーツカークラブ)の会長・田原源一郎氏が務めた

エンジン性能自体は特別突出したものではなかったが、車重が870kgと軽かったため、最高速度は150km/h、0-400m加速19.7秒を記録。その快速ぶりを証明するように、翌1963年には第1回日本GPのスポーツカー1300cc~2500ccクラスで圧倒的な走りを見せつけて優勝した。

ただし、車両価格が85万円(現在なら約1150万円に相当)と高価だったこともあり、日本よりも海外で販売を伸ばした。

ブラッシュアップしたフェアレディ1600

米国で人気を博したフェアレディ1500は、日産の米国輸出モデルの重要な役目を担うようになり、米国市場からの要望に応える形でパワーアップを図った。それが、1965年5月のこの日にデビューした、エンジン排気量をアップしたオープンスポーツ「ダットサンフェアレディ1600(SP311)」である。

「フェアレディ1600」のサイドビュー
「フェアレディ1600」のサイドビュー

フェアレディ1600のエンジンは、初代「シルビア」に搭載された1.6L直4 OHVを、2連装キャブレターなどでチューンナップして、最高出力90ps/最大トルク13.5kgmを発揮。トランスミッションは、4速MTが組み合わされ、最高速度は165km/hまで向上した。

フェアレディ1600のコクピット
フェアレディ1600のコクピット。旧車ファンでなくても…そそられる!

その他にもシャシーやボディなど各部に改良が加えられ、1.6Lクラスの欧州スポーツカーに対抗する走りをアピールした。その実力は、2輪で名を馳せていた高橋国光選手が4輪に転向直後にフェアレディ1600をドライブして、1966年の第4回クラブマンレース、第3回日本GPのGTクラスで優勝を飾ることで証明した。

車両価格は、93万円に設定。当時の大卒初任給は、2.3万円(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で930万円に相当する。

フェアレディ2000へ進化、そして名車フェアレディZを誕生させた

ホンダ「S600」
1964年にデビューしたホンダ「S600」
ホンダ「S600」
1964年にデビューしたホンダ「S600」

フェアレディ1500と1600シリーズの登場が起爆剤となって、他のメーカーからも相次いで本格的なスポーツカーが登場。1963年に、ホンダの軽DOHCオープンスポーツ「ホンダS500」と1964年の「ホンダS600」、1965年に「トヨタスポーツ800」、そして1967年には「トヨタ2000GT」とマツダ「コスモスポーツ」がデビューした。

トヨタスポーツ800
1965年にデビューした「トヨタスポーツ800」
トヨタスポーツ800
1965年にデビューした「トヨタスポーツ800」
トヨタ2000GT
1967年にデビューした「トヨタ2000GT」
マツダ「コスモスポーツ 」
1967年にデビューしたマツダ「コスモスポーツ 」。世界初の量産ロータリーエンジン搭載車

1967年、さらなる高性能スポーツを望む米国のスポーツカーユーザーのために、フェアレディシリーズの最高峰であるオープンスポーツ「ダットサンフェアレディ2000(SR311)」が登場。最高出力145ps/最大トルク18.0kgmを発揮する2.0L直4 SOHCエンジンを搭載し、最高速度は205km/h、0-400m加速は15.4秒を記録。1967年と1968年の日本GPのGTクラスで圧巻の2連覇を成し遂げる走りを披露した。

ダットサンフェアレディ2000
1967年にデビューしたフェアレディシリーズの最高峰「ダットサンフェアレディ2000」
ダットサンフェアレディ2000
1967年にデビューしたフェアレディシリーズの最高峰「ダットサンフェアレディ2000」

そして、この流れを汲んで1969年に登場したのが、現在も日産のフラッグシップであり、日本を代表するFRスポーツの名車「フェアレディZ(S30)」だ。ただし、それまでのフェアレディシリーズのオープンスポーツから、クーペスポーツに変貌した。

初代「フェアレディZ(S30型)」
1969年にデビューし、大ヒットした初代「フェアレディZ(S30型)」
初代「フェアレディZ(S30型)」
1969年にデビューし、大ヒットした初代「フェアレディZ(S30型)」

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1960年代、日本に第一次スポーツカーブームとも言える時代がやってきた。その火付け役となったのは、もちろん「フェアレディ」シリーズである。当時はまだ環境規制や安全規制などが緩かったので、自由なスタイリングやハイパワーエンジンが採用し易く、スポーツカーが市場で受け入れやすかったのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…