【37th MOONEYES Street Car Nationals®レポート vol.2】

ホットロッドこそアメ車カルチャーの真髄!『MOONEYES Street car Nationals』のストリートロッドマシンを一気に見せます!!

37回目を数える『MOONEYES Street Car Nationals®』(以下、SCN)にはアメリカ車を中心にさまざまなジャンルのカスタムマシンが集まってくる。その中でもSCNの顔とも言える存在が、1949年までに製造された車両をベースに公道走行を前提に製作したSTREET ROD(ストリートロッド)だ。今回はアメリカのカスタム文化の中でももっともアメリカらしいSTREET RODのエントリーマシンを紹介しよう。
REPORT:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu) PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

アメリカンモーターカルチャーの核心とも言えるSTREET ROD

お台場の青海駐車場を会場として、2025年5月11日(日)に『MOONEYES Street Car Nationals®』(以下、SCN)が開催された。アメリカ車、およびカスタムカーのファンにとっては初夏の訪れを告げる風物詩とも言えるイベントだ。

毎回SCNにはアメリカ車からユーロ、ドメスティック(日本車)カーまで、HOTROD(ホットロッド)、LOW RIDER(ローライダー)、TRUCKIN’(トラッキン)、STREET VAN、Cal Look(キャルルック)などなど、ジャンルを問わず様々なマシンが集まってくる。その数たるやナント1000台! 文字通り、国内最大規模のカスタムカーショーなのだ。

『第37回MOONEYES Street Car Nationals®』のイベントレポートはこちら。

その中でも日頃見かける機会の少ないSTREET ROD(ストリートロッド)が来場者の目を引いていた。これまでに筆者の記事をお読みいただいている読者の方ならご存じと思うが、簡単にあらましをおさらいしておくと、STREET RODとは1949年までに製造されたアメリカ車をベースに、公道走行を前提に製作したHOTRODのことをいう。

映画『アメリカン・グラフィティ』に登場するジョン・ミルナー・クーペの愛称で知られる1932年型フォード・モデルB・5ウィンドウクーペのレプリカ。映画のアイコンとも言える存在であるとともに、DEUCE(デュース)の名を世界的に有名にした1台。

ベース車として選ばれるのは、モデルAやモデルB、モデルTなどのアーリーフォードが中心で、日本国内では少数派となるがシボレー・マスターやアメリカン・バンタム、クロスレイなどをカスタムすることもある。

ジョン・ミルナー・クーペのリアビュー。『アメリカン・グラフィティ』のムービーカーの人気は世界的に高く、SCNのような大きなイベントでは必ず1台は見かける。

禁酒法時代に生まれ、第二次世界大戦後に花開く

STREET RODの起源は、”天下の悪法”として知られる1920年代にアメリカで施行された禁酒法にある。この法律は一般に飲酒行為を禁じた法律と思われがちだが、じつはアルコール飲料全般の製造・販売・輸送・輸出入のみを禁止しており、飲酒行為そのものについては違法とされないザル法であったことから密造酒が横行した。人里離れた場所にある醸造所から繁華街の秘密酒場まで密造酒を運ぶのにスピード自慢の運び屋たちが暗躍したのだった。

1927年型フォード・モデルA・5ウィンドウクーペ。徹底したボディワークによりボディを7インチカット。限界まで車高を低くカスタムしている。

彼らは無事に密造酒を届けることができれば高収入を得られたが、道中で官憲の取締りを受ければ、高額な罰金と自由を奪われた刑務所での生活を余儀なくされた。そこで彼らはドラテクを磨くいっぽうで、パトカーよりも速いマシンに愛車をチューニングしたのだ。

1927年型フォード・モデルA・5ウィンドウクーペのフロントビュー。グリルは1928年型スチュードベイカーのものを天地方向に7インチカットした上で交換しているようだ。フロントセクションは1926年式ビュイックのフレームを上下反転させて使用し、1936年式プリムス製ダブルディップチューブアクスル、1940年式フォード製スピンドル、フォードF-100用ドラムブレーキなどを組み付けている。リーフサスペンションやクロスメンバー、各種ブラケットはワンオフで製作したものが使用されているようだ。

そんな腕自慢の彼らの関心ごとと言えば、「運び屋の中で誰がいちばん速いのか?」ということであった。今も昔も自らの速さを証明する手段がレースである。1/4マイル(約400m=ゼロヨン)のタイムを競うドラッグレース、ドライレイク(乾湖)でのスピードトライアル、公道を舞台にした危険なストリートレースなど、彼らはさまざまな競技スタイルで自らの実力を証明しようと躍起になった。

1927年型フォード・モデルA・5ウィンドウクーペのリアビュー。リアサスペンションはフォード製9インチアクスルとピート&ジェイク製ラダーバー、スリーブエアバッグ(コンプレッサーとタンクは使用せず、エアフィッティングのみとなるようだ)を採用している。この車両は今年の春ごろに八王子のZAPP AUTOMOTIVEが販売した車両である。

1933年に禁酒法は廃止されたが、それから1941年12月の太平洋戦争開戦までの間、アメリカ人のレース熱が冷めることはなかった。やがて大戦が始まると一時的に政府の統制により人々の自動車への情熱は沈静化した。だが、1945年8月に第二次世界大戦が終結すると、クルマへの需要が長らく抑えられていた反動でアメリカ国民の自動車熱は戦前にも増して激しく燃え盛った。

心臓部に収まるのは1962年型スチュードベイカーの289cu-inV8を搭載。ウェイアンドの2×2インテークにホーリー製のキャブレターを組み合わせている。トランスミッションは1957年型スチュードベイカーのものが使用されているとのこと。

なかでも戦場から復員した若者たちは平和な日常を持て余すかのように、スリルと刺激を求めて、合法非合法を問わず各地で行われたレースに情熱を燃やす者が少なくなかった。つい最近まで戦車や戦闘機を取り扱っていた彼らである。軍隊仕込みの整備技術を用いればクルマの改造など朝飯前のことで、廃車寸前の戦前型のフォードやシボレーを拾ってきてはDIYで修理し、フォードが大量生産した221cu-in(3.6L)「フラットヘッド」V型8気筒エンジンへ載せ替えるなどの改造を施すことで、最新モデルをも凌ぐ高性能車を作り上げたのだ。

1927年型フォード・モデルA・5ウィンドウクーペのインテリア。シンプルにすっきりとまとめられている。

彼らは完成させたマシンをウィークデーには日常のアシとして使い、ウィークエンドになると各地で開催されたレースに用いていたが、1950年代に入ると競技の先鋭化により、スピードレンジが高まったことで、公道走行のできないレース専用車でなければ勝てないようになった。

その一方でCOOLなマシンで公道を飛ばしたいという需要もあいかわらず旺盛だったことから、ここでレーシングカーと公道を走る改造車とに分岐することになる。この公道用のマシンはSTREET ROD(ストリートロッド)と呼ばれ、アメリカンモーターカルチャーの核心というべき、HOTRODの原点となったのである。

日本では1970年代に存在が認知され、バブル期に人気に火がつく

アメリカでは誕生から70年以上が経過した現在でもSTREET RODの人気は根強く、時代とともに絶えず進化を続けながら、アメリカンモーターカルチャーの頂点に君臨し続け、今日でも多くの人々から愛されている。

2024年12月の『第32回ヨコハマホットロッドカスタムショー』にもエントリーしていた1932年型フォード・モデルB・フェートン。STREET RODのベースとして選ばれることの少ないフェートンボディを敢えてチョイスしたことで個性を主張している。
1932年型フォード・モデルB・フェートンのリヤビュー。足まわりはフェンダーをあえて残し、ローダウンした。
1932年型フォード・モデルB・フェートン。インテリアはボディ色っと同じく真紅でまとめられている。
『第32回ヨコハマホットロッドカスタムショー』の様子はこちら。

戦後モータリゼーションが遅れて到来した日本では、戦前は自動車が庶民に普及しなかったこともあり、また戦災と戦後の混乱期に残された戦前車もほとんど消失し、高度経済成長期に差し掛かるまで多くの日本人は生活にゆとりはなく、STREET RODのような戦前車をカスタムして楽しむ文化は生まれなかった。

エンジンはシボレー350スモールブロックに換装した上でブロワー(スーパーチャージャー)をインストール。

日本でSTREET RODの存在が認知されるようになったのは、高度経済成長期が終わった1970年代のことで、アメリカからもたらされた音楽や映画、ファッションを通じて若者がアメリカンカルチャーに強い憧れを抱いていた時期のことで、1974年に公開された映画『アメリカングラフィティ』によって一般にもその存在が知られるようになった。

1932年型フォード・モデルB・ロードスター。DEUCEの愛称を持つ人気のSTREETROD。
1932年型フォード・モデルB・ロードスターのリヤビュー。昨年の横浜HOTROD & CUSTOM SHOWでPaticipation Awardを受賞したマシン。製作はAndy’s Rod Works。

しかし、当時は日本でモータリゼーションが花開いた時期ということもあり、人々は国産の小型車を手に入れるだけで精一杯。アメリカ車はまだ庶民には手が届かない高嶺の花であり、ましてや戦前車をベースにしたSTREET RODを手に入れ、日本で乗りまわすことなど夢のまた夢の話だった。

1931年型フォード・モデルA・5ウィンドウクーペ。昨年もエントリーしていたマットブラックのボディを持つトラディショナルスタイルのマシン。
1931年型フォード・モデルA・5ウィンドウクーペのサイドビュー。

そうした世相もあって、当時の若者はようやく手に入れた中古の国産車をベースとして、HOTRODのエッセンスを取り入れたカスタムを楽しむのが関の山だったのだ。それすらも当時の厳しい車検制度や警察の取締りを前に実行に移すには相応の覚悟が必要だったが……。

2024年の『第32回ヨコハマホットロッドカスタムショー』でMOONEYES USA’s Pickを受賞したGrass Hopper Hot Rod Clubの1929年型フォード・モデルA・ロードスターピックアップ。
1929年型フォード・モデルA・ロードスターピックアップのサイドビュー。

しかし、1980年代に入ると好景気の訪れとともに並行輸入という形で日本未発売の新車やクラシックカーが上陸するようになると、アメリカからSTREET RODを輸入する者が現れるようになる。バブル期の1987年3月にMOONEYESが第1回SCNを開催を契機に輸入台数が増加し、日本でもHOTRODカルチャーが根付き始め、MOONEYES主催のイベントなどではSTREET RODを見かける機会が徐々に増えて行った。

フォード・モデルT・ピックアップ。 

直管マフラーやフェンダーレスでも合法的に公道を走れる!?

1910~1940年代のアメリカ車をベースにしたSTREET RODは、シートベルトや直管マフラー、フェンダーレスのカスタムが施されることがあり、現在の保安基準に適合しないことから事情を知らない人からは違法改造車と思われがちだ。

フォード・モデルA・ロードスター。ラジエターグリルはモデルB用に交換されているが、シャシーからモデルAと判断できる。

しかしそれは早計な判断で、SCNの会場に並ぶマシンはすべて合法的にナンバーを取得した車両となる。保安基準は車両製造時の基準が適用となるが、法律には「不遡及の原則(新しい法律を過去に遡って適用しない)」があり、1951(昭和26)年7月1日の道路運送車両法施行以前に製造された車両は法規制の適用除外となるのだ。

1932年型フォード・モデルB・ロードスター。心臓部には221cu-in(3.6L)「フラットヘッド」V8エンジンを搭載する。

そのような事情からSTREET RODは高年式の車両では認められない大胆なカスタムも誰に気兼ねすることなく自由に楽しむことができる。なかでもボディワークはポピュラーなカスタム手法であり、チョップドルーフ(ピラーを切り詰めルーフを低くしたカスタム技法)に加えて、チャネリング(車体のフロアパネルを一度切り離し、高さを調整した上で再溶接することで、足まわりに変更を加えることなく車高を低く下げるカスタム技法)やセクショニング(車体下部より水平にボディを切り取り、残った上部と下部を再溶接することでボディを薄くし、車高を下げるカスタム技法)などのボディメイクが施されることが多い。

STREET RODは自動車趣味の”ノブレスオブリージュ”

1928年型フォード・モデルA・ロードスターピックアップ。RATROD(ラットロッド)として仕上げられたマシンで、エンジンはシボレー製454cu-in(7.4L)V8が搭載されていた。

自由と創造力、個性を重んじるSTREET RODは、アメリカンモーターカルチャーの真髄とも言える存在なのだが、もともとベース車両が国内にほとんど残っておらず、製作には相応な手間と費用、高い技術力が必要となることから日本ではまだまだ少数派だ。

1932年型フォード・モデルB・ロードスター。

その多くがアメリカでカスタマイズされた完成車を輸入したものとなるが、日本国内にてカスタムビルダーが製作を手掛けたマシンも少なくはなく、その実力はアメリカ本国のビルダーにも負けてはいない。

フォード・モデルA・ロードスター。

今回のSCNのエントリー車両を見ても明らかな通り、アメリカ本土のカスタムショーでもアワードを狙えそうな完成度の高いマシンもある。ただ、惜しむらくは、日本のビルダーが実力を発揮できる機会はそう多くはないということだ。

1932年型フォード・モデルB・4ドアセダン。

アメリカではビジネスで成功したミリオネアがスポンサーになって、カスタムビルダーにハイレベルなSTREET RODを注文し、アワード獲得を目指して『Grand National Roadster Show』などの権威あるショーに完成したマシンを出展する。

1932年型フォード・モデルB・ピックアップ。

見事アワードを獲得したマシンは、メディアの取材を受けるとともに全米各地のショーを回って一般のファンに楽しんでもらう。それによって注文主はアワードという栄誉が手に入るだけでなく、自動車文化への貢献によって人々から称賛を受けるのだ。これはアーティストの”タニマチ”となってクリエイティブな才能を遺憾なく発揮できるように援助することに似ている。

1934年型フォード・モデルB・ロードスター。

ところが、自動車文化後進国のわが国にはそのような資産家は残念ながら少数派だ。自動車趣味の一方の極北に位置するSTREET RODだけに、ハイレベルなマシンを製作するためにはそれなりの財力が必要になるのだが、富裕層の理解が少ない日本の現状では、新規に製作されるマシンはまだまだ少ない。

1934年型フォード・モデルB・フェートン。

筆者個人としては、金持ちと呼ばれるような人でクルマに多少なりとも興味があるのなら、吊るしのフェラーリやメルセデス・ベンツGクラス、レクサスなどで満足するのではなく、ゼロから自分の理想的なマシンを作り上げるSTREET RODの世界に足を踏み入れて欲しい。

1936年型フォード・モデル68・5ウィンドウクーペ 。

この世界は本気で理想を追求して徹底したカスタムを施せば、掛かる費用は青天井。1000万や2000万のカネが簡単に飛ぶことも珍しくはない。彼らが日本のカスタムビルダーにマシンを発注することによって、ビルダーは大いに腕を振るうことができるし、カーショーを訪れたオーディエンスの目を楽しませ、SCNやヨコハマホットロッドカスタムショーのようなイベントを盛り上げることにもつながる。

1937年型フォード・2ドアチューダーセダン。

これはある種の文化活動であり、社会貢献とも言えるだろう。しかも、仕上げたマシンを所有して運転を楽しむこともできるのだ。それこそがオーナーに与えられた特権であり、至福の瞬間であろう。

1937年型フォード・2ドアチューダーセダン。 

しかも、大きなイベントでアワードを獲得すれば栄誉が手に入り、人々から喝采を浴びる。MOONEYES主催のイベントはワールドワイドであり、受賞車両の情報は瞬時に世界へと発信されるし、その気にさえなればアメリカ本国にマシンを送り、本場のカーショーにエントリーする道だってあるのだ。

1941年型ウィリス・ピックアップトラック。アメリカンモーターカルチャー専門のミニコミ誌『IGNITE MAGAZINE』のマスコットカー。

STREET RODは究極の自動車趣味のひとつ。日本のミリオネラにももっと興味を持ってもらいたいところではある。

1937年型リンカーン・ゼファー・4ドアセダン。厳密に言えばSTREET RODではないのだが、珍しい車なので紹介しておく。

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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…