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世界の誰でもが直感的にわかる”ピクトグラム”
東京オリンピック2020の開会式の中で大きな話題となったのは、会場などで採用されているスポーツピクトグラム50個の連続パフォーマンス。ところが、その冒頭に登場する「円卓を囲むデザイナーたちの版画」にはかつてのカースタイリング誌で見覚えが…。
実は2016年刊行のカースタイリング誌 8号の特集で、同じ版画を用いさせていただいた記憶が大きく蘇った一瞬だった。掲載した企画は「ピクトグラムとクルマ1」(取材・写真:山口尚志 ※連載の予定が都合によりこの1企画でひとまず終了)で、この企画にあたり当版画の作者である版画家、原田維夫(はらだ・つなお)氏に取材をさせていただいた記事だった。なぜカースタイリングで、1964年の東京オリンピックやピクトグラムの話を取り上げたのか、といえば、車の操作系の進化にとって非常に重要なポイントだったからなのだ。
絵表示=ピクトグラムが体系化され、より広がるきっかけとされるのは、1964年の東京オリンピック。当時、大会開催に向けて、シンボル部会が結成された。当時のグラフィックデザイナーの第一人者である田中一光氏をはじめ、山下芳郎、広橋桂子、瀧本唯人、宇野亜喜良、福田繁雄、江島任、植松国臣、横尾忠則、木村恒久、各氏によって構成されていたもので、この中のお一人が田中一光氏の弟子として途中参加された原田氏だった。
今回の東京オリンピック2020の開会式に用いられていたのは、ピクトグラムの起源が前回の1964年の東京オリンピックにあることから、その起源の演出として原田さんの版画に描かれた、当時のピクトグラムの検討の様子を用いたもの。ここからアニメーションが起動し、今回大きな話題となったパフォーマンスへと繋がっていった。
競技の案内だけではない車にも関わる重要な役割
この1964年に開発されたピクトグラムは、今回のパフォーマンスでは各競技のスポーツピクトグラムがフィーチャーされているが、偉業はそれだけではなかった。会場内などで用いる様々な絵文字を作成。トイレや軽食、シャワー、警察、銀行、バス、医務室、面会所、郵便局などなど。
世界各国からの来場者に対しての案内は、日本語、英語を併記するだけでは不完全として、どんな言語を持つ人たちにもわかりやすいように、文字に頼らない案内図として考案されたものだった。
実はこのことは、自動車にとっても非常に大きな好機となっている。現在の車の室内には、たくさんの絵表示が採用されるようになって久しい。車には多くのスイッチがあり、何の操作なのかを示さなければならない。しかし、走行する中にあっては、操作したいスイッチを素早く理解することが必要だ。表示される計器についても同様だ。
文字で書かれるものは間違えずに読む必要がある上に、言葉の異なる国では必要な表記を用意しなければならない。
その中にあって、誰でもがわかる絵表示は最適なアイデアだった。とはいえ、すべてのアイデアがこの1964東京オリンピックから始まったわけではなかった。64年以前にも、絵表示に積極的に取り組んでいるモデルもあった。
しかし、多くの人たちが絵表示の有用性を認識できたことは、64年の東京オリンピックの成果のひとつだったといえる。デザイナーの多くがその必要性を感じながらも、こうした大規模なイベントで大々的に採用されることが実用化への後押しとなったのだと思う。
その高い利便性は、以降から現代までのオリンピック&パラリンピックでは必ずピクトグラムが用いられていることからも証明されたといえるだろう。
ただしオリンピック&パラリンピックでは、予想外にも担当デザイナーの手腕を発揮する場にもなり、各競技種目を現すスポーツピクトグラムには、開催国らしさが織り込まれた表現などの妙技を見るのも楽しい。現代においては、ピクトグラムもエンターテインメントの一つとしても進化していることが伺われる。
それはそれで楽しくも心地よいものだが、1964年東京オリンピックで掲げられた志とは、少し違う方向に進んでいるかもしれない。なにしろ、当時最初に考案されたピクトグラムは、あえてコピーライトフリーとしたのだ。
誰でもが無料で利用することができるものとして一般化し、広く認識度を高めることまでが、その目的だったのだから……。
とはいえ、世界の公共施設、空港、街などで文字を読まなくてもある程度の施設が理解できるのは、彼らの大きな偉業であることに間違いはない。
では、クルマはピクトグラムを有用に利用できているだろうか。現代のクルマの機能は、かつて考えられないほどに拡大している。様々な機能の追加は、さらなる絵表示を必要とするが、その説明をいかにシンプルにわかりやすく示すか? 現在のグラフィックデザイナーだけに限らない多くのデザイナーに課された、課題となっていると思う。