実車からレジェンド・ドライバー、おもちゃまで何でもアリ! フランスの巨大ヒストリックカー・イベントとは?

溝呂木 陽の水彩カースケッチ帳/連載・第24回 『レトロモビル』の愉悦

クルマ大好きイラストレーター・溝呂木 陽(みぞろぎ あきら)さんによる、素敵な水彩画をまじえた連載カー・コラム。今回は溝呂木さんの“アナザースカイ”であるフランス、パリで例年開催されている、世界の名車の巨大な祭典『レトロモビル』のお話を絵日記テイストでお届けします。

いよいよパリで『レトロモビル』が始まりました。『レトロモビル』とは、フランスはパリ南部のポルト・ド・ヴェルサイユ見本市会場のパビリオンで開催される大型の旧車ショーで、各メーカーのオフィシャルヘリテージブース、旧車クラブのクラブスタンド、レストアショップや旧車ディーラーのスタンド、博物館やパーツショップの出展に加え、おもちゃ屋、モデルカーショップ、模型メーカーや個人の模型作家のブース、自動車アーティストの出展ブースなど、クルマ文化にまつわるあらゆることや人が集結する一大見本市になります。

今年の『レトロモビル』はコロナ禍のため、いつもの2月から時期がずれて3月16-20日の開催になりました。フランスはコロナもピークアウトして、3月14日からワクチンパスも廃止。普通の生活へと舵を切り、マスクの着用義務も大幅に減ってきているタイミング。この時期の開催としたのは良い判断だったのではないかと思います。

ボクは1992年にクラブ・ルノー キャトル・ジャポンで写真家の永嶋勝美さんからその詳細をうかがい、1993年にクラブの友人と初訪問、その後2001年まで5回ほど通った思い出のイベントになります。今回はボクにとって今のところ最後の訪問となっている2001年の『レトロモビル』を、当時の旅日記を見ながら振り返ってみたいと思います。

ボクの絵日記のスタートは、いつも飛行機の機内食から。この時期はデザートにアイスモナカやチョコフレークなんかが出ていたり、おにぎりが出たりしていたんですね。自動車に関係なくて申し訳ありません。

当時、海外旅行へ行く時、ボクはいつも小型のスケッチ帳を持ち歩き、ピグマペンと色鉛筆でスケッチをしていくのが習慣でした。このノートは以前、550スパイダーのお話で触れたボクの恩人のOさんが毎年送ってくれたハードカバーの素敵なもので、これを開いて色鉛筆を並べると旅のスイッチが入ったものでした。

なぜか習慣になっていたのでしょう。いつも最初のページに描いていたのは飛行機の機内食です。この年もキャトルクラブの友人たちと向かったパリ、2月7日から15日の1週間の日程で、当時、航空運賃が安かったサベナ・ベルギー航空のブリュッセル乗り換え便。食べる前に急いでスケッチをして、ゆっくりといただいたものです。

『レトロモビル』は博物館そのもの。貴重なクルマに出会える場所です。左ページは上からアエロトラン、マセラティ 150S、GPメルセデスの2台、右は上からルノー キャトルとシトロエン アミ、アルファロメオ ディスコボランテ。

こちらはレトロの会場に入ってその場でスケッチしたクルマたち。会場は広く人も多く、半ば酸欠状態、入場料は65フラン――フラン最後の年でした。現在ではユーロです――、円換算だと1300円くらいでしょうか。まず、ぐるっと中を見て回りますが、あまりの会場の広さに見ていないブースもたくさん。一息ついてからペンと色鉛筆でスケッチを始めます。

左上の不思議なジェット列車はその年の『レトロモビル』のフューチャー車両で、時速422キロを記録した『アエロトラン(エアロトレイン)』。速度記録用でしょうか? 大きなものでした。(*編注)

その下はブースで見惚れてしまった、わりとコンパクトなマセラティ 150S。1956年製。そしてその下は泣く子も黙るGPメルセデス。メルセデス100周年で本社ミュージアムからから持ってきたW25と300SLS。これはスケッチしていてシビレました。

右ページは仲良く40周年を迎えたルノー キャトルとシトロエン アミ。キャトルは貴重な初期のルノー トロワ――キャトルのベーシックグレードで、シンプルすぎてほとんど作られなかったモデルです――、アミは初期のアミ6をスケッチ。そしてその下は大好きなアルファロメオ ディスコボランテ。こちらもアルファのミュージアムからの出展でしょう。

左ページは上からポルシェ356カレラ アバルト, マセラティ ティーポ60 バードケージ、シトロエンSMのラリー仕様、右は上からマトラMS670Cとジャン=ピエール・ベルトワーズのサイン、フェラーリ330TRI。

次のページではピカピカのポルシェ356カレラ アバルト――ポルシェ356Bにアバルトが特製の軽量ボディを載せたもの――、マセラティ ティーポ60 バードケージ、そしてユーロSMクラブのシトロエンSMのラリー仕様という素晴らしいクルマたちをスケッチし、右のページに当時から大好きだった1974年のマトラMS670Cをスケッチしていたら、マトラブースのお兄さんが「今、ベルトワーズが来ているよ」と耳打ちしてくれました。

ジャン=ピエール・ベルトワーズさん(2015年逝去)はマトラでF1やスポーツカーレースに出場し続けた憧れのドライバーで、同じくレーシングドライバーのアンソニー・ベルトワーズさんのお父さんになります。絵をお見せしたらとても喜んでくれて、絵の脇にサインをいただいたのは最高の思い出です。

その下は革ジャンパーやレーシングスーツでも有名なシャパルのブースで、当時、世界最大のアンティーク・フェラーリ・コレクションとして知られていたピエール・パルディノン氏のマデュクロ・コレクションから、1962年のル・マンで優勝した330TRIが展示されていました。ル・マンの古いピットを模したブースはいつもながら素敵でした。

お兄さんが撮ってくれた写真はピンボケでしたが、赤ら顔のベルトワーズさんがしっかり写っています。ちなみに当時のカメラはデジカメではないので、フィルムを現像するまでは、ちゃんと撮れているのかわかりませんでした。
当時のアルバムから。メルセデスW25(手前)と300SLS。
同じく当時のアルバムから、アルファロメオ ディスコボランテ。
レトロで出会ったおもちゃたち。左下から右上へ、ルノーR6のリモコンカー、ルノー キャトル、シトロエン アミ6。右ページ、上から下へ、ルノー キャトル、標識セット、ジュニア ザガート、ルノーR8、同ゴルディーニ。

会場ではいつものように散財です。当時、ネット環境はやっと一般人が利用できるようになった頃なので、今のようにオークションも盛んではなかったため、古いおもちゃを手に入れるには、『レトロモビル』のようなイベントで探すのが一番でした。手前はルノーR6の電動式リモコンカー、440フラン。電池を入れたらちゃんと走りました。リヤゲートやボンネットも開く優れもの。後ろのキャトルはジュストラのプラ製のおもちゃで700フラン。そして柔らかい樹脂製のアミのおもちゃは100フラン。1フランは17円くらいでした。

右はイタリアはブラーゴ製のキャトルのミニカー、350フラン。説明書まで入ったミントのディンキー製のメタルの標識は390フランでした。その下は子供がシールを貼りまくったディンキーのR8ゴルディーニで250フラン。ノレブのプラ製R8は190フラン。メーベトイズのジュニア ザガートは重量感があって素敵なモデル。420フラン。

同じくおもちゃたち。左ページ上から下へ、ルノー キャトルが2台と信号機、アバルト シムカとフィギュア。右ページはアンティーク・スロットカーの数々。

そして次のページへと続き、スペインのリコ製、1/34くらいのスケールのプラ製キャトルが400フラン。クリエーションの子供用のおもちゃや、ノレブのメタル製信号機やフィギュアも購入。レアールのミニカーショップBAMで買ったのは、いい感じにモディファイされたプロバンスのアバルト シムカでした。

右ページは当時ハマっていたアンティーク・スロットカーの数々で、古い家庭用サーキットコースを手に入れて走らせていました。買ったのは動かなくなったジャンク品が多かったのですが、小さめのスケールのジョエフのスロットカーたちと、少し大きな1/32スケールのフランス、スケーレクストリックのアルピーヌA210とマトラジェットです。

こちらは今回の記事執筆で思い出し、今朝、現在、ボクの手元にあるジョエフ・コレクションを撮影してみたものです。超精巧なモデルというわけではないのですが、いずれもよく特徴をとらえていて楽しくなります。

買い込んだジョエフのアンティーク・スロットカーたちは、湘南の『ガレージハウス クゲヌマ』さんでタイヤやモーターを見てもらって何台かは走るようになり、当時、小さかった子どもと一緒に遊んだものです。もう10年ほど前のことになりますね。

『レトロモビル』では魔法のような出会いがたくさんありました。凝縮された空間での夢のような時間、もし今年行かれる方がいらっしゃいましたら、ぜひ体験してきてくださいね。

(*編注):『アエロトラン』は1965年からフランスが高速鉄道への採用を見込んで開発を進めていた空気浮上式鉄道。車体を浮上させることで高速化を狙うという点で、日本のJRが推進している超電導リニアのようなリニアモーターカーと理屈は似ているが、磁力ではなく圧縮空気で車体を浮上させようとした点が大きく異なる。5台の試作機が作られ、筆者が本稿で紹介しているのはプラット&ホイットニー社製ターボプロップエンジンを搭載した試作2号機。結局は実用化できず、後にフランスの高速鉄道にはTGVが採用されることになる。実は灯台下暗しで、この空気浮上式鉄道は1992年から2013年まで、日本の成田空港で『成田空港第2ターミナルシャトルシステム』として実用化されていた。ただし日本の法規では鉄道に該当せず、運用状況から水平移動エレベーターとされため鉄道扱いされていない。

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著者プロフィール

溝呂木 陽 近影

溝呂木 陽

溝呂木 陽 (みぞろぎ あきら)
1967年生まれ。武蔵野美術大学卒。
中学生時代から毎月雑誌投稿、高校生の…