清水浩の「19世紀の技術を使い続けるのは、もうやめよう」 第18回

脱・温暖化その手法 第18回  —物理学は力学、電磁気学、量子力学から成っているー

温暖化の原因は、未だに19世紀の技術を使い続けている現代社会に問題があるという清水浩氏。清水氏はかつて慶應大学教授として、8輪のスーパー電気自動車セダン"Eliica"(エリーカ)などを開発した人物。ここでは、毎週日曜日に電気自動車の権威である清水氏に、これまでの経験、そして現在展開している電気自動車事業から見える「今」から理想とする社会へのヒントを綴っていただこう。

“物理学”の誕生

この項目が、温暖化の対策を考えるための最も重要なところである。

現代の物理学の発祥は、1687年のアイザックニュートンの力学の発見である。力学は物の運動を数式で表したものである。その最も大事な式が運動方程式だ。これは、力は物体の重量と加速度の掛け算であることを示すもので、高校の物理の教科書にも出てくる。

運動方程式から答えを導くためには、微分の考え方が必要だった。このことから力学を文章化するためニュートンは微分も生み出した。

ところで、微分と聞いただけで身震いをする人もいる。それまでの算数、数学が良くできた人でも、ここで躓く人が少なからずいる。それで、本当は車が好きなはずなのに、数学ができないという理由で文系に進む人もいる。

微分がそれまでの数学と違うのは、変化を表す数学だということである。そのために、それまでのようにすんなりと理解ができないけれども、という前提付きで高校の先生が丁寧に説明して下さればいいのだが、微分の考え方は1時間程度の授業で済まされてしまう。それ以後はこれを如何に解くかということで、ひたすら授業が進む。これだけの表現で微分を理解できるとは思わないが、「変化を表す便利な数学だ」ということは理解していただきたい。

もう一言加えると、場所の時間的な変化が速度である。速度の時間的変化が加速度である。力学では、速度や加速度を数学的に表現したかった。そのための手法として考えられたのが微分であった。

ニュートンが運動方程式を編み出した年は、イギリスでの2回目の市民革命である名誉革命(1688年)の前年であり、清教徒革命の以後の自由にものを考えてもよいという人々の感覚がイギリス国内に広まった時期といえる。

イギリスで産業革命が始まったのは1730年頃とされているが、これを支えた科学的知識が力学であった。

電磁気学そして量子力学が誕生

次いで1700年代から1800年末にかけて、電気と磁気の関係についての研究が進められたが、電気と磁気は相互に影響を及ぼし合うことや、向かうNとSの磁石に置いた導線に電流を流すと線に力が発生すること、電波の存在などが発見された。

そして1864年にイギリスのジェームズ・クラーク・マックスウェルがこれらの研究を4つの方程式にまとめることに成功した。これがマックスウェルの方程式である。

そして、20世紀になると、量子力学が生まれる。量子力学と聞くと、とても難しい物理に見えるが、原子と分子の中身、そして光の関係を理解するのが量子力学と説明されれば、納得がいくだろう。

量子力学の発見は1900年にドイツのマックス・プランクが発見した溶鉱炉の炎の強度を測ろうとして数式を立てた時に、解釈のできない数値が見つかったことから始まる。

その後、多くの天才達がこの分野で次々に新しい発見を行ない、1926年にオーストリア出身のエルヴィン・シュレーディンガーが波動方程式としてまとめたことで一応の完成となった。

ニュートンの運動方程式は1つの式で成り立っている。しかも、力をかけた方向に運動が起こるので一次元で考えればよい。

マックスウェルの方程式は4つである。しかも3次元の表現が必要である。フレミングの左手の法則は既になじみであるが左手の中指が電流の方向、人差し指が磁力の方向、親指が力の方向である。このため力学に比べて理解が難しい。このことが力学に遅れて発見された。

量子力学の波動方程式は、原子や電子1個あたり1つの方程式が必要である。このため、電磁気学よりさらに理解が難しい。これが、20世紀になってこの科学が生まれた理由である。

これらの物理学が技術と結びついて、技術を急速に発展させることになった。

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著者プロフィール

清水 浩 近影

清水 浩

1947年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部博士課程修了後、国立環境研究所(旧国立公害研究所)に入る。8…