今度の黒船は中国・韓国か? BEVで日本上陸の意図を探る・後編

BYD日本上陸 中国製と韓国製のBEVが突きつける日本の現実とは

【写真1】
去る7月21日、中国の比亜迪汽車(BYDオート)は日本で初めての記者会見を開き【写真1】2023年1月から順次、BEV(バッテリー・エレクトリック・ビークル=一般メディアが言う狭義のEV)を日本市場で販売すると発表した。輸入にあたっては国土交通省にPHP(輸入自動車特別取扱制度=Preferential Handling Procedure)適用を申請し、1車種年間5000台までの輸入ができるようにする、という。販売は「実店舗での対面販売を重視する」とし、2023年以降の3年間で全国に100店舗を展開する計画も明らかにした。
TEXT & PHOTO:牧野茂雄(MAKINO Shigeo)

BYDの日本上陸 その裏側はどうなっているのか?

この発表会には多くのメディアが訪れ、テレビカメラも数台入っていた。しかし、当日のテレビニュースでの扱いを筆者は見ていない。新聞も大きくは報じなかった。具体的な販売計画が示されなかったからだろうか、それともニュースバリューがないとの判断だったのか。

輸入元となるBYDジャパンは2005年に日本事務所として設立されており、PHP制度が求める「輸入業務を行なう法人の有無」はクリアしている。しかし、過去に中国製乗用車が日本でPHPを取得した例はない。この制度は、原則としてUN-ECE(国連欧州経済委員会)の1958年協定加盟国と日本の間の「相互認証」であることが求められる。

相互認証とは「車両並びに車両への取付け又は車両における使用が可能な装置及び部品に係る統一的な技術上の要件の採択並びにこれらの要件に基づいて行われる認定(原文ママ)」であり、1958年協定批准国同士の完成車輸出入は「相手国の基準にパスしている場合は、それを受け入れる」ことが求められる。一部メディアは「日本の輸入制度は複雑」と書いているが、これはまったくの誤解であり、1958年協定批准国のなかで、日本はこのルールの遵守と言う点では極めて模範的である。

中国は1958年協定に批准しておらず、1998年協定のみ批准している。1998年協定は「1958年協定に基づく規則や各国法規への導入による基準の国際調和を目的としたもの」であり、1998年協定批准国同士が完成車の2国間輸出入を行なう場合は、互いの基準項目について「この基準は貴国の基準のこの部分に当たる」と言うことを相互に確認すればいい。日本は1998年協定も批准しているが、いまのところ中国の同協定担当官庁は日本の国交相との間でこの作業を行なっていない。

ちなみに、日本の国交省はCNG(圧縮天然ガス)とLPガスの車載タンクについては1958年協定を無視しており、そのためVW(フォルクスワーゲン)ゴルフなどのCNG車は輸入できなかった。日本製の車載タンクに交換し、高圧ガス保安協会の試験を受けなければいけないという、本来は1958年協定加盟国にあってはならない勝手なローカルルールを適用している。この件は国交省マターではなく経済産業省によるルール無視だ。FCEV(燃料電池電気自動車)の車載水素タンクや陸上設備にも勝手な経産省系業界団体の国内ルールが存在する。既得権維持が目的だとしか考えられない。

これは筆者の憶測だが、BYDはトヨタと共同で2020年にBEVの研究開発を行なう合弁会社を設立している関係を使ってPHP取得を進める考えなのかもしれない。欧州に出荷されているBYDの乗用車BEVは、EU認証ではなく国別認証を利用している。バスBEVは欧州各国や日本に出荷しており、これは商用車独自の認証を利用している。

中国と日本が互いに基準内容の「読み合わせ」を行ない、「中国のこの基準は日本の基準のこの部分に当たる」と言う確認を行いさえすれば、中国製乗用車のPHP取得はスムースに行えるようになるはずだ。ただし、BYDのBEVが年内にPHPを取得できるかどうかはわからない。

BYDのクルマそのものは、取り立てて不便なく、製造品質も上々だ。筆者が過去に中国で試乗したモデルも、2012年ごろを境に品質が上った。「走り」も良くなった。外観は鋼板プレスの精度や仕上がり具合で日本車に劣る部分は見当たらない。BYDは日本の金型メーカーであるオギハラの群馬工場を2010年に買収しており、その技術をすっかり自分のものにしている。内装の樹脂部品の出来もいい。

【写真2】

筆者が初めてBYDオートと言う自動車メーカーの製品を知ったのは、2005年開催のオートシャンハイ(日本のメディアが言う上海モーターショー)だった。倒産した西安秦川汽車を電池メーカーの比亜迪股份有限公司が買収し比亜迪汽車(BYDオート)を名乗ったのは2003年。その2年後にショーモデル(いわゆるコンセプトカー)「ET」を披露した【写真2】。訊けば社内デザインだった。ドアは開かないしステアリングも切れないほどホイールアーチが小さく、クルマとして成立しない。

このショーで筆者は、BYDオートの担当者に英語でインタビューした。はじめのうちはきちんと回答してくれていたが、都合の悪い質問(たとえばこの状態ではドアが開かないのでは?というような質問)になると、いきなり黙るか、回答が中国語になったりした。中国メーカーへの取材では良くあることだ。しかし、近年のBYD車はツッコミを入れる材料がほとんどない。

そのオートシャンハイの3年後、2008年末には世界初の量産型PHEV(プラグイン・ハイブリッド・エレクトリック・ビークル)をBYDは発表し、翌年から量産を開始した。現在も同社のPHEVは中国市場で人気がある。もともとが電池メーカーだけに電池は得意であり、自社製電池を自動車で大量に使うために早い時期から車両電動化に取り組んできた。

なかでもリン酸鉄系のLIB(リチウムイオン電池)はお家芸だ。出力密度は三元系(ニッケル/マンガン/コバルト)に劣るものの耐劣化性能など安全性に優れるため、現在は中国政府もリン酸鉄系LIBを「ある程度の比率で使うことが好ましい」と推奨しているほどだ。

中国では、国営であれ民営であれ、企業は政府の方針に沿った事業展開が求められる。外国企業の合弁会社であっても政府の干渉と無縁ではいられない。BYDが現在、BEVとPHEVを主力としながらもHEV(ハイブリッド・エレクトリック・ビークル)にも使う高効率ICE(内燃機関)の開発を進め、電池領域ではリン酸鉄系と三元系の両方を持っているという事実は、まさに中国政府が掲げる方針そのものである。

BYD ATTO3/SEALはどんなBEVか?

【写真3】
【写真4】

日本に導入される予定のモデルを簡単に紹介しておく。並行輸入扱いでナンバープレートを取得している「ATTO 3」【写真3】は全長4455×全幅1875×全高1615mm、ホイールベース2720mmのSUV。電池搭載量は58.56kWh、電気モーター出力は150kW、最大トルク310Nm、車両重量1750kgである。電池を大量に積むBEVとしては、比較的軽く仕上がっている。タイヤはコンチネンタルのエコ・コンタクト6Q【写真4】が装着されていた。サイズは235/50R18。

フロントボンネット内には電機モーター、インバーター、冷却系などが納まり、普通のBEVである【写真5】。冷却水の管理は、いわゆるスパイダー式であり1ユニットで管理されているようだ【写真6】。テスラやVWの「ID.」シリーズによく似た方式だ。

インテリアは、かなり演出過剰のドアトリム【写真7】や、インパネ中央にあるディスプレーが90度回転して縦でも横でも使える機構など、中国独特のムードがある。【写真8】はいディスプレイを回転させている最中の様子で、手動ではなく電動回転式だ。

【写真9】
【写真10】

発表会場にはいくつかの技術展示があった。今度の主力になる薄型のブレードバッテリー【写真9】を床下に敷き詰めた模型【写真10】は、訊けばBEV最上級モデル「SEAL」のものだと言う。同モデルは2023年下半期に輸入開始の予定。前後軸を駆動するAWD(オール・ホイール・ドライブ)である。【写真11】はそのフロント部分であり、FR車のように前車軸より前側にラックバーが配置された「前引き」のステアリングである。フロントサスペンションはツイステッド・ナックルを使ったダブルウィッシュボーンだ【写真12】

この「SEAL」の外観はなかなか魅力的だ【写真13】。わかりやすい保守的スタイリング(というか古臭い)が多い日本国内市場向けの日本車のなかでは、かなりの存在感を発揮するだろう。

【写真13】

韓国・ヒョンデのBEVとBYDオートのBEV。日本市場はこの両ブランドをどう受け入れるだろうか。「自動車先進国なのにBEV普及率が極めて低い日本に、買いやすい価格のBEVを提供する」と、両社は言う。しかし、現在の日本の電力事情はかなりヤバい。BEVに充電する電力は、そのほとんどが火力発電で賄われる。

じつは、中国の火力発電比率は2021年実績のBPデータで65.9%、韓国は65.8%、日本は64.7%。似たり寄ったりの比率だ。しかも電力事情は3カ国とも厳しい。BEVに補助金を出してまで買ってもらう必要があるのか、という点には大いに疑問がある。BEVを走らせると「どの発電方法が増えるか」というマージナル電源の考え方に基づけば、日本は完全に火力である。

「黒船」という表現は、何かの外圧によって日本が決断を迫られる状況で使われる。中国製と韓国製のBEVは、現時点で言えば「石炭火力発電の煙」の「黒」としか、筆者は連想できない。BEV普及を考える前に日本は、歴代政権がずっと議論を避けてきた「原発をどうするか」の問題を考え、答えを出さなければならないのだ。いつまでもうやむやにはできない。

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著者プロフィール

牧野 茂雄 近影

牧野 茂雄

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産…