ヒロシマ復興のシンボル、歴史的車両の異色な『トミカ』だ!!

トミカ × リアルカー オールカタログ / No.66 広島電鉄 650形

発売から50年以上、半世紀を超えて支持される国産ダイキャストミニカーのスタンダードである『トミカ』と、自動車メディアとして戦前からの長い歴史を持つ『モーターファン』とのコラボレーションでお届けするトミカと実車の連載オールカタログ。あの『トミカ』の実車はどんな乗り物?
No.66 広島電鉄 650形 (希望小売価格550円・税込)
広島電鉄 650形電車 実車(PHOTO:広島電鉄株式会社)

『トミカ』の『No.66 広島電鉄 650形』は『トミカ』の中でも異色作の一つ、ご覧の通り、路面電車です。路面電車とは、原則的には一般道路上に軌道(併用軌道。レールのようなもの)を敷き、自動車,自転車,歩行者などと路面を共用する仕組みをもって運転される電車です。もともとは19世紀のイギリスで、馬車の乗り心地を良くするために道路上に敷いた専用のレール上を走らせた馬車鉄道が発祥で、これが欧米各地に広まりました。その後、蒸気機関や電気動力などの技術が発展するのに伴って、馬から蒸気機関車や電車に置き換えられていったのが路面電車の始まりです。

特に1879年に開催されたベルリン工業展覧会でドイツの電気会社シーメンスが行なった電気動力による路面電車のデモ走行が広く普及するきっかけとなり、1883年には世界各地で電気を動力とする路面電車の定期運行が行なわれるようになりました。

日本においても路面電車は意外と早く広まりました。1890年に東京の上野公園で開催された第3回内国勧業博覧会で、アメリカから購入したスプレーグ式路面電車を東京電燈株式会社が会場内で走らせたのが、日本で初めて走った路面電車と言われています。そして早くもその5年後、1895年に七条停車場前から伏見町京橋下油掛通の間を結ぶ京都電気鉄道伏見線の運行が開始され、これが日本初の路面電車の営業運転とされています。その後、名古屋電気鉄道、東京電車鉄道、日本初の公営電気鉄道である大阪市営電気鉄道と続々と運行が開始されて行き、昭和の時代に入ると都市交通の花形として、全国主要都市で”市民の足”として活躍するようになり、日本での黄金期を迎えます。

広島電鉄が開業当初に導入した車両の100形(ただし150形からの改造復元車)。現在もイベントなどで走行する姿を見ることが出来る。(PHOTO:広島電鉄)

ところが欧米では自動車産業が盛んになるにつれて自動車の便利さ際立つようになり、路面電車よりも乗り合いバスなどが注目され、東欧諸国やドイツなどの一部の国々を除いては、路面電車は第二次世界大戦前には徐々に衰退し始めていました。日本では第二次世界大戦を経て戦後しばらくは“庶民の足”として各地で活躍していましたが、自動車が一般家庭にまで普及し始めた1965年ごろには利用者が減少、路上にあふれた自動車によって交通渋滞が発生したことから路面電車の定時運行さえ危うくなったため、多くの路面電車が惜しまれつつも廃線となっていったのです。2022年8月現在、日本で路面電車を運行しているのは18事業者22路線となっています。

この路面電車を現在も運行している代表的な事業者の一つが広島電鉄です。100年ほど前の1912年11月23日、広島電気軌道株式会社によって広島に路面電車が開業しました。正式な会社名は広島電気軌道でしたが、路面電車開業を報じた当時の新聞の号外では「広島電鉄開通」と大きく伝えており、開業当初から俗称として『広島電鉄』の名が使われていたようです。この開業にあたっては100形電車が50両導入され、現在も150形を改造した復元電車の『101号』が広島電鉄に現存しており、イベントなどで運行されています。

1943年、広島市中区『十日市』付近を走行中の651号。(PHOTO:広島電鉄)

その後、広島電鉄は150形、350形と次々に車両を導入して行き、第二次世界大戦中の1942年に大阪の木南車両製造で作られた広電生え抜きの車両が650形です。当時、651号から655号の5両が製造されました。

戦争中は多くの乗務員が兵隊として戦地へ送られてしまい、電車の運行数にも影響が出ていました。そこで大型の車両で一度に大勢の人を運ぼうという発想で作られたのが650形でした。最大の特徴は、車輪を備える台車がレールのカーブに沿って左右にスイングする仕組みになっており、大型車両でも難なくカーブを曲がれるという、当時としては最新式のボギー台車を使用した事でした。全体的に丸みを帯びた四角い車体は、当時はモダンなデザインと言われていました。

この650形路面電車たちは1945年8月6日の原爆投下の時も広島市内を走っていました。651号は爆心地から約700m離れた広島市中区『中電前』あたりを走行中に被爆、ドアや屋根の集電装置はすべて吹き飛んで半焼状態となりましたが、翌年3月に運行に復帰しました。652号は『宇品』近くで被爆しましたが、爆心地から4㎞ほど離れていたため軽度の損傷で済み、すぐに運行に復帰しています。653号は爆心地から3kmほどの『江波』付近で被爆して大破しましたが、同年12月に運行に復帰しています。654号は653号と共に被爆しましたが、1946年に復帰して長らく市民の足を支え、2006年にダイヤ改正に伴って引退、現在は広島のヌマジ交通ミュージアムで屋外展示されています。最後の655号は『広島駅前』で被爆、損傷が激しかったため1948年にようやく運行に復帰します。しかし1967年に大型トラックと衝突して大破、廃車となってしまいました。『トミカ』の『No.66 広島電鉄 650形』は651号を再現しています。

現在も元気な姿を見せる650形の3両。653号には当時のカラーリングが施されている。(PHOTO:広島電鉄)

これらの路面電車たちは、被爆後、悲しみにくれる広島の街を走り、市民を大いに勇気づけた“ヒロシマ復興のシンボル”と言われています。そして現在でも3両が元気に広島の街を走っています。また“被爆電車”とも呼ばれ、広島を訪れる方々への平和学習の一翼を担っています。このドラマチックな路面電車をコレクションに加えられてみてはいかがでしょう?

■広島電鉄 650形電車 主要諸元

全長×全幅×全高(mm):12380×2438×3839

自重:16.2トン

定員:80人(うち着席32人)

電気方式:直流600V

主電動機:SE-133型 直流直巻電動機 38kW×2

駆動方式:吊り賭け式

制御装置/方式:KR-8形制御器 / 抵抗制御

制動装置/方式:SM-3形直通空気制動機 / 直通空気制動

車体:半鋼製

台車:ブリル77E形

製造所:木南車両製造

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