清水浩の「19世紀の技術を使い続けるのは、もうやめよう」 第26回 

脱・温暖化その手法 第26回  —太陽電池を実用に使えるようにしたのは日本だったー

温暖化の原因は、未だに19世紀の技術を使い続けている現代社会に問題があるという清水浩氏。清水氏はかつて慶應大学教授として、8輪のスーパー電気自動車セダン"Eliica"(エリーカ)などを開発した人物。ここでは、毎週日曜日に電気自動車の権威である清水氏に、これまでの経験、そして現在展開している電気自動車事業から見える「今」から理想とする社会へのヒントを綴っていただこう。

シャープが世界一の生産メーカーに

第25回では太陽電池がアメリカで、それもトランジスタの発明と同じベルテレフォン研究所で発明されたことを述べた。

しかし、その後アメリカでの大きな発展は見られず、特殊な用途のみへの利用が細々と使われていたのみであった。

日本では1955年にNECによる日本初の太陽電池が完成し、59年にはシャープが研究開発に着手する。

さらに、73年のオイルショック以降、自前のエネルギーを開拓するために当時の通産省の研究計画としてサンシャイン計画が立てられ、次いでニューサンシャイン計画に引き継がれ、80年代にはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)を設立して、エネルギーに特化した予算を大学、研究機関、企業に供給して、大々的な研究を行なうことにした。ここでは極めて幅広い研究が行なわれ、日本のエネルギー技術の増強に大きな貢献をした。その中でも特に注力が成されたのは、太陽電池への研究・開発投資であった。その結果、商業的には93年に京セラが日本初の住宅用太陽光発電システムを発売し、98年には同社が世界一の生産メーカーとして成長し、99年には日本がアメリカの生産額を抜いて世界一となり、次いで2000年にはシャープが世界一のメーカーとして業績を伸ばしてきた。さらにその勢いは続き、01年には太陽電池導入が世界一となり、05年には世界の太陽電池生産会社で上位5社のうち4社が日本のメーカーとして注目を集めた。

価格競争の波に揉まれ技術は中国へ

太陽電池が安価になった要因のひとつは技術向上による効率の向上である。太陽電池には前回述べた様に理論的な限界はあるものの、効率は理論的限界に向けて、時間はかかったが大きく向上している。発明当初のシリコン型太陽電池の効率は6%であった。単結晶を用いたシリコン太陽電池では実験的には24%に達している。

なお、シリコン型太陽電池には電池全体が一つのシリコン半導体結晶でできている単結晶型と、多くの結晶の集まりである多結晶型があるが、単結晶型は効率が高く、その分価格も高い。

太陽電池の低価格化に寄与したもうひとつの大きな理由は、製造法の向上であった。シリコン太陽電池は大きな結晶を作るところから始まる。その製法はポーランドのジャン・チョクラルスキーが1916年に発明したチョクラルスキー法が主流である。この方法でシリコン半導体を作るには1420℃で融かした高純度なシリコンにわずかのホウ素やリンを加えてN型ないしはP型の半導体を作る材料とし、その液面に種結晶と呼ばれる単結晶のシリコンの細い棒を付け回転しながらゆっくり引き上げると、種結晶と同じ単結晶の直径が大きな円柱形のシリコンの塊が作られる。金属やシリコンのような固体の塊をインゴットと呼ぶが、インゴットの直径が大きく出来れば出来るほど、その価格は安くなる。この技術が生まれた当初は直径が20mmだったものが今では直径が16倍で面積150倍の300mmまで拡大した。このインゴット生産は現在でも世界第一位は信越化学の関連会社の信越半導体で、今でもその座はゆるがない。

その後インゴットは0.2mm程に薄くスライスし、その上にN型、ないし、P型の半導体層を作る。

この半導体を含む太陽電池製造装置でも東京エレクトロンを始めとする日本の企業が高いシェアを持っている。

トランジスタの実用化の面ではソニーの井深大の功績が大きかったように、太陽電池の実用化という点でも日本の功績は大きかった。

そしてこうした功績の結果、太陽電池の価格は確実に下がり、それとともに生産量も上がり、太陽電池は地球のエネルギーをまかなう現実的な手段としての位置にある。

こうして太陽電池の実利用には大きな功績があった日本であったが、中国が急速に台頭し、2010年には世界生産の上位5社のうち4社までが中国企業が占めるようになった。

このため日本では太陽電池を生産する企業は次々と撤退し、日本のブランド名が付いた太陽電池も中国での生産がほとんどということになっている。これは価格競争の結果、現在は中国製が世界的に最も安価であることによる。

日本はこの状況を見据え、どの様な手段で再び日本の大きな産業とするかについて話すことも本連載の最後の目標である。





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著者プロフィール

清水 浩 近影

清水 浩

1947年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部博士課程修了後、国立環境研究所(旧国立公害研究所)に入る。8…