世界最強のディーゼルエンジン:アウディのル・マン用V12ディーゼル[内燃機関超基礎講座]

2000年から2005年の6年間で5回も伝統のル・マン24時間を制したアウディは、優れた実績を誇る3.6ℓ・V8直噴ガソリンエンジンをあっさりと捨て 、2006年から新開発の5.5ℓ・V12ディーゼルエンジンにスイッチした。なぜ5.5ℓ、なぜV型12気筒なのか 。開発の背景と経緯をまとめた。
TEXT:世良耕太(Kota SERA) PHOTO:AUDI
*本記事は2008年6月に執筆したものです

ル・マン24時間レースは毎年6月に行なわれる。第1回の開催は1923年。コーナーのレイアウト変更やシケインの設置など、いくつかの変更は受けているが、1周が約13.5kmになってから70年以上になる。24時間でどれだけ長い距離を走れるかを競うルールに変わりはないが、耐久レースでありながら、実態は24時間全力疾走を強いるスプリントレースと化しているのが近年の傾向。アウディの発表によれば、1周のうち300km/h以上の最高速に達する機会が5回、全開率は72%に達するという。

しかも、24時間で5000km超を走る。例えば、2006年の優勝マシン、F・ビエラ、E・ピッロ、M・ヴェルナーがドライブしたカーナンバー8のアウディR10は、24時間で380周、5187kmを走行。給油、ドライバー交代、タイヤ交換のために27回のピットストップを行なったが、これらの時間を含めた平均速度が215.4km/h。3人のドライバーで合計5100回のブレーキ操作、15800回のシフト操作を行なった。

ル・マン24時間で歴史上初めて優勝したアウディのディーゼルエンジンは新開発の5.5ℓ・V12で、練習走行と予選を含めて469周、6402kmを走行した。アウディの調査によれば、2006年にF1世界選手権でドライバーズチャンピオンを獲得したF・アロンソの乗ったルノーR26が、シーズン18戦を通じて走った距離が5336km。F1は原則、2レースごとにエンジンを交換する。アロンソの場合はこの年10基のエンジンを使用した。

つまり、ル・マン24時間レースはエンジンにとって過酷な環境にある、ということだ。1基のエンジンで24時間のうちにF1の年間走行距離に相当する5000km超を走りきる耐久信頼性が必要。全開率はF1でもっとも過酷なモンツァに匹敵し、昼夜の気温差が25°C以上に達することもある。アウディは3.6ℓ・V8直噴ガソリンエンジンを積んだR8で、2000年から2005年の間に5回の優勝を記録。2006年から新型ディーゼルにスイッチしたが、その理由はル・マン24時間の過酷さゆえ、だと説明する。

開発がスタートしたのは2003年の夏。排気量が5.5ℓとなったのは、レギュレーションに依存する。ル・マン・プロトタイプ(LMP1)のカテゴリーでは、排気量4ℓから5.5ℓの4サイクルガソリン、あるいはディーゼルエンジンの場合、気筒数は自由。エアリストリクターの径は排気量に関係なく、1個を装着する場合は55.9mm、2個の場合は39.9mmとなる。ターボチャージャーの最大過給圧は排気量によって異なり、4000cc~4250ccの場合は3.87bar、5250cc~5500ccは2.94barとなる。

レギュレーションと過去のレース経験を照らし合わせた結果、ル・マン24時間を制するには476kW(650ps)以上の最高出力が必要だとアウディは判断した。リッターあたり出力が100psを大きく下回っていた過去のディーゼルエンジンの実績から、排気量は5.5ℓが必要と判断。既存の5速ギヤボックスの搭載が前提だったため、最大トルクは幅広い回転域において1100Nmを発生すること。また、エンジンの重量を260kg以下に収めること。燃料消費率が低いこと。車体構造部材のひとつとして機能(ストレスマウント)させるため、モノコックやサスペンションとの結合部に高い剛性を確保すること、といった基本コンセプトが固められた。

V型なのは当然として、8気筒、10気筒、12気筒を比較検討した結果、12気筒に落ち着いたのは、これらのコンセプトを最もバランス良く満足させたからである。V12の場合は全長で不利になるが、幅、高さの面で有利。気筒数を少なくすると1気筒あたりのピストン負荷が増えるため、V8を選択した場合は構造的な補強が必要となり、V12よりも重量が増えることが判明した。

また、車両搭載性、エンジン重心、重量などの面でもV12が最もバランスがいいと判断した。バンク角を60度とせずに90度としたのは、車体のねじれ剛性や重心位置を勘案した結果だという。

こうして、ル・マン24時間に投入するディーゼルエンジンは排気量5.5ℓ、V型12気筒ターボと決まる。この時点で、2006年のル・マン24時間レースまでに残された時間は約30ヵ月。2004年末から2005年初頭に先行開発エンジンを用い、台上テストを開始。2005年11月に走行テストに持ち込むと、2006年3月のセブリング12時間に初投入し、初勝利。そして、6月のル・マン24時間に2台のアウディR10TDIが参戦。予選を1、2番手で通過すると、2番手からスタートしたカーナンバー8が優勝、A・マクニッシュ/T・クリステンセン/R・カペッロ組のカーナンバー7が3位でフィニッシュした。

効率と出力を両立させる難しさ、それを実現する技術

先行開発は量産の4ℓ・V8ディーゼルをベースに、1気筒あたりの排気量を5.5ℓ・V12と同じ458ccに設計変更した3.67ℓ・V8ディーゼルを製作して行なった。クランクシャフト、ピストン、カムシャフト、インジェクター、ターボチャージャーは新たに設計。吸気ポートに関してはバルブレイアウトとともに3.67ℓ・V8エンジンで検討され、V12エンジンのシリンダーヘッド設計にフィードバックされた。

燃焼コンセプトの確認や、耐久テストにおける主要なテーマは1気筒ユニットで行なった。3.67ℓ・V8エンジンおよび1気筒ユニットで行なったテスト項目は、吸排気ポート仕様の検討のほか、コモンレールインジェクターおよびノズル仕様、コモンレール圧力、圧縮比、ピストン形状、ピストン冷却性能、エアリストリクターの位置、ターボチャージャーの仕様などに及ぶ。

燃費の悪化、効率の低下という代償を払って出力の向上を図っても、ル・マン24時間では勝利を手にすることはできない。1回の給油(2006年は燃料タンク容量=90ℓ。2007年からは81ℓ)で走れる周回数が給油回数を決めるため、燃費は重要。5.5ℓ・V12ディーゼルの開発においても重点的に取り組まれた。結果、定格出力領域での燃料消費率を比較すると、R10の5.5ℓ・V12ディーゼルターボは、R8が搭載した3.6ℓ・V8ガソリンターボに対し、約10%の消費率向上を実現。同じタンク容量で走行した場合、1〜2周余分に走れる計算になる。本戦では、アウディR10は1タンクで15周を走行した。

「現在もレースを戦っている都合上、スペックの詳細には触れられない」としながらも、アウディはル・マン24時間のために設計した5.5ℓ・V12ディーゼルエンジンに関し、アウトラインを公表している。

クローズドデッキ構造のシリンダーブロックは、低圧鋳造法によるアルミ合金製。シリンダーライナーには耐摩耗性、耐焼き付き性、耐熱性を確保するためにニカジルメッキが施されている。つまり、レーシングスペックとしては一般的な仕様だ。「特別凝っていない」と説明する燃料噴射システムは、ボッシュと共同開発。コンポーネントは量産コモンレールをベースにレース用に改良。インジェクターはピエゾ式で、最大噴射圧は1600barである。ノズル形状、噴孔数は未公表だ。

ターボチャージャーはギャレット製。片バンクに1つ配置したツインターボで、2ステージ式でも可変ジオメトリーでもなく、ごくオーソドックスな形式とした。ブースト圧はエキゾーストマニフォールド上にあるウェイストゲートで制御。モノコック両側にインタークーラーを配置する。インテークマニホールドはカーボンファイバー製とした。

各コンポーネントは車載性の観点からコンパクトな設計とし、機械的かつ熱的高負荷に対する耐久性を確保。部品交換を効率良くするためにモジュール化が促進され、車体との接続部分をなるべく少なくするコンセプトが貫かれている。もちろん、低重心化に対する配慮も必須だった。

飛び道具は皆無。2006年のル・マン24時間レースを制したディーゼルエンジンは、オーソドックスなアプローチ、オーソドックスなスペックの積み重ねで成り立っていることが分かる。言うは易く行なうは難し、だろうが……。

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