アメリカ以外で成功したアメリカン・アルミブロックV8:ビュイック/オールズモビル215(3)【矢吹明紀のUnique Engines】

本国アメリカでは本領を発揮できず早々に退場、しかし海を渡り長きにわたって活躍し名機として名を馳せることになったビュイック/オールズモビル215。その数奇なヒストリーをご紹介しよう。
TEXT:矢吹明紀(Akinori YABUKI)

オールズモビル・ジェットファイアの水/メタノール噴射装置は冷却液に「ターボロケットフールド」という名称が付けられたエンジンルーム内には専用のタンクが設けられていた。装置が作動するのはスロットルを素早く全開にした時であり、その時間に応じてメータリングシステムで計測された適量がキャブレターの下流部に設けられた噴射ノズルからマニホールド内の混合気に供給され、その後にコンプレッサータービンで過給された。ここでのポイントは一般に航空機エンジンでは過給後の高温状態の空気に供給される場合がほとんどだったのに対して、オールズモビルのシステムは過給前の段階でガソリン混合気と水/メタノールをミックスしていたということ。こうしたシステムが採られた理由の詳細は不明だが、何らかのテストの結果を踏まえての決定だったことは推測できる。

Turbo-Rocket Fluid

オールズモビル・ジェットファイアの215ターボロケットV8のスペックは圧縮比が10.25:1、ブースト圧はフルスロットル時の2200rpmでの5psiが最大であり、そのまま加速を続けた場合4600rpmで215hpを発生、最大トルクはその過程での300lbs-ft/3200rpmというものだった。過給機付きエンジンでありながら圧縮比が比較的高かったのはターボロケットフールドによる効果的なチャージクールを想定してのことであり、ターボチャージャー自体も小型だったことから2200rpmという低い回転域でフルブースト状態になっていたことも興味深い。少なくとも過給圧が最大となる2200rpmから最高出力発生回転数である4600rpmまではパワーが持続したということで、後の標準的なターボエンジン車とは考え方自体がかなり異なっていたということが推測できる。過給圧が高まりすぎた場合はターボチャージャー本体のウェイストゲートが作動した他、ターボロケットフールドが無くなってしまった場合には噴射ノズルの後方にあったバタフライバルブでスロットルバルブとは別に吸気量を制限する過給圧上昇防止装置も設けられていた。

ここまでの説明でわかる通り、オールズモビルのターボロケットV8は初期の自動車用ターボエンジンとしてはそれなりに工夫がなされていた。しかし市場にあった時期は長くはなく、投入された2年目の1963年モデルを最後に廃止されることとなる。これには複数の要因があり、まずはベースとなったアルミブロック/アルミヘッド自体の製造技術が安定せず製造全品に圧力検査を実施する必要があったことに加えて、そもそも検査落ちする固体が全数の5%前後も生じるなど歩だまりが悪かったことが上げられる。その上市販された個体も専用の冷却液が必要だったことに加え、場合によっては経年劣化でのクラックやピンホールからの水漏れ/オイル漏れなどが報告されたことが問題を大きくした。

ターボ関係の問題としては水/メタノールのターボロケットフールドを切らした状態で使ってしまう例が多々あり、過給圧が制限されたとしてもオーバーヒートに至ったことから、ユーザーの中には早々にターボを外してしまう例などもあったと言われている。その結果ビュイックとビュイック製のエンジンを少数採用したポンティアックも含めて、GM内でのオールアルミエンジンの評価は下がる一方であり、最終的には1964年モデルからはブロックの基本デザインはそのままに排気量を300cu:inに拡大した鋳鉄ブロックへとモデルチェンジされることとなった。シリンダーヘッドはというと初期にはアルミ製が使われていたものの、これも後には信頼性重視で鋳鉄製へと変えられている。

こうして一時はその先進性に注目されたビュイックとオールズモビルのオールアルミV8、そしてそこから派生したターボチャージドエンジンは1963年モデルを最後にアメリカ市場からはフェードアウトしていった。しかしその存在が完全に諦められたわけではなく、3.5リッターというその排気量とV型8気筒という付加価値、さらにはオールアルミの軽量エンジンであることについて海外の他のメーカーが注目することとなる。

既述した製造上及び運用上の問題については何とか改善は可能だろうとの目論みと共に、新たにこのエンジンに注目することとなったのはイギリスのローバーだった。ローバーは元々先進技術には敏感な社風だったことに加えて、1965年頃にはフラッグシップとして生産していたローバーP5用エンジンの旧式化を改善するための新型パワーユニットを模索していた。そんな時期に宙に浮いてしまっていたエンジンを処分する上でGMにとってはまさに渡りに船ということで、ビュイック設計の215ユニットの製造権と製造設備一切をローバーに売却したのである。

Rover V8

ローバーは直ちに生産設備を整えると共にビュイックでは問題とされたアルミ鋳造技術の改善に着手。それらが全て終了し量産エンジンとして市販車に搭載されたのは1967年モデルとしてリリースされたローバーP5の改良型であったP5Bを通じてのことだった。ちなみにローバーが製造権を入手したのはビュイック設計品のみであり、シリンダーヘッドのデザインが異なっていたオールズモビル製は含まれていなかった。すなわちターボチャージド仕様は最初から生産計画には入っていなかったということである。また1967年はローバーにとって翌1968年から新たな自動車メーカー企業の集合体であるブリティッシュ・レイランドの成立が決定していたこともあり、ローバーによる3.5リッターオールアルミV8はP5Bの後継モデルであったP6においてもフラッグシップエンジンとして君臨した。加えてローバー以外にもMGB-GTやトライアンフTR8、ブリティッシュ・レイランド所属以外のメーカーからもモーガン・プラス8などの搭載車がリリースされ、パワフルかつV8ならではの質感の高いフィールで人気を集めた。この段階でビュイック時代における初期段階トラブルはほぼ解消されていたことは言うまでも無い。さらにこのエンジンはブリティッシュ・レイランド消滅後も引き続きローバーやモーガンで使用され、その基本デザインは最終的にはTVRのV8エンジンなどにも大きな影響を及ぼした。アメリカでは短期間でダメ出しされたエンジンながら、イギリスでは地道な改良によって望外の長命を保ったということである。これはとりもなおさず基本設計自体に問題は無かったということであろう。

著者プロフィール

矢吹明紀 近影

矢吹明紀

フリーランス一筋のライター。陸海空を問わず世界中のあらゆる乗物、新旧様々な機械類をこよなく愛する。…