プレスリリース おんなじようでけっこう違う・・・カタログ写真と当時写真で追う、東京とセリカのいま・むかし 【時代の名車探訪 No.2-10】 トヨタセリカ・TA20/22型・1970年(昭和45)年 ~初代セリカヒストリー 前編・1970(昭和45)~1973(昭和48)年~【写真・19枚目】 1600GT。 1400ET。 上から1600GT、ST、LT、ET。 これまで何度もお話ししてきた化粧板裏の燃料給油口。 トランクルーム。 カスタムSW仕様計器盤。 メモリー・メーター。 ベーシックの黒内装。 デラックスのレッド内装。 カスタムのアイボリー内装。「ivory」とは象牙のことだ。 1970年発表時のセリカET。撮影は1970年10月23日、場所はホテルニューオータニ。 発表会でのET内装。 当時のモーターファン企画で、ライバル車とともに繰り出そうとする、おそらく朝の出発シーン。撮影は1970年12月2日。 こういった写真を見ると、いまどうなっているかを知りたくなる。 明るくして向こう側のビルも見えるようにしたら・・・ わかっちゃった。いまもある、東京・丸の内のビルだった。この時期に「セリカ」をやる予定でいたので、記録として撮っておいたものだ。今年2025年1月21日撮影。 明るくして見えてきた、向こう側のビルの特徴的な窓の形から追っていった(赤囲み部)。 同じでしょ。 もういちど比べてみてくれ。 ね。 で、記事掲載のために最新の景色を撮ろうと、昨日(5月4日)ふたたび現地に行ったら、向こうのビルは解体中だった。困るね、私に断りもなく勝手に解体してくれちゃあ。よかった、1月に撮っておいて。2025年5月4日撮影。 前項、丸の内写真からの続き。場所はわからないが、到着地で何らかの確認作業。油圧ジャッキで上げすぎなのがおもしろいので載せた。上げすぎだろ。撮影は同じ1970年12月2日。 前輪にちゃんと輪留めをしているんだろうなあ。油圧が下がったらおもしろい。 これは少し前の1970年11月18日撮影のもの。自動車工学で著名な影山克三先生をはじめとする大学の先生連が、カリーナとともにテストに繰り出す。 向こう側の景色から、たぶん東京・環状8号線沿いのガソリンスタンドだと思う。 上から下がるホースで注ぐ給油機がこの頃からあったんだね。 事務所のガラスには「共同石油特約店 有限会社ウハラ商事」とある。 で、その後いきなりカラー。たぶん東名高速だろう。前がカリーナ、後ろがセリカ。逆走なんてない時代だ。 セリカ側から。ワンレッドテールがセリカらしくていいのだが・・・ 小さい頃は、赤点滅がなんかこわかった。これは別の日の撮影で、たぶんロードテストの1シーンだろう。仮ナンバープレート走行。昔のJARIテストコースだと思われる。撮影日不明。 1971年7月7日撮影。セリカ発売から日が経つのに、何だかんだ理由つけて「取材」と称し、まだ遊び半分で走る! いくらセリカとはいえ、こんなに傾くほど走っちゃいけませんな。おり姫様もとひこ星様もあきれていたことだろう。 GTV。 リヤランプはターンシグナルがオレンジ色に。法規対応によるものだ。 スペアタイヤが床下に移って、トランク広々。 給油口は左リヤピラーショルダー部に。 センターコンソールが立派になった。 1972年9月8日。GTVが出たらまた走りに行く! GTV計器盤。1972年12月撮影。 レジャー時代到来を見据え、LB(リフトバック)登場! セリカとセリカLBの顔はこれだけ違う。 給油口は、この写真のクルマでいえば「ST」バッジの裏にある。セリカの改良にLBはまだ追いついていなかった。 セリカLB計器盤。 セリカLB ST。1973年7月27日撮影。 こちらは1973年4月撮影の、セリカLB 2000GT。 昔はおおらかだった・・・といえば聞こえがいいが、いま以上にいいかげんで、ハンドルは逆さのまま撮影。正立位置にしとけよといいたいが、上下逆さまになっても大して変わらない4本スポークでもある。1973年7月27日撮影。 セリカLBのオーバーヘッドコンソール。1973年4月8日撮影。 若者向きのスペシャルティでも、日本建築の場においてもよく似合う。 この画像の記事を読む