歴史 1950年代のアメ車なのにこんなにコンパクト!ナッシュ・メトロポリタンはアメリカのセカンドカー市場を獲れるのか!?【写真・8枚目】 1950年1月にニューヨークのウォルドルフアストリアホテルで発表されたナッシュ=ケルビネーター社のコンセプトカーのNXI(ナッシュ・エクスペリメンタル・インターナショナル)。同社初のサブコンパクトカーで、その名から分かる通り、開発当初からアメリカ国内市場だけでなく海外市場への輸出も考慮されていた。 1950年型ナッシュ・ランブラー・コンバーチブル・ランドー。 ナッシュ=ケルビネーター社の会長兼CEOを務めていたジョージ・W・メイソン。彼の詳しい経歴については過去記事を参照のこと。 1951年型ナッシュ・ランブラー 「カントリークラブ」。 1954年型ナッシュ・メトロポリタン・コンバーチブル。 1952年型ナッシュ・ヒーレー・ロードスター。 1942年にカリフォルニア州ロングビーチのダグラス社で撮影された写真。徴兵により男性が兵隊に取られたことから、労働力を補うために雇われた女性がB-17爆撃機を製造している。彼女ら大戦中に工場や造船所で働く女性のことを総称して「ロージー・ザ・リベッター」と呼んだ。 ウェスティングハウス社の戦時生産調整委員会の依頼により、J・ハワード・ミラーによって描かれた「We Can Do It!」のポスター。銃後の守りとして国内工場で働く女性の士気高揚の目的で製作された。このイラストが戦時増産のアイコンとなり、女性労働者の地位向上と戦後の権利拡大へと繋がった。 シアトルの写真会社で働く女性オペレーター。1945年撮影。 アメリカでは女性の社会進出に伴い、経済的に自立した彼女たちは権利意識に目覚め、1960年代の「ウーマン・リベレーション・ムーブメント(ウーマン・リブ:女性解放運動)」へと発展する。写真は1970年8月にワシントンD.Cで撮影された女性の法的平等を要求するデモ行進。 ウィリアム・J・レビット 1959年に撮影されたペンシルバニア州のレビットタウンを上空から撮影した写真。 1958年に撮影されたニューヨーク州のレビットタウン。地下の安い郊外に宅地造成されたレビットタウンは、通勤や買い物などはマイカーの使用を前提にしており、2台分の車庫を標準で備えていた。 カナダ・オンタリオ州アンカスター郊外の住宅街。レビットタウンは北米の住宅市場に革命をもたらし、短期間でアメリカとカナダ全体に普及。その景観を一変させた。 1949年に撮影されたカリフォルニア州ハリウッドのハドソンアベニューの駐車場。駐車スペースに余裕がないことに注目。1940~1950年代は急激な自動車の増加にインフラの整備が追いついているとは言えない状況だった。 1930年にワシントンD.Cにて開業した小規模のショッピングセンター(パーク&ショップ)。アメリカでは戦前からマイカー利用を前提にしたショッピングセンターが散見されたが、大規模化して全米に普及するのは1950年代後半に入ってからのことだった。 1949年型オールズモビル88ステーションワゴン。郊外の住民がセカンドカーとして購入したステーションワゴンの一例。 1954年型ナッシュ・ランブラー。 1953年型シトロエン2CV。 1947年型ルノー4CV。 1951年型モーリス・マイナー。 1949年型フィアット500C。 1949年型VWタイプI。 オランダのVW正規代理店のホフマンによって1949年にアメリカ市場に輸出された最初のタイプI。のちのアメリカ市場における爆発的なヒットからは想像ができないが、このときに輸出された2台のタイプIはアメリカの消費者には見向きもされず、スペアパーツとセットにして二束三文で投げ売りされた。 ハインツ・ノルトホフ 1959年からの「Think Small」(シンク・スモール)キャンペーンのなかでも、もっとも人気のあった新聞広告。余白をたっぷり使い小さくVWタイプIが写っているだけで、必然的に読者の視線は小さなクルマとキャッチコピーに目が行くレイアウトだ。DBB社アートディレクターのヘルムート・クローネの傑作広告のひとつ。 1939年に発表されたリンカーン・ゼファー・コンチネンタルMK.Iのコンセプトカー。半年後に内外装の意匠をあらためた生産型のコンチネンタルMK.Iがデビューする。 ウィリアム・J・フラジョール 本牧山頂公園駐車場にて2025年2月9日に開催された『24th HOT ROD RAZZLE DAZZLE』にエントリーしていたナッシュ・メトロポリタン。 この画像の記事を読む